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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/09/09

アギア・ソフィア大聖堂のモザイク4 後陣10聖母子像の制作年代

『天使が描いた』は、867年3月29日、コンスタンティノープルの総主教フォーティオスは、ハギア・ソフィア大聖堂のイコノクラスム終結後最初に復興されたイコンのまえで説教を行った。
「聖母は、全人類の救済のために生まれた造物主をその無垢な両手に抱く」
このときフォーティオスが言及しているのが、この聖母子のモザイクであると考えられているという。
イコノクラスムが終結したのが843年なので、それから24年以内に造られたのがこの聖母子像ということになる。
しかし、イコノクラスム期(730-843年)の100年余りの空白期に人物像が作られなかったとすると、その直後に、こんなみごとなモザイク壁画の制作が可能だったのだろうか。
写実的とは言わないが、着衣の襞の表現も素晴らしい。
同書は、同じハギア・ソフィアに残るほかのモザイクは状況証拠からほぼ成立年代がわかる。南玄関階上部屋に描かれた「デエシス」は870年代の制作。
保存状態もよくないが、テッセラはまばらで、デッサンも稚拙であるという。
後陣の聖母子像のモザイク壁画は、テッセラが隙間なく並んで、微妙な衣服の膨らみさえ表せているのに比べ、このマリアやキリストの着ているものは、襞なのか、テッセラの並べ方なのかさえ見分けられないくらいにひどい。聖母子像が867年以前の制作とすると、それよりも後で作られたこのモザイク画がこんなにも稚拙だということが納得できない。
南玄関階上廊にこのモザイク壁画があるということで、是非見ようと探したが、わからなかった。南玄関階上廊には鍵のかかったところを二箇所見つけた。きっとそのどちらかにあるのだろう。
内ナルテクスのリュネットに表された「玉座のキリストとその前にひざまずく皇帝」のモザイクについては、皇帝はおそらくバシリオス一世(在位867-886年)であり、皇帝が自らの謙遜と神の前に喜んでひざまずくといった表現は、869年のコンスタンティノープルの公会議以降間もなくの制作と考えられる。イコノクラスム終了後しばらくの作品ということになるが、平面的で稚拙、陰影表現も線をなぞるようにしかモザイク片(テッセラ)を並べていないという。
しかし、これではモザイク壁画が稚拙かどうか判断できない。
いくら実物を見るのが一番とはいえ、遠くからしか見られなかったり、高すぎて、図像を正面から捉えられなかったりするものよりも、書物の図版の方が分かり易い。
確かにテッセラが横に並んだ風に見える。
ハギア・ソフィアに残る100年後の10世紀末のモザイク「聖母子とコンスタンティヌス帝とユスティニアヌス帝」の聖母の部分を見よう。9世紀のモザイクとのデッサン力の差はあきらかであり、しかも洗練された人物の表情はさまざまな感情移入を可能にするという。
これも現地で見上げただけではわからないものだった。
アプシスの聖母のモザイクの出来は、むしろ10世紀末のモザイクの方に近いと言いたくなる。しかし力強い写実とほとんど肉感的なまでの表現は10世紀末のモザイクには見られない。これはイコノクラスム以前にさかのぼる要素である。最近、カナダのビザンティン美術史家イコノミデス起用綬は、フォーティオスの説教のなかでの「聖母は幼子を見つめている」との記述が現存するモザイクと一致していないことを根拠に、フォーティオスが記述しているのはこのモザイクではなく、なにか別の板絵であり、このモザイクはイコノクラスムの中断期すなわち800年前後の作で、フォーティオスの時代には塗り込まれていて隠蔽されていたとの新説を提出したが、様式的な整合性を考えるとありえないことではないという。
面白い説だが、イコノクラスムの中間期のビザンティン美術の様式がわからないので、何とも判断のしようがない。
これに対して『イスタンブールの大聖堂』は、この説は、私にはちょっとトリッキーすぎるし非現実的なように思われる。私は、定説のように、アプシス・モザイクはフォーティオスの説教の直前に完成したと考えているという。

※参考文献
「NHK日曜美術館名画への旅3 天使が描いた 中世Ⅱ」(1993年 講談社)
「イスタンブールの大聖堂 モザイク画が語るビザンティン帝国」(浅野和生 2003年 中央公論新社)