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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2010/09/28

エジプトの王像10 エジプトの魔除けは王だったが



王が敵の神を掴み、棍棒で殴ろうとする図はナルメル王のパレット(初期王朝第1王朝、前3000年頃)にもある古いモチーフで、王の力強さを示すものだった。時代が下がってもこの図柄は神殿や葬祭殿の塔門などに表されるようになるが、それは王の力強さではなく、魔除けとなってしまった。


アスワンダムのダム湖に浮かぶ現フィラエ島(元のフィラエ島は浸水したため、隣の島に移転)にはイシス神殿がある。アスワンの地図はこちら
長い列柱廊に挟まれた幅の広い外庭を歩いて行くと第1塔門に突き当たる。
末期王朝第30王朝、前350年頃に建造されたこの門にも王が敵を打ち付ける図が浮彫されている。
やはり沈浮彫で、棍棒もラムセスⅢ葬祭殿(新王国第20王朝、前12世紀)の同様棍棒も細い威力のないものだ。ラムセスⅢは両足を地に着けていたが、イシス神殿を建立したこの王は右足を上げているので、遠くから見ると走っているような印象を受ける。魔除けも形骸化されたものになってしまったようだ。
イシス神殿には第1塔門の中央から入っていく。門の外側のイシス女神は左は削られているが、右は削られていない。ハトシェプスト女王の浮彫を削ったのはトトメスⅢだが、イシス神殿の浮彫を削ったのは後世ここを教会として使ったキリスト教徒だといわれている。
門の奥には第2塔門の浮彫が見ている。エジプトでは神殿や葬祭殿などは中心軸が通っているのが普通だが、狭いフィラエ島に収まるように、建物の位置をずらせながら造ったためという。
人を避けながら門へと近づいていくと、門の前に一対の獅子が置かれていた。正確には門の開口部の左右に並んでいるとは言えない。向かって右側のライオンが中心に寄りすぎていて、左側のものは中心から離れすぎているようだ。写す位置が悪かったのだろうか。
やっぱりライオンの位置がずれているように見えるが、この一対のライオン像には魔除けの役目を負わされていたには違いない。たてがみが平面的で妙なライオンだ。どんな顔をしていたのだろう。
それまでエジプトを旅してきて、神殿前には王の立像や倚像が置かれていることに違和感を覚えていたが、慣れるとライオン像が魔除けとして出現したことが奇異に感じられるようになっていた。
内部を見学して再び第1塔門から外に出る時、妙なことに気がついた。それは前から見ると平面的なライオン像が、背後から見るとライオンらしく表されていることだった。

一対のライオン像が神殿入口の前に置かれるようになるのは何時の頃からだろう。『地球の歩き方』は、この島では古代エジプト末期王朝時代からローマ支配時代にさまざまな神殿が建てられたという。
末期王朝になるとアッシリアやアケメネス朝の支配を受けたが、双方とも門の脇にはラマッスと呼ばれる人面有翼牡牛の像を置くので、どちらの影響でもない。かといって、写実的なプトレマイオス朝のものとも思えない。しかし、外部からの影響でこのような魔除けの動物を門の両側に置くということが行われるようになったのは確かだろう。



※参考文献
「図説古代エジプト2 王家の谷と神々の遺産篇」(仁田三夫 1998年 河出書房新社)
「地球の歩き方E02 エジプト 09-10年版」(2008年 ダイヤモンド社)