1号立石には後世に石を組み合わせた祠のようなものが取り付けられていた。今はない楯築神社の御神体だったらしい。
『シリーズ遺跡を学ぶ034吉備の弥生大首長墓』は、御神体の石の大きさは、93㎝X88㎝、厚さは30-35㎝ほどある。よくみると、文様はきめ細かい白っぽい石の表面に先の鋭い工具で刻まれており、10本前後の細い線を一つの単位として6-8㎝幅の帯のように描かれているという。
渦がたくさんあるように見える。

御神体のものと比べるとかなり小さいもので、体積比でみると1/9ほどである。石材については、双方とも紅柱石質蝋石という。
弧帯文石はもう一つあった。渦巻きの中に尖った形が彫られている。

ほぼ同じ幅の帯に、同じ間隔の平行線を刻んでいる。
帯状のものを複雑に巻いて渦を作っている。包帯をぐるぐると石に巻き付けたようにも見える。特別な石を特別な巻き方で包んでいったようだ。エジプトのミイラが包帯で菱形のような形を作りながら巻かれていたのを思い出す。

この弧帯文石に刻まれている顔だけを出し、体全体を帯で幾重にも巻かれている姿にみえる人物が、はたして楯築弥生墳丘墓に葬られた首長自身であるのか、あるいは祖霊や怨霊を封じ込めた表現であるのか、大変興味深いところという。
石は首長あるいは祖霊に見立てていたのか。それにしても、平行線や帯の熟練した彫り方に比べて、なんともええかげんな人の顔の表現やなあ。

このようなものから円筒埴輪へと変わっていったのか。奈良県布留遺跡出土の朝顔形円筒埴輪にも、帯状の渦巻きらしきものがある。

筒部は箍(たが)状の突帯と平行沈線文からなる5つの間帯によって4つの文様帯が構成されている。
このほかの破片となってる個体も、ほぼ似たような文様構成をもつものである。ほとんどのものが外面に丹が塗られているという。
楯築弥生墳丘墓では固い石に平行線で弧帯を彫り、土器には直線文を刻んだ。それが次の段階では特殊器台に平行線の直線文と弧帯文が表されるようになっている。

集落のなかでおこなわれていた農耕儀礼が、首長の葬送に際しての儀礼のなかに取り込まれたことを意味しているとみられる。すなわち、共飲共食の儀礼が集落から墓に移るなかで、墳丘墓での呪術的な祭祀という新たな事態に対応する祭具として、特殊壺と特殊器台が出現したと推測しているという。
このような墓室の上での祭祀が、弥生時代後期に始まり、古墳時代前期へと繋がっていったのだ。その呪術的な祭祀に使われた特殊器台と特殊壺も、円筒埴輪へと繋がっている。埴輪は墳墓を守護するものかと思っていたが、呪術的な意味合いがあったのだ。
※参考文献
「シリーズ遺跡を学ぶ034 吉備の弥生大首長墓・楯築弥生墳丘墓」(福本明 2007年 新泉社)