ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2009/10/09
粒金細工が硬貨の縁を飾る列点文に
粒金細工を探していると、粒金が円形の輪郭に沿って並んでいるものから金貨や銀貨の周囲に列点文ができていったのではないかと思うようになった。
粒金細工についてはこちら
『アナトリア文明博物館図録』は、初めてコインが作られたのは、西アナトリアのリディア王国で、前7世紀後半のこであるというが、リディアの硬貨の図版がない。現存していないのかも。
見つけることのできた周囲に列点文のある貨幣で最も古いのは、アレクサンドロス大王の銀貨だった。
アレクサンダーⅢ銀貨 マケドニア 前336-323年 平山郁夫氏蔵
東方遠征を開始したのが前334年、中央アジアまで遠征し、帰還しようとしてバビロンで没するのが前323年。マケドニアは出土地を示しているのだろうが、どこで造られたのだろう。
現在の硬貨とちがい、図柄が硬貨の外縁にきっちりと合っていないが、かなり小さな列点文である。また、アレクサンドロスの横顔の表現といい、被ったライオンの頭部の表現といい、硬貨という小さな面積の中で、これほど緻密な細工ができたのは、やはり当時のギリシア(父フィリッポス3世が前ギリシアを征服しているので、マケドニアも含んだギリシア)ではないかと思う。ギリシアの硬貨の図版がないのが残念。 もう一つアレクサンドロス・コインがあった。
アレクサンドロス・コイン ウズベキスタン出土
こちらの方は列点文が大きく、上のコインが細かいところまで表現されているのに比べ、かなり粗い表現となっている。特にライオンの口とアレクサンドロスの顔の間の髪の毛、そしてライオンのたてがみの表現が全く異なる。模倣を重ねていくとこのようになるのだろう。『アレクサンドロスの時代』は、前329年にヒンドゥークシュへ。前326年ヒュダスペス河畔でポロス王と戦うというので、この間に作られたコインだろう。アレクサンダーⅢ銀貨よりも古い列点文の巡る硬貨があるだろうか。
バビロニア領主マザエウス金貨 前332-331年 平山郁夫氏蔵
ウズベキスタン出土のアレクサンドロス・コインより以前につくられている。列点文が突起になっているものと、平たいものがあって、技術が未熟であることを示している。
ダレイオス3世金貨 前331-330年 アケメネス朝ペルシア 平山郁夫氏蔵
アケメネス朝はアレクサンドロスに征服される。最後の王ダレイオス3世はバクトリアまで敗走し、ベッソスに殺害されたのが330年なので、金貨の王はダレイオス3世だろう。
同じような時期に作成された金貨だが、アケメネス朝のものには列点文がない。 これだけで判断すると、列点文を巡らせた硬貨は、アレクサンドロスの遠征によって、征服された土地に伝えられたようだ。
※参考文献
「アナトリア文明博物館図録」
「文明の道1 アレクサンドロスの時代」(2003年 日本放送出版会)
「古代バクトリア遺宝展図録」(2002年 MIHO MUSEUM)
「ガンダーラとシルクロードの美術展図録」(2002年 朝日新聞社)