法隆寺金堂の天蓋の小札や襞のような装飾は雲崗や龍門の石窟だけでなく、敦煌莫高窟にも見られるが、トンボ玉にしろ木筒にしろ、天蓋や軒に似たような垂飾があるのだろうか?
龕楣(がんび)の装飾 龍門石窟古陽洞北壁第1層第3龕 北魏時代後半(493-498)
493年、北魏は平城から洛陽に都を遷し、その郊外に龍門石窟を開鑿した。古陽洞はその初期に開かれた石窟である。楣拱龕の拱額には鬼面(あるいは饕餮)と飛天(あるい化生童子)が交互に表され、それぞれの口や足から垂飾が出ている。法隆寺の天蓋と異なる点は、筒状のものに丸い点々があることだ。
龕楣の装飾 雲崗石窟第6窟後室東壁南側龕 北魏時代前半(雲崗中期、470-480)
龕楣の下に取り付け具があって、丸形と筒状のものが繋がってそこに通されている。 龕楣の装飾 雲崗石窟第6窟中心塔西面下層龕
同じ第6窟には別の吊り下げ方をした垂飾があった。それは童子(あるいは化生童子)が上で垂飾を持っているというものだった。それに、垂飾は龍門石窟古陽洞の垂飾のように、丸いブツブツが表されている。
『雲崗石窟』 は、龕下沿刻童子双手携執花縄という表現をしている。これって「花綱をかつぐ童子」の中国版? ピントが合っていないので細かいところはよくわからないが、11窟主室東壁(雲崗中期)11窟東側付属窟外9窟(雲崗後期、493-524年)では飛天が宙を舞いながら花綱を支えているようだ。これはより中国化が進んだものらしい。
※参考文献
「龍門石窟展図録」(2001年 MIHO MUSEUM)
「雲崗石窟」(李治国・山西雲崗石窟文物研究所編・山崎淑子訳 1999年 人民中国出版社)