初夏に奈良国立博物館で開催された『国宝法隆寺金堂展』は四天王像が4体展観される期間を見計らって行った。四天王像が横一列に並んでいるのを遠くから見ながら、まず周辺に展示されているものをゆっくりと見てまわった。
西の間天蓋は、2004年に同館の『法隆寺 日本仏教美術の黎明展』で真下から眺めることができたが、今回はその下に阿弥陀三尊像が置かれていて真下から見ることができずに残念だった。しかし、法隆寺金堂では西の間天蓋の下にはこの阿弥陀三尊像が置かれているので、そのままを観ることができるようになっていたのだった。
とはいえ、今回は中の間天蓋が出品されるのではなかったか?わだかまりを抱いたまま進んでいくと、中の間天蓋はあった。だが、天蓋は妙に低い位置に吊られていて、中には入れないようになっていた。

それは、丸い単色のガラス玉と、着色された紡錘形の木の筒を交互に使って編んだように作成されていた。それぞれの色も段で使い分けてあるように思ったが、図版を見るとそうでもなかった。一番下の水滴形のものは平たい鈴。風が吹くと揺れて鳴るのかも。
紡錘形の木筒は赤い色がよく残っていて鮮やかだったが、色が褪せて、製作されたときにはどんな色だったかわからないものもあった。
紅玉髄の色かな?すると一番上と下から3つ目と一番下はラピスラズリの色だろうか?そんな風に見ている内に、ラピスラズリ色のものには3本の横線があるのに気がついた。

それだけではなかった。一番下のラピスラズリ色のものは横ではなく縦に2本の線がある。垂飾の一番上にはリボン形の赤いものがあるが、ここにも縦に3本の截金の線があった。

ということは、中国には法隆寺以前に丸形や紡錘形のトンボ玉をつなぎ合わせた装飾品があったのではないだろうか?
そう思うと、何故か敦煌莫高窟の本を開いていた。莫高窟で最も古い窟の一つとされる第275窟の北壁上層龕の弥勒菩薩交脚像は、褪色してしまっているが、瓔珞を長く垂らしている。『敦煌への道上西域道編』は、この窟の様式は5世紀の前半期の特色をもつことから北涼の時代に造営されたものと思われるという。
よく見ると菩薩像の紡錘形のものは斜めに数本の線が刻まれているので、木製の装飾品ではなく、線状の文様を色で作ったトンボ玉のような気してくるなあ。

関連項目
天井の蓮華
※参考文献
「国宝法隆寺金堂展図録」(2008年 朝日新聞社)
「敦煌への道 上西域道編」(石嘉福・東山健吾 1995年 日本放送出版会)