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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/09/12

慶州仏国寺の多宝塔にはびっくり

仏国寺は、石塔を見るよりも先に石垣や石橋に驚く。木造を模して石材を駆使して造られたのがわかる。
『慶州で2000年を歩く』(以下『慶州で』)が、最初のものは、木塔の材料をそのまま石に置き換えたため、多くの部材が使われたが、次第に洗練されていったということが、大雄殿の境内の西にある釈迦塔を見ると明らかだ。しかし、その東側にある多宝塔の外観には驚く。『世界美術大全集10 高句麗・百済・新羅・高麗』は、下層は方形平面上層は円形平面の上に八角の屋蓋が載せられており、平面形式だけを見れば日本の木造の多宝塔に類似している。多宝塔は密教とともに日本にもたらされたが、仏国寺の多宝塔は、釈迦塔と対になっていることから、「法華経」をもとに造られたものと考えられ、天台密教の多宝塔とのつながりが推測される。統一新羅時代には、このような二塔式伽藍配置が見られるようになるが仏国寺のように左右で異なる形式の塔が建てられた例はない。  ・・略・・  これら二塔は造形的にまったく異なる形式で東西に並び立ち、木造建築の形を写して造られている点を共通の枠組として、左右非対称のなかに独特の均衡美を形成することに成功しているという。

『慶州で』は、多宝塔はおおざっぱに見れば、二重基壇の上に三層の石塔である。しかし、塔の四方に階段と門が付けられ、四方に獅子が置かれ、竹や蓮など彫ったものを組み合わせていて、釈迦塔とまったく違った印象である。釈迦をまつった石塔に対して、多宝塔はきらびやかな多如来をまつっているからであるという。人の足を逆さにしたようなもので支えている三層目は特に奇妙だ。  その上部を支えるこの5本の柱。四隅の柱の上の組物だけを見ていると木造を模したことがうがえる。 獅子は四方に1頭ずつ置いてあったということだが、現在残っているのは西側の獅子だけである。芬皇寺模磚塔の獅子を洗練させた表現なのだろうか。 獅子も蓮台に乗っている。『慶州で』は、釈迦塔と多宝塔が並ぶ様子は、法華経のエピソードにもとづいている。  ・・略・・   釈迦が多宝如来の塔の扉をあけたところ、師子(獅子)座のうえに座った多宝如来がいて、釈迦を褒めたたえ、自分の座っている席の半分にいっしょに座るように勧めたので、釈迦はいっしょに座ったという。四方に蓮台に乗った獅子を置くことで師子座を表していたのかも。

※参考文献
「世界美術大全集10 高句麗・百済・新羅・高麗」(1998年 小学館)
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)

3日目-15 仏国寺大雄殿前には釈迦塔と多宝塔もどうぞ