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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/12/10

馬具の透彫に亀甲繋文-藤ノ木古墳の全貌展より



藤ノ木古墳は出土した馬具が豪華だったことで有名だ。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の2007年秋季特別展は『金の輝き、ガラスの煌めき-藤ノ木古墳の全貌-』だった。
藤ノ木古墳では石棺の外に馬具が3組あったが最も豪華なものは「金銅製馬具(Aセット)」と呼ばれている。中でも前輪・後輪がそろった鞍金具は今でも金色に輝く部分が残っているだけでなく、装飾モチーフが多彩である。 

後輪(しずわ)の方が保存状態がよい。いろんな文様が透彫で表されているが、残念ながらサビでよくわからない。実際に凝視しても、右下方のゾウがわかる程度だった。細部の幾つかを拡大写真で解説してあったが、実物を見ると写真ほどにはわからなかった。 同展図録によると、この植物文は唐草文としてある。細かな毛彫、そして丸鏨による列点文(魚々子鏨)。図録でこそ見える世界である。ゾウも、細部をじっくり見ると変だが、体の細かい皺などは、ここまで表す必要があるのかと思うほどである。周囲の枠の角にある黒いものは、ガラスなのだろうなあ。 河上邦彦氏の連載コラム、「中国に見る日本文化の研究の第5話 舌だし鬼面図」で鬼も表されていることがわかった。前輪(まえわ)の方は欠損部分が多いが、透彫の装飾部分は後輪の物よりもわかりやすい。 こちらには舌を出した獅子がいる。 同展図録によると、これは龍だそうである。この龍も舌を出しているのだろうか。そして、このような透彫のモチーフは、外枠が亀甲の形となっていて隣接するモチーフと繋がっていた。亀甲繋文だ。春にMIHO MUSEUMの「山東省の仏像展」で見た北斉時代(550-577)の菩薩像に截金で表された亀甲繋文と、さほど時が隔たらない時代(6世紀後半)に製作された文様が日本の古墳にあったのだ。
また、河上氏は、舌出し鬼面文や獅子文等の、藤ノ木古墳の馬具文様は、中国の南北朝の文様の集大成のようである。このような、すばらしい文様をもった馬具がなぜ、六世紀の日本にあるのか。
文献によれば、大和政権は南朝に対して朝貢外交をしている(五世紀代)。その南朝の文様が刻まれた馬具が日本で出土しているのだ。南朝からもたらされた馬具と考えたくなる。しかし、この頃、大和政権は南朝と国交を断絶した直後くらいである。ただ、百済は国交を保っていたから、南朝(文様)→百済(馬具)→倭(馬具)との流れで考えるのが妥当であろう。
しかし、その百済に同様のものがないとすれば馬具の出土地で製作されたと考える方が自然ではないか。藤ノ木古墳の馬具は、南朝、百済の影響を受けた日本製ではないかと考えることも必要である
という。

舌を出した鬼や獅子から南朝の影響を示唆されている。そういえば、鎮墓獣の中に舌を出した獅子があったなあ。

※参考文献
「金の輝き、ガラスの煌めき-藤ノ木古墳の全貌-展図録」 2007年 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館