『中国大陸建築紀行』の著者たちは交河故城付近の維吾爾(ウイグル)族の民家にも足を運んでいる。
維吾爾族の住居は ・・略・・ オアシス地帯に限ってみれば、日乾しれんがの中庭型が一般的で、夏・冬住まい分けるためか部屋数が多く、比較的大きな家となることが多い。その中にあって気温の寒暖が特に激しい吐魯蕃では、ほとんどの家に地下室や半地下の部屋があり、オンドル式のベッドを備えた冬の寝室や、夏の台所など、季節に応じた使い方がなされているという。
下の写真が添付されているが、このヴォールト(トンネル型)天井についての記述がないのが残念だ。






ウイグル族はトルコ(テュルク)系の遊牧民族なので、元来は平面が円形の穹廬(きゅうろ、パオ・ゲル)または平面が方形のフェルト製テントに住んでいただろうと勝手に想像するのだが、ウイグル族は何時頃からこのような日乾しレンガで作った家に住むようになったのか。
『シルクロード建築考』 に面白い記述がある。
『大唐西域記』によると、玄奘三蔵一行が高昌城を訪ねたときは、初唐の太宗貞観2年、紀元628年の春のころである。
玄奘が広大な外城を通って内城に入ってみると、各種の建築は殆どペルシャ的で、壁面には美しい壁画が色鮮やかに飾られていたという。だが、残念ながら、中国的な建築遺跡は一向に見当たらなかったらしいという。
そのペルシア風建築がウイグル族に受け継がれてきたのだろうか。
※参考文献
「建築紀行16 中国大陸建築紀行」 茶谷正洋・中澤敏彰・八代克彦 1991年 丸善
「中國新疆壁畫全集6」 1995年 新疆美術攝影出版社
「東京美術選書32 シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術