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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2022/06/28

糸魚川フォッサマグナミュージアム ヒスイについて


北陸高速道を糸魚川インターでおり、まだ雪の残る遠くの高い山々が見え隠れしながら、

複雑な道路を辿ってやっとフォッサマグナミュージアムに到着。建物も複雑そう。


館内の通路には、海岸で採取された石がその名称と説明パネルとともに展示されていた。

キツネ石
ネフライトにキツネ石。入館した矢先、狐に騙されたような・・・😅
iStoneによると、特定の鉱物や岩石の名称ではなく、ヒスイを探している人が、ヒスイかどうか惑わせられる石ころのことを、そう呼んでいるそうな。
堆積岩
チャートは「ブラタモリ」でよく聞く
火山岩あれこれ

通路の先には大きな岩が並んでいた。

その中に市の名前の鉱物があった。 
糸魚川石 Itoigawaite SrAI,Si, 0, (OH)2H,O
説明パネルは、1999年に糸魚川市民の伊藤加奈子氏、国立科学博物館の松原聰博士、宮脇律郎博士らによって明らかにされた新鉱物。ヒスイの中に青い脈として存在していることが多く、ヒスイができる過程の晩期に晶出したもの。日本産新鉱物としては肉眼的な大きさを持ち、最も美しいものの一つ。ローソン石のストロンチウム置換体に相当するという。

展示室にあった糸魚川石の見本
ヒスイの中の青い脈がよく分かる


そして展示室へ。

プロローグ ヒスイ峡
映像だけでなく、小滝川や青海川から採取された石が大小置かれていて、水の流れも感じられるほど。

写真パネルと実物とがうまく配されている。


小滝川ヒスイ峡はこのようなところらしい。
a-1
第1展示室 魅惑のヒスイ
説明パネルは、「金剛石も磨かずば玉の光はそわざらむ」 
この歌は、宝石も原石のままでは美しくない。転じて人間も、日々の精進が大切であることを教えるものです。しかし、川や海で出会う糸魚川ヒスイは、自然の中で長い時間磨かれているため、原石のままでもすでに宝石のような美しさを持っているのですという。
糸魚川や海で発見されたヒスイの原石が展示されている。周囲の展示棚にもヒスイが並んでいるのだが・・・

こんな風に。これが全部ヒスイとは😮

私にとってヒスイは勾玉の原料程度の知識しかないが、なんとも色とりどり。


ところで、ヒスイは川の上流にある岩山にあり、浸食されて岩に交じって下流へ、そして海へと押し流されるものだと思っていたのだが、全く違っていた。
『世界ジオパークいといがわ』(以下リーフレット)は、ヒスイは、5億年前に大陸の地下深くで生まれました。岩石が海洋プレートとともに大陸の地下に引き込まれ、高い圧力を受けることによってできたと言われています。ヒスイが見つかる場所には必ず蛇紋岩という岩石があります。蛇紋岩は地下でヒスイを緑をはじめとした様々な色に色付けするとともに、他の岩石より重たいヒスイを包み込み、地上までいっしょに運んできたのですという。
① 大陸プレート下部の低温高圧の場所でヒスイは生まれた
② 地殻変動によって、ヒスイは蛇紋岩に包まれ地上に持ち上げられた
ヒスイが出来て地表に出てくるまで 『世界ジオパークいといがわ』より

蛇紋岩の見本


リーフレットは、ヒスイは緑色だけではありません。純粋なヒスイはもともと白い色をしていますが鉄やクロムが混じると緑色に、チタンやマンガンが含まれると薄紫色のラベンダーヒスイになります。また、鉄とチタンの両方が入ると青色になります。フォッサマグナミュージアムには、糸魚川の川や海で発見された、緑、白、青、薄紫、黒など様々な色のヒスイが展示されていますという。
ヒスイの色さまざま 『世界ジオパークいといがわ』より


緑色ヒスイ 翠の足 新潟県糸魚川市青海川河床
説明パネルは、2014年11月17日に井合作蔵氏が糸魚川市に寄贈された美しいヒスイで、1950年代に青海川で発見されたものです。発見された当時の状態のまま大事に保管されていましたという。


濃緑色ヒスイ 新潟県糸魚川市青海海岸 
黒っぽく見えますが、強い光を当てると青みがかった濃緑色のヒスイであることがわかります。指輪のように小さな石の場合は、このヒスイのような濃さの色のものを使うとほど良い濃さに見えますという。

ということは、この勾玉も濃緑色ヒスイを使っているのかな
頭飾り 京都府京丹後市赤坂今井墳丘墓出土 弥生時代後期末(3世紀前半)
赤坂今井墳丘墓出土頭飾りと耳飾り 『玉からみた古墳時代』より


圧砕されたヒスイ 新潟県糸魚川市小滝川
圧砕された隙間に沿って緑色になっているのは、まわりの蛇紋岩からの物質の移動があった証拠と考えられますという。

ヒスイ製勾玉 奈良県田原本町唐古・鍵遺跡出土 弥生時代後期
『玉からみた古墳時代』は、弥生時代の玉類に込められた願いはひとつではなかったと考えられますが、こうした勾玉が何らかの儀礼・祭祀的行為の重要な「祭具」として用いられた可能性が指摘できますという。
勾玉にむらむらしたような文様状のものが見られる。
唐古・鍵遺跡出土ヒスイ製勾玉  『玉からみた古墳時代』より

圧砕されたヒスイ

白と緑色が交じった勾玉もある。
勾玉と管玉 福岡県福岡市吉武高木遺跡出土 弥生時代前期末-中期初め頃
吉武高木遺跡出土勾玉と管玉 『玉からみた古墳時代』より
 

圧砕されたヒスイ 新潟県糸魚川市小滝川 
川で発見された状態を保っている標本で、ヒスイ輝石からなる白い部分が堅いため出っ張っていますという。
これで勾玉を造ろうとは思わなかっただろう。


角閃石を伴うヒスイ


ちなみに、日本でヒスイが装飾用に用いられるようになったのは、

約3000年前[勾玉の誕生] 縄文時代後期
ヒスイの勾玉が作られ始める。
初期の勾玉は典型的な勾玉の形ではなく、動物や昆虫に似た形などさまざまな形をしている。
青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡出土の玉類(縄文時代晩期、前1000-前400年頃)
右上の玉6.7㎝ 
つがる市亀ヶ岡遺跡他の玉類 縄文時代晩期 『玉からみた古墳時代』より

不思議なことに、日本の古墳で出土する歩揺冠には勾玉は取り付けられていないが、新羅の5-6世紀の王墓から出土した歩揺冠にはたくさんの勾玉が取り付けられている。

金冠 慶州金冠塚出土 5-6世紀
慶州金冠塚出土


約1200年前「ヒスイの最後] 奈良時代中期
東大寺法華堂の仏像(不空羂索観音)の宝冠に使われたヒスイを最後に、ヒスイが使われなくなる。
東大寺法華堂の不空索観音の宝冠(説明パネルより)

東大寺法華堂の不空羂索観音の宝冠(部分拡大、説明パネルより)


リーフレットは、小滝川ヒスイ峡では、これらの織りなす幻想的な風景にくわえ、ヒスイの原石も間近に見ることができます。
現在、日本の全国各地の遺跡から見つかるヒスイは、糸魚川産のものと考えられています。
※小滝川ヒスイ峡は、国指定文化財(天然記念物)に指定されており、指定区域内での岩石や動植物などの採取は一切禁止されていますという。



小滝川の明星山だけが石灰岩の山
リーフレットは、3億年前、太平洋の海底火山(海山)に形成されたサンゴ礁は、海洋プレートの移動とともにアジア大陸に向かって移動していました。海洋プレートは重たいために大陸の下に沈み込みますが、この際、サンゴ礁をのせた海山(石灰岩)がはぎとられ大陸に付加されます。その後、日本列島はアジア大陸から切り離され、この石灰岩が現在の位置に来たと考えられていますという。

明星山ができるプロセス 『世界ジオパークいといがわ』より

明星山
リーフレットは、眼下の小滝川の清流と圧倒的な迫力をもってそびえる明星山の大岩壁。明星山は石灰岩(主に生物の遺骸等からなる堆積岩)からなる標高1188mの山ですという。
ここから他の鉱物と共にヒスイの原石も下流へと流れ出した。
小滝川ヒスイ峡と明星山 『世界ジオパークいといがわ』より

糸魚川ヒスイ海岸
小滝川は姫川に合流し日本海に流れ込む。糸魚川市街の海岸がヒスイ海岸と呼ばれている。水や波にもまれて角が取れた石で埋め尽くされている。
糸魚川ヒスイ海岸 『世界ジオパークいといがわ』より



関連項目
「世界ジオパークいといがわ」 編集新潟県糸魚川地域振興局
「はじめてのヒスイ、はじめてのいといがわ」 糸魚川観光協会

参考文献
「玉からみた古墳時代」展図録 2021年 大阪府立近つ飛鳥博物館