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忘れへんうちに 旅編では、南イタリアの旅を再開しました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2022/05/20

今城塚古墳 円柱の家形埴輪


今城塚古代歴史館の常設展示室には埴輪祭祀場で発見された埴輪群の中で選りすぐりのものが展示されていた。
それにしてもこんなに積み重なった破片から復元していったとは🤔 大変だっただろうが、わくわくする作業だったに違いない🤩 昔々、橿原考古学研究所でアルバイトをしたことがあるが、土器の復元が一番面白かった。


1区・2区の埴輪群

祭祀場では大刀が間近に見ることができた。
そして、背中側しか見なかったが、この武人埴輪には、

顔がない。あるのは空気抜きの大きな穴だけ。
下に甲冑と書かれているので、これは武人埴輪ではないことが分かった。大刀の埴輪があるのだから甲冑の埴輪があっても不思議ではないのだが、やや気味が悪かった😆

それから、大刀は把の勾革に突起が数個付いている。


3区の埴輪群

女性たち
『前方後円墳』は、今城塚古墳の女子埴輪はほとんどが袈裟状衣を着ているが、「袈裟衣を着用した女子埴輪は采女、もしくは采女と同様、おもに食膳の奉仕に従事する職掌の女性」 との指摘がある[塚田、2007] という。
今城塚古代歴史館では巫女としている。
かなり硬そうな張りのある衣装で、左肩から張り出した服は袋状、つまり「わ」になっているが、右肩からは袋状にはならないで斜めに張り出す。こんな風に張りのある素材は、分厚い革か、ござのようなものかな。
手前の四つ足も気になったが、指が分かれた動物は犬?


4区の埴輪群

武人、鷹飼、力士の人物埴輪の後方に楯形埴輪
こんな時代から力士がいたとは。野見宿禰を表しているのだろうか。
中外日報大古墳群と土師氏の関わり―墳墓造りを担った古代氏族で、大阪府立近つ飛鳥博物館の舘野和己館長は、『日本書紀』は養老4(720)年にできあがった。そこに記された野見宿禰の伝承などは土師氏の提出した資料によったものであり、喪葬関係の職掌に土師氏が誇りを持っていたことを示しているという。
この祭祀場での長の象徴として土師氏が力士像に象ったのかも。


『今城塚古代歴史館 常設展示図録』には解説がないが、家形埴輪の中でも太い円柱の建物埴輪が気になる。しかも、短辺の中央にも円柱があり、円柱だらけ。
太い円柱よりも高い社殿で有名な出雲大社の社殿が思い浮かぶが、図録では「高床の家」とあっさり。

1区
両棟の端にX状に交差する千木は後の神社の屋根にも付属する。屋根は格子状に装飾され、豪華な王の住居のよう。
今城塚古墳祭祀場1区の高床家形埴輪 『常設展示図録』より

魚と鳥の絵
今城塚古墳祭祀場1区の高床家形埴輪の魚と鳥の絵 『常設展示図録』より


2区
1階と2階の円柱は数は同じだが、明らかに位置が異なり、高い柱を2階まで通したものではない。
屋根にはやはり千木があり、尾根に鰹木が並ぶ。


3区
1階は円柱だが、2棺は板あるいは壁状のものになっている。
今城塚古墳祭祀場3区の千木を飾る高床家形埴輪 『常設展示図録』より


4区
円柱の平屋に千木と装飾的な屋根がのる。

円柱の家形埴輪は、数は多くないものの、各地で出土していて、「高床の家」が一致した名称である。しかし、4区の平屋タイプのものはどこに部屋があるのだろう。




関連項目


参考文献
シリーズ古代史をひらく 前方後円墳 巨大古墳はなぜ造られたか」 吉村武彦・吉川真司・川尻秋生編 2019年 岩波書店

「高槻市立今城塚古代歴史館 常設展示図録」 2012年 高槻市立今城塚古代歴史館