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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2019/11/12

ターラント国立考古学博物館 モザイク


前1世紀から後3世紀のローマ時代の町から出土した舗床モザイクもいろいろと展示されていた。

舗床モザイク 
中央に八重咲きの花が大輪で表され、白の線で円、それを黒の正方形が囲み、四隅には魚かイルカ。外側は白地に黒で波文が巡り、それを黒い帯が巡る。モノトーンだが力強い。
その主画面の余白は荒い色石が埋めるが、そこにも白石と小さな黒石のドットが等間隔で並んでいる。

舗床モザイク
中央に円形外に正方形の枠というパターン。
色石を使うと華やかになる。

舗床モザイク 立体的に見える卍繋文の帯文様
コリントス遺跡の併設博物館で見たガラス・テッセラを多用した卍繋ぎ文のモザイクほどには立体的には見えないが。
このような卍繋文がキリスト教美術にも受け継がれていく。その例がガッラ・プラチディア廟(425-450年頃)のアーチ下にある。
モノトーンのものは、通路などによく使用された。

広い舗床モザイク 5世紀
大きく見れば黒い卍繋文の中に、赤い菱形を囲む黒い菱形の線が縦向き横向きに配されている。

舗床モザイク
四隅が赤くてしゃれているが、卍文が正方形の枠の中に一つずつ配されているだけで、繋がってはいない。

舗床モザイク
中央の文様は上のモザイクと似ているが、この卍は繋がっている箇所もある。

舗床モザイク
卍の区画が中央の十字の区画の周囲に配されたものも。


舗床モザイク これも卍繋文
白石が一面に敷かれた中に小さいが極彩色のモティーフがある。小さな特別な部屋の床を飾っていたのだろうか。
卍の繋ぎ目で色を変えている。
卍繋文の帯文様の内側は、黒い菱形の石と黄色の様々な形の石が白石のテッセラの中に配され、赤と緑の三角の石が囲む。テッセラ・モザイクとオプス・セクティレ(色石の象嵌)を組み合わせている。


モノトーンの文様が続いた。通路にしては凝っている、何かの部屋に絨毯のように敷かれていたのかな。

舗床モザイク 
外縁は波文、中央は鱗状の文様。

舗床モザイク
内側に文様のない大きな七宝繋文が並ぶ。

舗床モザイク
菱形と六角形の組み合わせ。しかし、正六角形ではない。

舗床モザイク
フレスコ画にもあるような細長い植物のモティーフ。縁を飾る文様帯だろう。

舗床モザイク 後2世紀 
同館図録は、公衆浴場の隣で発見されたが、その建物群の一部屋だった可能性があるという。
元は正方形の中に円形のエンブレムという構成だったのだろう。
組紐文や鋸歯文の帯文様に、中央にはローマのカラカラ浴場にもあるパターン(名称が思い出せない)。
四隅にはビガ(biga 二頭立ての戦車)が配されている。

ここからはまた多色テッセラのモザイク

舗床モザイク グリフィン 後2世紀
同展図録は、カンタロス坏の両側で向かい合うグリフィンの図柄は、クリナイ(klinai 宴会の寝椅子)が囲む空間にあったという。
周囲のテッセラが白や黒に近い色だが、主要モティーフだけは黄や緑などが使われている。色石だろうと思うが・・・
また、カンタロス(酒杯)は平面的な表現だが、グリフィンの体は照り隈や色のグラデーション(暈繝)を駆使して立体的である。

舗床モザイク 後2世紀
説明パネルは、周囲の文様帯は線と組紐文のモノトーンのモザイク。その中は幾何学文様と花のパターン。
中央の花文を円形闘技場の日除けテント(Velarium)が囲むという。
日除けテントということで納得。ほかの文様は平面的なのに、それだけが凹凸感が表されている。

舗床モザイク 5世紀
奥底の中央の十字形から四方に立方体が立ち上がっているような錯覚を起こす。

舗床モザイク
向かい合う猪とライオン。隈取りによる立体的な表現もあまりみられないし、背景の描写も粗雑。盛期を過ぎた作品。

大理石の床 4世紀   
大理石の切石によるオプス・セクティレ。模様のある大理石を使っているため、切った形は長方形か円と単純。

ターラント国立考古学博物館 墓の変遷

関連項目
ターラント国立考古学博物館 ガラス
ターラント国立考古学博物館 金色の装身具
ターラント国立考古学博物館 土器・テラコッタ
ローマ時代、色ガラスの舗床モザイクがあった