ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2019/08/16
手こぎ舟で近江八幡の水郷をめぐる
旅の番組や地方ニュースなどで、近江八幡の八幡堀を舟で廻っているのを見て、機会があったので体験してみたのだが、乗ったのは何故か水郷めぐりの舟だった。
その名も「日本で一番おそい乗物 元祖 近江八幡水郷めぐり」。
近江八幡和船観光共同組合のちらしは、今から400年前、雅な宮中の舟遊びに似せて、豊臣秀次が始めたという水郷めぐり。その発祥の地である「豊年橋」を発着する元祖「近江八幡水郷めぐり」は、司馬遼太郎作「街道をゆく」にも登場しています。近江八幡の開町以来の歴史と伝統を守り、また水を浄化する「よし地帯」保護のため、あくまでも手こぎ舟にこだわる本物の水郷めぐりで、水と緑に恵まれた近江八幡の四季をお楽しみくださいという。
GPSが描いた航跡
乗り場
水郷は右に曲がり、豊年橋をくぐって狭い水路へ。
①葦原にくると、オオヨシキリがあちらでもこちらでも鳴いている。
『日本の野鳥』は、繁殖期には「ギョギョシ、ギョギョシ、ケスケスケス」というような、少し濁った声でさえずる。この声からオオヨシキリを行行子とも呼ぶという。
一茶の句に「行行子 口から先に 生まれたか」があるが、川沿いで暮らしているた頃、初夏になると、河原から夜といわず昼といわずけたたましい声が聞こえていたことも、今となっては懐かしい思い出。その頃のことを思い出しながらの舟遊びは格別だった。
船頭さんはわざわざ左に寄って、ロープのようなものの上を通る。舟底の掃除なのだそう。
葦原は広いが、狭い水路で幾つかに分かれている。
森のようなところも。
滑らかな水面を、ギーコ、ギーコという櫂で漕ぐ音を聞きながら、ゆったりと進んで行く。
一定間隔でペットボトルを付けた籠状のものがある。フナなどが掛かるのだという。
梅雨入り前なので、琵琶湖の水位を下げているため、水が循環しないので濁っているのだという。それでも木陰には植物や空が映ってウユニ塩湖みたい・・・違うか😉
手こぎ舟には屋根も付いているので、直射日光も当たらず、風も涼しく快適。
先に行く舟に追いつきそうで追いつかない。
開けてきた先には近江兄弟社学園のグラウンドのフェンス。
先ゆく舟は右の方へ行ってしまったが、左前方には別の手こぎ舟が。
②その先で狭い水路に入ると、ヴォリーズグラウンド前という名のバス停が
その道路の橋。先ほどバスが通って行った。
左は畑、右は桜並木
次の橋のたもとには居着いたカモたち。舟が近づいても見向きもしない。
麦秋越しに八幡山。羽柴秀次がこの山に城を築いたという。
③右手に別の橋が見えてきた。
古い石垣もあるのだとか。
橋を過ぎると広い池のようなところに出てきた。西の湖園池と呼ばれているが、西の湖はもっと先にあるという。
小さなカイツブリが遠くにいる。でも近づく前に水に潜ってしまう。
カイツブリの生まれたてのヒナ、ほんまに毛綿みたいに小さいのが水に浮かんでますんや。今は数も少なくなって、見かけることも滅多にありまへんけど、と船頭さんはさも可愛げにカイツブリのヒナを表現されるのだった。
私の住んでいた近くの川や、現在時々通るゴミの浮いた小川でもカイツブリは見ることはできるが、そんな可愛い姿は見たことがない。
GPSの地図は変で、Google Earthで見ると2つの島があり、それを橋が繋いでいる。
なんと橋脚は、木材に似せたコンクリート製だとか。
そう言われると人工的・・・ほんまに分かったのか😑
観音正寺がある繖(きぬがさ)山。安土城が築かれた安土山は左の低い山。
和船は向きを変えて
④また狭い水路へ。
今度こそ木橋をくぐる。
木造の橋脚では荷重に耐えられないので、両側の石垣が橋を支えているという。あれま🙄
前を行くの和船の船頭さんは80歳を過ぎた方で、段々速度が落ちてきた。我々の乗った舟の船頭さんも70代、一番若くて50代とか。
葦原の傍に竹が立ててあるのはオオヨシキリの姿の目印ですと船頭さん。
ゆっくりゆっくり進んで行く舟といっても、動いているところから、どこにあるのかわからない巣を見つけ出すのは難しい。その上葦の茎の奥にあるのでピントを合わせるのは無理!
2つ目の巣は写せたがこの程度🤔
それでもオオヨシキリの姿を捉えることができた。
その昔、オオヨシキリはどんな鳥なのだろうと、河原を歩き回って探したことがあったが、行々しい声はシーっと言いたくなるほど騒がしいのだが、姿はどこにも見えなかった。
そんなオオヨシキリは、葦原が広いこともあって、あちこちで鳴いており、複数の個体の姿が見えた。でも写せたのは1羽だけ。
スズメ科なので地味な色
ライバルを威嚇して、こんな細い枝から飛び上がったと思うと急降下したり、鳴いたりと忙しい。縄張り争いなのだそう。
いつの間にか80代の船頭さんの舟は後方に回っていた。
もう一つ橋をくぐって乗り場にもどった。
川沿いに住んでいた頃は、冬になるとオナガやヒドリのカモ類がやってくるので、ベランダからバードウォッチングができた。
ある時などは、大きな魚(多分ボラ)を掴んだトンビが風に流されて、あわや窓ガラスに当たりそうになったことも。
バンやオオバンは、数は少ないが必ずいたので、カモ類が帰ってしまうと、水辺を楽しませてくれたものだった。
そう言えばマガモの中には帰らないものもいて、河川敷で鳥たちを眺めていると我々に寄ってきたことがあった。夫はその時緑色のスウェットを履いていたが、それを草と間違えたのか、なんとカモに脚をつつかれて、「痛い、痛い」と逃げ回っていたのを思い出した。
そんなできごとを思い出す、ゆったりとした2時間の舟遊びとなった。
近江八幡山← →アクアライナーでちょこっと水の都大阪めぐり
関連項目
安土城
参考にしたもの
近江八幡市文化観光科のおうみはちまん お土産・味処という地図
近江八幡和船観光共同組合のちらし
参考文献
「山渓カラー図鑑 日本の野鳥」 1985年 山と渓谷社