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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/10/01

アテネ国立考古博物館 ミケーネ3 瓢箪形の楯は8の字型楯



ミケーネの考古博物館では、フレスコ画に楯があった。勝手に瓢箪形楯と名付けた。
どこを飾っていたものか確かめるのを忘れていたが、宮殿か邸宅の壁面にあったことを想定するほど大きなもので、牛の皮を張り付けたかのように、皮のブチが丁寧に描き出されていた。
ついでに書くと、楯中央の長いものは、両側が尖った槍ではないだろうか。
そしてくびれた部分には連続渦文の文様帯がありそうだった。

また、後日訪れたアテネ国立考古博物館にもこの形の楯のフレスコ画や、小さな模型のようなものが幾つかあった。

楯 フレスコ 

上に何かが付け足されている。
説明は、8の字型楯が真ん中に吊り帯を付けた状態で描かれている。楯にある模様は、本物が牝牛の皮でできていることを示している。
8の字型楯は防護具だが、ここでは戦いの女神のシンボルになっている(このタイプの楯は、金、象牙、半貴石などの模型がある)という。
真ん中の両端が尖ったものは槍ではなく、吊り帯だった。


別のコーナーには同じ場所から出土した土器類と共に、8の字型楯の壁画も展示されていた。
その拡大。
ここにははっきりと連続渦文の文様帯がある。
連続渦文についてはこちら

小さな板にも8の字型楯が表されていた。
この遺物の図解では、中央の楯を挟んで、2人の女性(女神)が、を差し伸べている。戦勝祈願でもしているのだろうか。
説明は、壁画という美術が最初に現れたのはクレタのミノア時代で、宮殿建築と近い関係にあった。ギリシア本土に壁画が広まったのは、ミケーネ人がクレタのクノッソスに彼らが自ら宮殿を築造(前15世紀末)した後に、ミケーネ、ティリュンス、テーベ、ピュロスの宮殿が建造された時であった。主に金属の酸化物からなる天然の顔料で漆喰の表面に描いた。
前13世紀のミケーネの祭祀センターにある壁画は特に重要である。女神への宗教的奉納と、軍神を象徴した8の字型楯であるという。
女神への奉納場面はミケーネの考古博物館に収蔵されている。その壁画についてはこちら
この小さな板は、2人の女性が戦いの女神に何かを捧げている場面を表しているのだ。

円形墓域Aの出土品のコーナーにも銀製かと思われる8の字楯の模型があった。
壁画で見ると平たいが、このハマグリのような二枚貝を開いた形にも見える。

8の字型楯 象牙
象牙製のものが別のコーナーにあった。

また別の象牙製品のコーナーには8の字型楯が並んでいた。兵士の護符にでもされていたのかな。

ではなぜこの妙な形のものが楯とわかったのか。
それは円形墓域A、Ⅳ墓出土の短剣に描かれているからである。
短剣には、ニエロの地に金や銀の象嵌で、向かってくるライオンを8の字楯や家形槍で迎え撃つ場面が描かれている。
ニエロ象嵌についてはこちら

アテネ国立考古博物館 ミケーネ2 円形墓域A出土の墓標← 
                    →アテネ国立考古博物館 ミケーネ4 象嵌という技術


関連項目
アテネ国立考古博物館 ミケーネ7 円形墓域Bの出土物
アテネ国立考古博物館 ミケーネ6 ガラス
アテネ国立考古博物館 ミケーネ5 貴石の象嵌
アテネ国立考古博物館 ミケーネ1 アガメムノンの黄金マスクとはいうものの