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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/05/06

コアガラスは古いものほど素晴らしい

コアガラスはもっと古い時代から製作されている。

梨形壺 前13世紀頃 イラク、ウル出土 ガラス 高11.8径5.9 大英博蔵
『大英博物館展図録』は、表面に埋めこまれた青緑色の細線による波形装飾が印象的である。
表面装飾の方法として、表面に別の色ガラスを巻きつけたりする例も少なくないが、ここでは細線を埋めこんだほか、胴から首にかけて縦に襞を作り、技法の習熟を思わせる例となっているという。
溶かした色ガラスを巻きつけて引っ掻いてもなかなか直線的なジグザグ文にならないので、細く短く切った色ガラスを器体に埋めこんで直線的なものに仕上げようとしたのではないかと想像させるような作品だ。
しかし、縦溝をつけることによって、せっかく並べた細いガラスがゆがんでしまったような印象を受ける。
縦に畝のあるコアガラスは数世紀後には完成度の高いものとなっていった。

双耳付壺 イラン、伝スーサ出土 エラム王国末期(前8-7世紀) 高11.7㎝胴径6.5㎝口径1.6㎝ 岡山市立オリエント美術館蔵
「ガラス工芸-歴史と現在展図録」は、ガラス容器は前16-15世紀頃に北シリア~北メソポタミアで創始されたが、しばらく作例に乏しい時期を経て、前8-6世紀頃に再び出土例が増える。一見地味な印象を受けるが、これは当初の鮮やかな色彩が失われ、白く変色しているため。同じコアガラス技法でも、この時期までのガラス容器は加工が入念で、この資料も容器全体が薄手に作られ、装飾にはきわめて細いガラスを巻き付けているという。
「古代ガラスの技と美展図録」に松島巌氏による復元の過程が掲載されているが、それは前回の製作法とは異なっている。
①②は同じ ③文様となる色ガラスを口の方から下へ回転させながら細く巻き付けていく ④ナイフ状の工具で表面を上下に切るようにしてジグザグ文にする。胴部の凹凸はそのまま残し、底の方は加熱して凹凸をなくす ⑤別に作った把手を熔着する。徐冷後、中の芯を掻き出して完成という。
尖ったもので引っ掻くよりも、上または下方向に刃を押しつけた方が直線的なジグザグ文ができそうな気がする。ジグザグ文の上方向の角と下方向の角両方に刃を押しつけた痕が残っている。
松島氏は③で色ガラスを溶かしながら巻きつけて復元しているが、梨形壺と同じように色ガラスを細く切って埋めこみ、ある程度溶けたところで刃を上下に押しつけるという技法で制作されたのではないかと思えるような今は白いガラス線が、ところどころで本体のガラスに溶けきれずに残っているように見える。
ガラスを細く切ったものにしろ、溶かしながら巻き付けたにしろ、これだけの細い線をくっついてしまうこともなく、ほぼ平行に置く技術はすごい。
古い時代にはもっと細かい文様が作られていた。

コアガラス器 テル・アル・リマフ出土 前14世紀頃
『世界古代文明誌』は、このガラス器は、当時の陶製容器をかたどったものである。心型(中子)を使って鋳造されたことがわかる。その模様は、色ガラスの棒がまだ固まっていない容器の表面にジグザグに擦りつけられて描かれたものであるという。
器形が当時の土器に似せて作られたというが、前12-11世紀のモザイクガラス坏とよく似ている。メソポタミアでは、長い期間にわたって、同じような器体のガラス坏が作られていたのだろう。脚部が胴部に比べて小さすぎて安定が悪いのでは。
「擦りつける」という表現がよくわからないが、上下に引っ掻かれたために線が微妙な曲線となったのだろうか。それとも、刃物で上下に切るようにジグザグ文を作り、その後加熱して溝や畝をなくして平らに仕上げたのだろうか。上側の文様には上下両方向とも細い縦線がはっきりと残っているので、刃を上下に押しつけてジグザグ文を作った後に、表面を滑らかにしてから徐冷したのかも。
どちらにしても、細い色ガラスの線が密で、同じ数の色を使って捻ったレースガラス棒を口縁部に巻き付けるなど、丁寧で技術の高い仕上がりとなっている。
ちょっと変わった羽状文もある。

三脚ビーカー イラク、アッシュル37号墓出土 コアガラス 高9.5㎝ 前15-13世紀 ベルリン国立博物館西アジア美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、アッシュルからは前2千年紀半ば過ぎに年代づけられるガラス容器が、いくつかまとまって発見されている。アッシリアが隆盛となる以前にメソポタミア北部を支配下に置いていたミタンニ王国では、ガラスの製造がさかんであり、大規模な工房が営まれ、そこで生産された作品は各地で珍重された。アッシュル出土のガラス容器も、この流れを受けたものであろう。芯を覆ったガラスが冷めるまでのわずかな時間に、容器表面を文様帯に区切って細かく施文しており、他の時代には見られない、複雑、多様で手の込んだ仕上げになっている。短時間でこれだけの施文を仕上げた職人の技術の水準の高さは、驚嘆に値するという。
『ガラスの考古学』は、胎は濃黒紫色ガラス。胴部に4条の垂綱文が施され、そのうち最下段の1条は反転している。文様部は現在白色化しているが、部分的にトルコ青色が残っているという。
これはどのように文様帯を作ったのだろう。青色ガラスを幅広く3段巻いて、その上側だけを引っ掻き上げてU字形を並べていき、表面が滑らかになったところで、各頂点に丸く付けていく。先に付けた点々は溶けて平たくなってしまったのだろう。
今のところ最古とされているコアガラス片がシリアで出土している。

コアガラス片 シリア、アララク出土 前16世紀末 大英博蔵
『古代ガラスの技と美展図録』は、北シリアのアララク遺跡から最古のコアガラス容器片が出土して ・・(略)。
メソポタミアでは紀元前15世紀頃のミタンニ王国領内の北シリアのアララク遺跡や北イラクのヌジ遺跡から、コアガラスのゴブレット坏や長頸瓶が報告されています。すでに水平方向に波打つ脈状の文様があることから、こちらも装飾方法まで完成した形で急に登場したと見えますが、ガラスビーズや釉薬、ファイアンスの発展とも考え合わせると、ガラス製容器が作られる素地は十分にありましたという。
この断片からも、溶かした色ガラスを上下方向に引っ掻いたらしいことがわかる。コアガラス容器のできはじめの頃にもジグザグ文を施そうとしたのだろう。
何本もの平行線によるジグザグ文は前5千年紀の土器にも表されている。ジグザグ文には、魔除けのような意味があって、土器や神殿の装飾壁、そしてガラス容器にまで使われる文様帯となったのではないだろうか。
『ガラス工芸-歴史と現在展図録』は、この時期のメソポタミアのガラスは、その後どの時期にもないほど、多様で複雑な、手仕事としては最も高度な技術によってつくられており、本格的なガラス工芸史の開始直後にピークがあったわけで、これを見ると、その後の人類のガラス史は、大量生産=省力化=退化の歴史であったと言わざるを得ないという。
本当にその通りだ。

※参考文献
「MUSAEA JAPONICA3 古代ガラスの技と美 現代作家による挑戦」(古代オリエント博物館・岡山市立オリエント美術館編 2001年 山川出版社)
「ものが語る歴史2 ガラスの考古学」(谷一尚 1999年 同成社)
「ヴィジュアル版世界古代文明誌」(ジョン・ヘイウッド 1998年 原書房)

「ガラス工芸-歴史と現在」(1999年 岡山市立オリエント美術館)
「大英博物館展図録」(国立国際美術館他 1990年 日本放送協会・朝日新聞社)
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)