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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/02/27

慶州天馬塚の金冠


『世界美術大全集東洋編10』は、朝鮮半島の古代文化を象徴するのは、新羅の金製品である。
今日までに金冠塚、皇南大塚北墳、天馬塚、金鈴塚、瑞鳳塚の合わせて5基の古墳から典型的な金製の新羅式冠が出土している。これらはみな新羅の都があった慶州の邑南(ゆうなん)古墳群に属する
という。
もっとたくさんあるのかと思っていた。
金冠塚に比べて立飾の枝が太くなり、列点文が2条になるなど、新しい要素が見られる。冠帯の左右には、冠垂飾が一つの金環から長短2条下がる。1条は、3枚の金板を折り曲げ、背中合わせにして作った三翼形垂下飾を先端に垂らす。中間の飾りは、細金板を二つに折り曲げた両端に輪を作り、細金板の周りを金線で螺旋状に巻き付け枝を出し、その先に心葉形歩揺を垂らした金具を9個連結している。他の1条は、華籠形中間飾りに3個の心葉形垂下飾を下げるという。
垂飾は新羅から出土した皇南大塚北墳金冠塚瑞鳳塚・金鈴塚の金冠にそれぞれついていて、飾り・金冠への取り付け金具はすべて異なっている。 
新羅式金冠は、鉢巻き式の冠帯に「山」字形を上下に3、4段連ねた立飾が正面と左右側面に一つずつ立ち、背面に鹿角形立飾が1対立つ形を典型としているという。
この型式のもっとも古い形は、邑南古墳群内の南に位置する校洞から出土した1段の「山」字形の立飾をもつ金冠である。金板には打出列点や蹴彫りがみられず、円形歩揺が冠帯と立飾につく簡素なものである。民家の塀の修理中に偶然発見され、金製耳飾り、金銀装素環頭大刀、三葉文環頭大刀などが合わせて届けられた。遺構は後に調査され、直径15.6m(復元)の積石木槨墳であることが判明した。これらの遺物は、おそらくこの古墳からの出土と見てよく、古い様相をもっており、金冠も新羅初期のものと見てよいだろう。新羅は、歴史書によれば377年に中国の前秦に使者を送ったという記事があるので、4世紀後半には成立していたとみてよいという。
これが慶州で最初に作られた金冠らしい。1段の「山」字形の立飾というが、太い幹と枝の樹木を表したとみる方が自然だろう。側面の立飾は樹木形なのか、鹿の角形なのか、木の葉のような歩揺があるので樹木形のようだ。 『図説韓国の歴史』は、祭政一致時代の韓国の王は、王であるとともに、祭祀を司るシャーマンであった。新羅(シルラ)や百済(ペクチェ)、伽耶(カヤ)国などの故地から出土した金冠や金銅冠なども、シャーマニズムにかかわる冠物とみて大きな間違いはない。聖樹を立て飾りに用いたそれらの冠は、生命樹つまり樹木信仰の具象化した形だとわたしは思う。横に鹿の角を立てた冠などがシベリアのシャーマニズム文化圏でも見られるという。
シベリアと新羅・百済・伽倻の間には高句麗という国があったのに、高句麗にはこのような冠はないようだ。高句麗を経由せずに、どのようにしてシャーマニズムや樹木形や鹿の角形の立飾のある冠が伝わったのだろう。

※参考文献
「韓国の古代遺跡1 新羅篇(慶州)」(森浩一監修 1988年 中央公論社)
「図説韓国の歴史」(金両基監修 1988年 河出書房新社)
「黄金の国・新羅-王陵の至宝展図録」(2004年 奈良国立博物館)
「天馬 シルクロードを翔る夢の馬展図録」(2008年 奈良国立博物館)
「いまこそ知りたい朝鮮半島の美術」(吉良文男 2002年 小学館)