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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/01/23

八友亭ロータリーにも積石木槨墳があったらしい

 
慶州には大きな円墳があることは知っていたが、旅行前に調べていると、3泊4日の滞在では見切れないほどたくさんあることが判明した。その中から古いものを選んで見学しようと思ったが、現地に行ってみると、調べたよりもずっとたくさんの古墳があったのだった。

慶州見学の最初の日に、ヘジャンクッを食べようとバスを降りたら、八友亭ロータリーの西南の角に円墳を見つけた。
それについては慶州で見学した古墳第1号は皇吾洞325の円墳をどうぞ。325というのは325号墳ではなく、325番地だろうとは思ったが、何号墳かわからなかった。
ところが、後日『韓国の古代遺跡1新羅篇』で、それが皇吾洞3号墳で、しかも円墳ではなく瓢形墳であることがわかった。  その上、おっちゃんが車窓から瓢形をほぼ完全に撮っていた。この古墳はどこから入って見学するのだろう。柵沿いに自転車(レンタサイクル?)が並んでいるのは古墳を見学している人達ではないの? 「八友亭ロータリー」という交差点名なのにロータリーになってないやんと思っていたら、以前は4号墳を中心にロータリーになっていたらしい。

同書は、1949年ごろから、市街化・道路建設にともない、計画区域の調査がおこなわれ、皇吾洞の「八友亭」ロータリー一帯でも10余基が発掘された。4号墳はロータリーの中央部にあったが、拡張工事のため除去されることになり、やむなく事前に調査されることとなった。深さ約2.8m、上面で東西7m、南北約4.5m、下底で東西5.8m、南北5.15mの墓坑を掘り、底面には偏平な河原石を敷きつめ、外側に人頭大の河原石を積み上げて槨底の輪郭として、その外側に積石する。槨壁と積石の間には小礫をつめ、槨内には木棺を納める。木槨は東西約3.8m、南北約1.15m、高さ約1.5mであった。積石部は東西7.5m、南北6.0mをはかる。副葬品として、金製耳飾り・銀釧・銀製袴帯・嵌珠金製飾玉付き垂飾・飾履、銀製環頭太刀、馬具、 ・・略・・  腰偑・銅製容器の副葬はきわだっているという。
6世紀前半の積石木槨墳だったらしいが、調査当時すでに、写真のようにかなり崩れていたのだ。これだけ崩れていても、潰してしまわないで残されていたともいえる。
また、金冠などが出土していないので王墓ではないとしても、4号墳の主は、豪華な副葬品とともに埋葬された、位の高いあるいは有力な人物だったのだろう。 八友亭ロータリーの東南の角にも古墳があったらしい。5号墳も同様の構造であったが、墓壙を地山直上につくる点がことなる。5世紀後半という。  皇吾洞の一角に集中する古墳群については、道路建設などにともない、のちに壊されたにせよ、比較的発掘調査が進んでいるというが、3号墳についての記述がないので未発掘かも。
北西から見た八友亭ロータリーです。 皇吾洞古墳群が築かれた時代にはどのくらいの墳墓があったのかわからないが、20世紀半ばまでは崩れていたにせよ、ある程度の古墳が残っていたことがわかった。そして、都市化に伴い姿を消していったのはある程度しかたのないことかも知れない。きちんと発掘調査されたのが救いやね。

※参考文献
「韓国の古代遺跡1 新羅篇(慶州)」(森浩一監修 1988年 中央公論社)