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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/01/09

西山古墳の近くの大きな横穴式石室は塚穴山古墳

 
天理市教育委員会作成の西山古墳の説明板は、周濠の外堤に埴輪棺墓・石棺墓・小石室など付属の埋葬施設が造られましたが、古墳時代後期には外堤をこわして塚穴山古墳の外堤が造られたという。近くにあるのなら塚穴山古墳も見学してみよう。

塚穴山古墳の外堤というのは現在ではよくわからない。西山古墳の北側に広がる馬場を横切って、急な坂を枯れ葉で足を滑らせながら登ると土の塚があった。何かありそうなので左に回り込み、切れ込んたようなくぼみを見つけた。ずっと奧には石室がありそう。 人が通ってできあがったような通路を通っていくと、大きな石が並んでいた。これが塚穴山古墳の横穴式石室らしい。羨道が立派で長い。石室は一段高くなっているのがはっきりと見える。石室は幅は広くないが、大きな石が、平たい面を重ねて築かれている。右奧の上にも平らな大石が積まれていたのだろう。
石舞台古墳くらいの大きさがありそうじゃ
残念ながら蓋石が全くないので築造時の天井の高さがわからへんなあ。  上に上がってみた。石室には、大きくはないが平らに石が敷かれていて、三方の壁の際にも溝が回っている。排水を考えて造られているようで、今まで見た横穴式石室では飛鳥の石舞台古墳にあっただけかな。少し下がって全体を見ると、円墳であることがよくわかるなあ。蓋石と土を盛ったら、もっと高い墳丘だっただろう。今まであちこちで見てきた露出した横穴式石室も、規模は違ってもこんな風になっていたのだ。頭ではわかっていたが、このような形を実際に見ると墳丘の大きさが実感できた。
天理市のホームページは、勾田町に所在する径63.4mの円墳で、墳丘の周囲には周濠がある。古墳には明日香村の石舞台古墳に匹敵する長さ約17mの巨大な横穴式石室が残っており、横穴式石室の規模では、本市最大である。年代は6世紀末から7世紀前半に築造された古墳時代終末期の古墳と思われるという。
石舞台古墳は玄室長7.8m、羨道長は11.5m(明日香村説明板より)なので、長さは2mほど短い。高さは石舞台古墳ほどあったのだろうか。  両袖式である、というよりも、石室に比べて羨道が広いのだろうか。これだけ平らな壁面なら、壁画があっても不思議ではないが、当時の日本では石室に壁画を描くということはなかったようだ。高松塚古墳は7世紀末から8世紀初めともう少し後の時代になる。
左奧に見えるのは西山古墳の前方部。  墳丘の周囲を蓋石がないかと探してみたが、このような鏨跡?があちこちに残るごろんとした石くらいしかなかった。そういえば、塚はちょうど蓋石を移動させるのにちょうど良いくらいの高さになっている。
こちらは円墳なのか、方形の平面に円墳がのっているのか、よくわからなかった。そして環濠はまったくわからず、西山古墳の外堤を壊して築いたという塚穴山古墳の外堤もよくわからなかった。

※参考文献
天理市ホームページ古墳ガイド
天理市教育委員会作成の説明板