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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/03/18

法隆寺の五重塔はすっきりと美しい


回廊の南西隅から境内に入ると五重塔が見えてくる。塔の南正面に行くと礼拝石があった。各層の屋根は反りがなくてすっきりしている。
山田寺のものは平たく四角い切石だったが、これは適当な石がごろんと置いてある感じだ。上は平らではないこの石のでどのように礼拝したのだろうか?
そういえばこの塔の幅は6.42m、山田寺の五重塔とほぼ同じだったらしい。しおりによると、高さは31.5m(基壇より)で、『日本史リブレット71飛鳥の宮と寺』によると、薬師寺三重塔とあまり変わらないらしい。『国宝法隆寺展図録』によると、五重塔に用いられたいわゆる飛鳥様式の建築の特徴は、胴張のある柱、雲斗、雲肘木、皿斗を用いた組物、一軒で反りのない軒、  ・・略・・  とくにと組物は尾垂木とともに天秤式で屋根を受け、隅の柱上では45度方向にしか出ない簡潔な構造体を形成している。飛鳥様式は玉虫厨子や発掘調査で出土した山田寺回廊の部材等からも知られるが、西院のそれとは相違点も多い。
金堂・五重塔の組物は、柱上の皿斗付大斗に雲斗・雲肘木を組み、その上に尾垂木をのせ、尾垂木の先に雲肘木を置いて出桁を受け、垂木をのせる
という。 そして、五重塔の裳階の四隅には邪鬼がいて、初層の軒から出る尾垂木を支えている。そしてその上に十字に組んだ隅出桁下雲肘木がのっている。邪鬼の造形も面白いが、尾垂木の切り口の飾り金具も素晴らしい。軒の角垂木にも飾り金具が残っているものもある。頭と両腕で尾垂木を支えている邪鬼もいる。横から見るとこんな感じです。初層北面には仏涅槃の場面の塑像群。和銅4年(711)と、天平時代が始まったばかりの頃に完成した。山岳表現が興味深い。 前面の泣き叫ぶ比丘に比べ、釈迦が涅槃に入ったことを知って落ち着いている菩薩たちが横になっている釈迦の背後に並んでいる。その並びの釈迦の足元にいるのは阿修羅だろうか?阿修羅の右隣は八部衆の誰かのようにも思えるし。
これらの塑像群の衣の表現から比べて、釈迦涅槃像の衣文が煩雑なような気がするなあ。 東面には維摩が病と聞き、見舞いに訪れた文殊菩薩の場面。こちらは両側から雲が沸いている。 『美術ガイド奈良』によると、釈迦の一代記の重要場面を置くことで、塔が元来釈迦の遺身である遺骨(舎利)を安置するための建物であることを、暗示し物語っているのであるという。ほかには、西面に釈迦の遺骸を焼いた後舎利を分けた事績(分舎利)を、南面に釈迦の死後56億7千万年の後に悟りを開いて人間を救いにやってくる弥勒仏の世界(弥勒浄土)といった釈迦の一代記に関係する話をそれぞれ表現してあるという。
悔しいのは、時を隔てて来るごとに、金網の奥に見えるこれらの様子が見えにくくなることである。それは私の目の経年劣化だろう。

せっかく山田寺の伽藍址を歩いたのだから、西側から塔と金堂の並びを見れば良かったなあ。東側から見るとこうです。

※参考文献
法隆寺のしおり
「国宝法隆寺展図録」(1994年 NHK)
「美術ガイド奈良」(1979年 美術出版社)
「日本史リブレット71飛鳥の宮と寺」(黒崎直 2007年 山川出版社)