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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/03/10

御破裂山(ごはれつさん)が破裂したのではないらしい


分岐から御破裂山へ向かう。教養がないので、「おはれつやま」だと思っていたが、「ごはれつさん」が正しいらしい。7分も歩くと陵墓らしきものが見えてきた。 立て札に山頂に藤原鎌足公のお墓があり古くから国家に不祥事がある時に「神山が鳴動」した記録が多く残っていますとあった。火山だろうか? 石段を登り詰めるとこのようになっている。これが何度か破裂したのだろうか。火山の噴火? 脇に道がついていた。 裏はこんな風になっている。円墳かな?どうも火山のように思えない。飛鳥寺西門址外の入鹿首塚付近から眺めた御破裂山。甘樫丘より眺めると同じような高さの山頂が4つ見えた。たぶん一番右が御破裂山。御破裂山は標高607mで、飛鳥や橿原からはよく見えるが、頂上からは木々や峰の一部が邪魔してよくわからない。飛鳥寺も甘樫丘も見えず、山田寺址や飛鳥資料館さえわからない。場所を変えると二上山畝傍山が見えた。 飛鳥方面に下りていく分岐があった。車でなければこの道をのんびり歩くのもええやろね。談山神社のウェブサイトによると、十三重塔を定慧(鎌足の長男)が造立したのが天武7年(678)、多武峰尊像破裂(御破裂)の始めが昌泰元年(898)、以後35度に及ぶという。慶長12年(1607)閏4月に御神像最後の御破裂ということで、山が破裂していたのではなく、御神像が破裂していたらしいことがわかった。火山でないことはわかったけれど、破裂するたびに御神像を造り直していたのだろうか?
そして長い間に、興福寺衆徒に多武峰堂舎を焼かれたり、多武峰一山の伽藍坊舎が焼失したりしているのだが、そういう時に神像が御破裂したのかしなかったのか、全く記載がないのが残念。

※参考ウェブサイト
談山神社公式サイト年表