お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/04/04

田上恵美子氏とフェニキアの人頭玉・人面玉



田上恵美子さんは田上惠美子さんでした

10年以上前のことだが、阪神間のあるデパート内をぶらぶらしていると、ガラスで作った玉をたくさん入れた小さなワゴンが目に入った。その前に立っていたのが田上恵美子氏だった。
尋ねると「鉄芯に胎土をつけて、バーナーでガラスを熱しながら胎土に巻いていって・・・という風に作るトンボ玉というものだ」と教えてくれた。
ワゴンの中をじっくり眺めていると、きれいなトンボ玉の中に1つ、異彩を放つものが目に止まった。それは「フェニキア人頭玉」(写真はその表と裏)という、トンボ玉の中でも貴重なもののコピーだと言う。ここで私の気持ちは傾いて、それを購入してしまった。しかし、この時はまだ、何故、人の顔をペンダントとして身につけるのか、考えていなかった。
これが私のトンボ玉との出会いであり、古代ガラスというものに関心を持つきっかけとなった。ものごとの起源を探るのが好きな私は、トンボ玉や古代ガラスの本を買ったり、美術館に行くこととなった。
以前「トンボ玉の人面人頭はどんな由来でしょうか。人の首を象ったガラス玉を繋いでイヤリングにするなんて、人狩り族か古代戦勝者の残虐性の名残の様に思えてなりません」という質問をされたことがあった。
私は、フェニキア人頭玉や人面玉を身につけることを残忍なことと思ったりしなかったので、これには驚いた。しかし、それは三蔵法師が首につけた骸骨の首飾りと同じ魔除けではないのだろうか(三蔵法師が首に巻く骸骨は)。
現在のところフェニキアの人頭玉(前6から1世紀)や、人面トンボ玉なども、その起源はわからないが、魔除けや護符として使われたと考えられているようだ。

1 人面トンボ玉 前1から後1世紀 ローマ帝国領となったフェニキア地方 MIHO MUSEUM蔵 

2 デーモン・ヘッド・ビーズ 前13世紀 北シリアのエブラ出土 とんぼ玉美術博物館蔵
トンボ玉以前、溶かしたガラスやファイアンスを鋳型で成形していた時期には作られた。顎の下に穴が見えるように、紐を通して掛けていたのだろう。これも魔除けとして使われたと考えられている。
東地中海北部のフェニキアとの関係は不明であるが、地理的には近い。
3 イッソスの戦い ポンペイ出土 舗床モザイク ナポリ考古学博物館蔵
アケメネス朝ペルシアの王ダリウスⅢ世と戦うアレクサンドロス大王の胸にメドゥーサの首が見える。これも護符とされている。何故自分を見た者を石にするというメドゥーサが護符になったのだろうか。 ともかく、このように恐ろしいものをお守りとして直に身につけるということも古くから行われていたようだ。

※参考文献
「古代ガラス展図録」 MIHO MUSEUM 2001年
「館蔵 世界のトンボ玉図録」 とんぼ玉美術博物館 1996年
「ポンペイ・奇跡の町」 ロベール・エティエンヌ 1991年 知の発見双書10 創元社