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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/03/12

三蔵法師が首に巻く骸骨は

朝日新聞の火曜夕刊に連載されている『祈りの美』を楽しみにしている。先日は「玄奘の首飾り」というものだった。それで思い出したのだが、以前玄奘三蔵の首にある、小さな頭蓋骨の目に紐を通したような首飾りについて書いたことがあったので、忘れへんうちに、記載しておこう。

玄奘三蔵像 鎌倉時代(14世紀) 絹本著色 東京国立博物館蔵(重文)
これはインドから経典を持ち帰る玄奘三蔵を描いたものである。その首には頭蓋骨を9つぶらさげている。ずらりと並んだ頭蓋骨の首飾りというのは、見ようによっては不気味だ。
少し気になって頭蓋骨の首飾りは他にないか調べた。つい最近見たような気がする。『大勧進 重源』展で展示されていた深沙大将立像だった。

深沙大将立像 鎌倉時代(13世紀) 木造彩色 和歌山・金剛峰寺蔵
6つの頭蓋骨を付けている。なんでこんな髪が天を衝き、恐ろしい形相の大将と三蔵法師が同じような首飾りをしているのか。

『仏教美術の基本』は、玄奘三蔵が天竺に渡り経典を負って流沙(砂漠)にさしかかったときに、奇怪な姿であらわれ、三蔵を守ってぶじ唐に送り、また姿を消したといわれる神で、赤身の裸形で臍と膝頭に人面があり、頸から骸骨をつないだ瓔珞(ようらく)をかけているという。
ただ、13世紀(鎌倉初期)に快慶によって作られたというこの深沙大将立像の膝は象面となっている。三蔵法師の「骸骨をつないだ瓔珞」は深沙大将からもらったものなのだろうか。『玄奘三蔵の道』展図録は、このような姿の僧は、玄奘の砂漠での旅を救い、また大般若経の守護にあたる深沙大将とともに釈迦三尊十六善神像や大般若十六善神像の中に描かれており、その説話的要素によって玄奘と解釈されるという。
「髑髏の胸飾り」についての説明はない。これを苦難の砂漠路を無事に抜けるためのお守り、あるいは魔よけ、つまり辟邪と考えるとどうだろうか。

虎を伴う行脚僧図 唐末期(9世紀末) 紙本著色 敦煌莫高窟出土 大英博蔵(スタインコレクション)
 玄奘三蔵と特定されていないものの、玄奘三蔵伝説の初期的なすがたを示唆するものとされている(『三蔵法師の道展』図録より)。この僧は骸骨をつないだ瓔珞をつけていないが、虎という強い獣が魔よけとなっているのかも知れない。
それにしてもこの行脚僧は違和感のある顔立ちである。トルファン郊外というか、火焔山の中に開かれたベゼクリク千仏洞の回鶻期(ウイグル族の統治期で、ウイグル族がイスラーム教徒になるまで)に描かれた壁画にこんな顔があったと思う。
私が何回か取り上げてきた鎮墓獣も、時代と共に恐ろしい形相のものへと変化している。虎や骸骨の首飾りも見た目には恐ろしい程、守護される側には心強いものになっていったのではないだろうか。

ところで、奈良国立博物館研究員永井洋之氏の「ある説として、深沙大将の髑髏は玄奘のもの」を読んでびっくりしたが、結びの「玄奘のかけた髑髏の首飾りも、天竺までの旅の困難さと、玄奘自身の天竺への思いの強さをあらわしたものと考えてみてはどうか」という言葉に、辟邪にこだわり過ぎて、玄奘三蔵の苦難の旅に思いを馳せることを忘れていたことに気がついた。

※参考文献
「三蔵法師の道展図録」 1999年 朝日新聞社
「大勧進 三蔵法師の道展図録」 2006年 奈良国立博物館
「仏教美術の基本」 石田茂作 1967年 東京美術