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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/02/23

戦国時代、楚の鎮墓獣俑は妙なものだった


『世界美術大全集東洋編3三国・南北朝』に八木春生氏が墓中に埋納された鎮墓獣俑の早期の例としては、木胎漆器ではあるが戦国時代の楚墓より出土する、鹿の角をもち、舌を出したものが有名であると述べていたものが気になった。
今まで見た記憶がなかったが、探してみると『世界美術大全集東洋編1先史・殷・周』に挿図があった。

12 彩漆鎮墓獣 戦国中~後期(前4-3世紀) 湖北省江陵県雨台山出土 武漢、湖北省考古研究所蔵
しかし、これでは2本の鹿の角と長い舌を出し、背中合わせになっているものが何かわからない。

舌を出して蛇を食べる怪獣全身像や鹿角を挿した双鹿角器は鎮墓獣の原型であるが、前代には見られなかった神像であるという。
鹿の角が魔除けの効能があると考えられていたのだろうか。 MIHO MUSEUMの彩漆木彫双身双首鎮墓獣は12とよく似た鎮墓獣である。様々な角度から写した写真や解説もある。この強く様式化されたS字型の霊獣が背中合わせに方形の器座上に立ち、各々実物の鹿角を方形の頭につけている。矩形の断面に面取りされた体躯には黒漆地に赤い漆で雲気、方形の結節部には菱文が描かれ、体側の両脇にはその体躯の屈曲に合わせS字型に体をくねらせ長い舌を吐く三組の龍が各々描かれている。おそらくこの霊獣は龍を表現したものではないかと想像される。あるいは死者の昇天を導き護る鹿の働きを、龍が荷うようになって行ったことを示しているのかもしれない。古来、龍は吐舌する形象に作られているが、特にこれは平たい大きな舌を垂らし、邪鬼を威嚇する意味を持たされたものであろうという。
鹿は「死者の昇天を導き護る」働きがあるとされていたことがわかった。そして、角と舌を出したものが龍の頭部で、死者を護る役割が鹿から龍に移行したのだろうと解釈している。
また、鹿の全身像も12よりも早い時期のものが同書で見つかった。

13 彩漆鹿 戦国前期(前433年頃) 湖北省随州市曾侯乙墓出土 武漢市、湖北省博物館蔵
同書に漆鹿が2体出土したことがわかっている。こちらも挿図のため解説がないが、MIHO MUSEUMの上記の説明文により「死者の昇天を導き護る鹿」であることがわかる。 14 金象嵌霊鳥 銅製 戦国前期(前433年頃) 湖北省随州市曾侯乙墓出土 武漢市、湖北省博物館蔵
頭から鹿角のような角が生えた鳥を青銅で作ったものである。戦国時代の湖北省地域(曾国と楚国)では霊力をもつものと考えこられたようで、鹿角をつけた彫塑作品が多く作られた。
この作品は分解、組み立てができるように作られている。 ・略・ 想像にすぎないが、曾侯が旅行するときには分解して持ち運び、滞在地で組み立てる、というようなことが行われたのかもしれない。
嘴の右側面に「曾侯乙作持用終」という凹線による銘文がある
という。
鹿角は鎮墓獣にもつけられたが、普段の生活にも辟邪としてそばに置く物にも付けられていたようだ。鹿と言えば、毎年角が落ちては生えるので、それが輪廻転生や豊作のシンボルとなったというようなことを何かで読んだ気がするのだが、中国の、中でも曾や楚では鹿が死者の昇天を導き護る動物と考えられていたらしい。
そして、死者を護る鹿が、鹿の角は魔除けとなり、鹿の角を龍に付けて龍に死者を護り、昇天に導く動物というイメージが移行していったとするMIHO MUSEUMの解説者の説は面白い。
 
※参考文献
「世界美術大全集東洋編1 先史・殷・周」 2000年 小学館