高松塚古墳に描かれた人々に隈取りは見られない。しかし、右から2人目の赤い着物には隈取りが見られるような気がする。
高松塚古墳の壁画と用いられた顔料が一致する法隆寺金堂の旧壁画の中で、第2号壁の半跏思惟像は隈取りが顕著である。特に肩や腕にはっきりと見て取れる。
橘夫人厨子板絵の須弥座背面に描かれた化生菩薩には三道の下や腕に隈取りがある。しかし、その隈取りは遠近感を出すところとは少し違っているように思う。
天平宝字7年(763)頃に描かれた栄山寺八角堂柱絵には菩薩の顔や首の三道に隈取りが見られるものの、少ししか見えない腕には隈取りがなさそうだ。日本的になってきたというのか、隈取りが立体感を表すものということが忘れられてきたのだろか。
このように、立体感を出すために行われた隈取り(暈繝?)だが、日本に入ってしばらくすると、立体感を出すためではない隈取りへと変化していくようだ。
関連項目
敦煌莫高窟5 暈繝の変遷2
敦煌莫高窟4 暈繝の変遷1
奈良時代の匠たち展1 繧繝彩色とその復元
第五十八回正倉院展の暈繝と夾纈
日本でいう暈繝とは
暈繝はどっちが先?中国?パルミラ?
隈取りの起源は?
トユク石窟とキジル石窟の暈繝?
※参考文献
「日本の美術204号 飛鳥・奈良絵画」 1983年 至文堂