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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2006/11/02

トユク石窟とキジル石窟の暈繝?



トユク石窟では鍵番はいるものの、敦煌莫高窟のような専門ガイドはいないらしく現地ガイドの丁鋳さんが説明をしてくれた。38窟から見学する。
千仏の顔に隈取りがある。「うんげんです。敦煌より古いです」丁さんの説明に頭がガーンとなる。「うんげん」というのは昔から読めるが書けない漢字だったのだ。そう言われると、莫高窟で最古の窟と言われる275窟の天人の輪郭は化学変化で黒くなったにしても、べったりと濃い隈取りだった。なんとなく、ここの千仏(実際は菩薩と仏が交互に描かれている)の方が隈取りに濃淡があるような気がしてきた。なんというええ加減さ。
後日丁さんと共に訪れたキジル石窟では、馬さんが石窟の専門ガイドとしてついてくれた。下の写真は一般の観光客が見学する谷西地区だが、我々は事前に予約して、谷東地区や谷中地区の石窟も見学した。新疆の街路樹の代表ポプラの他にタマリスクや胡楊まで植えてあるオアシスの中を歩いて行くので、ピクニックのようで楽しかった。ただ入口近くの休憩所でカメラなどを預けてしまうので、途中の景色も写せなかったのが残念だった。 最後に見学した谷中地区にある第110窟は6-7世紀とされている。 側壁下部には7図ずつ3段、両側に仏伝図が描かれているが、剥落がひどくて、出家踰城図(下図)しかわからなかった。
ここでもまた馬さんは「うんげん」という言葉を使った。人物の立体感を濃淡のある隈取りで表現していることを「うんげん」という言葉を使っているのだが、漢字は頭に思い浮かばない。「うん」の「日・ワの下が分からない」というと馬さんが「車です。中国では暈染と言います」と教えてくれ、「暈」はその日覚えた漢字となった。そして帰国して調べて見ると「げん」は「繝(けん)」で、その次ぎに覚えた漢字となった。忘れないようにしよう。
確かに、人物や馬に立体感をつけるため、暈繝を効果的に使っている。谷西地区の第38窟は4世紀中-5世紀末とされている。この窟でも暈繝を用いているが、それが上図よりも淡いので、写実よりも優美さが強調されているように思う。同じ谷西地区の第17窟は第110窟と同じく6-7世紀のようであるが、暈繝に使われた色がかなり変色しているので、上の2点のような人物あるいは仏菩薩の優美さは感じられない。顔のネコヒゲのようなものは妙な感じがするが、他の窟にも見られるものだ。
下図は3世紀末-4世紀中頃と最初期の第77窟で、未公開窟のため見学はできなかった。同じく暈繝で立体感を出しているが、今まで見てきたような人物の顔ではなく、もっと彫りが深く(中国風に言うと深目高鼻)表されている。そしてその上にはアカンサスの葉の蔓草文様がある。207のものよりも蔓草らしい表現になっている。やっぱりこのように「暈繝」という言葉を使うのは違和感がある。「隈取り」の方が人物などの立体感を表すのに適していると思う。

関連項目
敦煌莫高窟5 暈繝の変遷2
敦煌莫高窟4 暈繝の変遷1
奈良時代の匠たち展1 繧繝彩色とその復元
第五十八回正倉院展の暈繝と夾纈
日本でいう暈繝とは
暈繝はどっちが先?中国?パルミラ?
隈取りの起源は?
日本でいう隈取りとは

※参考文献
「中國新疆壁畫全集1」1995年 新疆美術攝影出版社
「中國新疆壁畫全集2」1995年 新疆美術攝影出版社
「中國新疆壁畫全集6」1995年 新疆美術攝影出版社