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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/12/25

コンク、サントフォワ聖堂 サントフォワ像


コンクはサントフォワ修道院聖堂がルピュイからサンティアゴデコンポステラへの巡礼路の途中にあり、往時は巡礼者たちの往来で栄えた町だった。

『中世の街角で』は、聖女フォワは303年、コンクから150㎞ほど西南のアジャンで殉教した。若いキリスト者である。その聖遺物がほしいものと、9世紀にコンクの一修道士が巡礼としてアジャンに赴いた。そして10年の間同市に住みつき、土地の人びとの信用を得て、ついに聖遺物守護の任を仰せつかり、首尾よくこれを盗み出してコンクに持ち帰ったという。
その聖女フォワの彫像は、コンク教会のいわば目玉宝物として、地下に安置されているという。
当時は聖遺物は盗んでも罪に問われなかったと何かの本で読んだことがある。「汝盗むなかれ」は誰に対する言葉だろう。

現在ではサントフォワ像は修道院聖堂の中庭西側にある宝物室で、左右に並んだ奉納物の奥のガラスケースに安置され、その周囲を回りながら360度拝見できるようになっていた。想像していたよりも大きな聖遺物の容器だった。
田沼武能氏の『ロマネスク古寺巡礼』にサントフォワ像が写っていた。
同書は、10月の第一日曜日にサント・フォワの祭りが毎年開かれる。宝物殿におかれているサント・フォワの黄金像がはこびだされ、聖堂内陣の台座に安置され、おごそかに祝祭ミサがあげられる。村人はもとより、フランスの内外から人びとがこの祝祭のミサに集まってくる。
過疎化した村人は高齢者がめだつ。若者の多くは他所からきた参拝客。この日ばかりは広い聖堂もあふれんばかりの信者で埋め尽くされたという。

聖女フォワの聖遺物箱 985年頃 高85㎝ 木に鍍金 エマーユ(七宝) コンク、サントフォワ修道院聖堂蔵
正しくはサントフォワ像ではなく、その聖遺物を収めた容器が人物の坐像の形をしているのだ。
『世界美術大全集8ロマネスク』は、アジャン生まれの聖女フォア(フィデス)は3世紀末、地方総督ダキアヌスに捕らえられ12歳で殉教する。彼女の殉教はコンクの聖堂身廊の北側の柱頭に刻まれている。首を斬られた後、「女の魂は鳩の姿をした天使たちによって、不滅の月桂冠を戴きつつ天へと運ばれた」とエムリー・ピコーは1139年頃『サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼案内書』に記すという。

『Conques』は、聖遺物像は9世紀に比定されている。ローマン・カトリック世界で現存する最も古い聖遺物である。それは、聖遺物室の上座に、救世主に次いでサントフォワ像が金の祭壇の上、教会の鉄柵の後方に坐している。
像は玉座に坐るサントフォワを表し、背中に、サントフォワの頭蓋骨が収められている。
イチイの木でつくられた像は金箔で包まれ、幅広の飾り帯は、玉座の側とサントフォワの衣装の縁飾りとなっている。膝と腹部にはゴシック期のものという。
同書は、金線細工が境界線となり、カメオ・凹面の石、七宝、メダイヨンなどの貴石で豪華絢爛に飾り立てられている。
本像は地方種多様な奉納品の集まりで、幾つかは像よりも以前のものである。古い皇帝のものは、寄贈品の数々である。例えば、像の頭部は西ローマ帝国(4-5世紀)のもので、体の主要部分は後補である。おそらくローマ皇帝の胸像の頭部だったのだろう。聖女に取り付けたものという見方をすると、男性的な外観ではある。目はガラスで、耳飾りは10世紀に付け加えられた。
像は王冠をかぶっているが、おそらく皇帝の冠だろう。ある箇所では金箔が剥がれている。そこには、特に背中や胸に、様々なの時代に、材質の異なる品々が寄進によって取り付けられたという。
『世界美術大全集8ロマネスク』は、その勇ましい頭部だけは金の板の打ち出しで、末期ローマの仮面あるいは人像の頭部分だったと考えられる。大きな目は白に紺色のエマーユである。頭上に戴くディアデーマは、頂上に十字に繋ぎ、隙間を三弁花が埋める。この三弁花モティーフはエッセン大聖堂宝物館のオットー3世幼時の王冠や、『オットー3世の福音書』の属州擬人像の被り物にもみえるという。
三弁花は下に茎も表され、金または鍍金された板に石が象嵌されている。中央のものは印章のような沈み彫りが見られる。蔓草を表した金線細工が余白に、粒金細工に見せた擬似線細工が三弁花の輪郭や境界線に使われている。
ここにもスタンプ印章。
『世界美術大全集8ロマネスク』は、カロリング朝の磔刑像を彫刻した水晶という。
周囲の大粒の粒金(英語ではグラニュレーション)に見えるものは、打ち出しのようなもの。
やっぱり擬似線細工や打ち出しで、粒金細工ではない。
天使は
 人物の胸像も

『Conques』は、水晶の球は15世紀に付けられ、両手は16世紀に取り替えられたという。
『世界美術大全集8ロマネスク』は、さまざまの貴石、宝石が雑多に嵌め込まれている。奇異な不釣り合いはすべて、時代もまちまちの信者たちの寄進によるからである。胸に設えられた聖遺物顕示のための銀製の四つ葉形窓の部分は14世紀のものである金属細工の付加や改変は19世紀まで続くという。
『Conques』は、19世紀に脚衣が修復されたという。
両足の外側に磔刑の場面やキリストを表す神の子羊を打ち出した大きなメダイヨンが取り付けられている。他には、人物の横顔を彫った青い石やカメオなど。

宝物館にあるもう一つのサントフォワ像 時代不明 七宝細工
『Conques』は、銀鍍金(昔は金銀と言っていた)の細工された箔に縁取られたアラバスターの板の周囲に、金線細工で装飾された貴石と、その間に嵌め込まれているのは、七宝で表された聖人や四福音書記者の銅板という。
左上から2番目がサントフォワ、右側が聖母マリア。

でも、やっぱり私はタンパンのサントフォワ像が好き。
『世界美術大全集8ロマネスク』は、身を投げ出して祈る彼女の姿と、そのとりなしによって救われた人々の奉納した手枷、足枷がアーケードに吊り左がっているという。

            Joyeux Noël!

    サントフォワ聖堂 タンパン←   →サントフォワ修道院聖堂のステンドグラス

参考にしたもの
「中世の街角で」 木村尚三郎 1989年 グラフィック社
「Conques」 Emmanuelle Jeannin・Henri Gaud 2004年 Edition Gaud
「CONQUES LE TRÉSOR DE SAINTE-FOY DE CONQUES」というリーフレット Grand Sites Midi-Pyrénées 
「ロマネスク古寺巡礼」 田沼武能 1995年 岩波書店
「世界美術大全集8 ロマネスク」 1996年 小学館