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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/01/27

伝貫休筆羅漢図


禅月大師貫休という文字を久しぶりに目にして、あの怪異な顔貌の羅漢図を見たくなってた。
『水墨美術体系第三巻牧谿・玉澗』(以下『水墨美術体系第三巻』)は、今日、禅月大師貫休に関係づける羅漢画には、2つの系統のものがある。一は御物として伝わる信州懐玉山羅漢といわれるもの、二は本図はじめ諸家に分蔵される水墨画の羅漢である。それら現存のものはいずれももとづくところがあるものであるが、現在、主として貫休画として考えられるものは、後者の一群である。彼の画いた羅漢は、ふつう胡貌梵相といわれ、中国人の風貌と異なった怪奇な容貌が特色とされるが、その奇怪さは面相にとどまらず、粗放逸格な画風にも関連していたようである。中唐頃には山水画を舞台にはじまる逸格な水墨画は、五代になると人物画の領域にひろがる。
五代蜀の詩画僧禅月大師貫休といわれる「羅漢図」には龐眉大目、胡貌梵相といわれる奇怪な風貌と、粗放な水墨画法になる一群の作品が今日伝わっている。それらは、李龍眠様といわれる温和な風貌と、着色になる羅漢画と対照的に禅月様と称されているが、北宋以前にさかのぼる古いものはなく、現存遺品は禅月様羅漢としてパターン化された職人画工の作品であるという。

羅漢図第五尊者諾距羅(なくら) 南宋時代 伝貫休筆 絹本墨画 縦112.0横52.4㎝ 掛幅 東京根津美術館蔵
同書は、本図も「二祖調心図」同様、真筆ではなく、南宋頃の制作になるものと思われるが、この枯木や衣文にみられる筆墨は、原初の荒荒しさを失ってはいるが、容貌の怪異さとともに、禅月羅漢の面影を伝えるものと思われるという。
禅月様羅漢図は、顔の怪異さが印象に残っているが、樹木の表現も強烈である。

十六羅漢図(三幅のうち) 南宋時代 伝貫休筆 絹本墨画 縦109.1横50.2㎝ 掛幅 大阪藤田美術館蔵
同書は、本図もそうしたものの一つである。図の衣文や背景の樹木の描写には、写しくずれたと思える意味不明の部分や、本来自然な筆墨の動きが作り出す墨のひろがり、かすれなどの偶然的な要素を、意識的に再現しようとしているふしがみえる。いわば、禅月様羅漢を一つのタイプとして再現しようとした作品と考えられる。なお根津本と本図とは、描写技法からみて同一セットのものとする可能性が強いという。 
羅漢図、三幅のうち 南宋時代 伝貫休筆 絹本墨画 縦109.1横50.2㎝ 掛幅 大阪藤田美術館蔵
同一セットとは、同じ画家が描いた作品が16巻日本に将来されたものということ。確かに着衣や樹木の筆遣いには共通するものがある。それでも、怪異な顔貌は、それぞれに特徴がある。私の脳裡に刻印されている、伝貫休筆の羅漢さんは、どの顔だったのだろう。

『世界美術大全集東洋編5 五代・北宋・遼・西夏』は、奇怪な容貌の羅漢に自画像とされる温顔のそれを配する典型的な(伝)貫休「十六羅漢図」のほか、線描の区分法にかかわりのない特異なものに、「羅漢図」などに代表される、禅月様水墨羅漢と称される一群の羅漢図がある。石恪「二祖調心図」(東京国立博物館)と同様に、四川において頂点をきわめた、いわゆる逸恪人物画を継承し、面貌の精緻な墨線と衣紋の粗放な墨面とを対比させ、線か面かの絵画性を端的に呈示するこれらの作品群は、面貌の墨線が精緻であればあるほど、墨画の粗放さが際立つ一方、視覚的な連想なより衣紋の表現であることがわかるという。

『水墨美術体系第三巻』は、禅月大師貫休の作品と称する遺品は、むしろ数の多さによって我々をとまどわせる。何故このように伝禅月羅漢図が多いかということがまず問題になるが、その答えは先学の研究によってすでに与えられている。小林市太郎氏によれば、禅月の羅漢図は宋時代を通して雨を祈るために用いられたものである。従って、この用途のための模本が、すでにかなり世に流布していた。現在のこるこのような作品のうち原本は禅月の真作であろうと考えられるのが、御物の禅月筆十六羅漢である。この御物本十六羅漢は古く鎌倉末より金沢文庫に伝わったが、明治時代に高橋是清の所有するところとなり、さらに献上されて御物となったという来歴をもつという。
模本の模本ではなく、真作の模本ということか。

十六羅漢図第十一尊者囉怙羅(らこら) 原本・五代(10世紀) 絹本着色 縦92.2幅45.4㎝ 御物、宮内庁蔵
同書は、御物本の十一尊者は、他の各幅が奇怪で現実ばなれした容貌の羅漢を描いているのに対し、短軀で肥満していたといわれる禅月その人の面影を伝えるかのように実在のモデルに拠ったとしか考えられぬ生々しさをもち、特に青々とした濃い口髭のあたりの描写は印象的であるという。
確かに、上の3点とは全く異なる図である。
十六羅漢図第十四尊者伐那婆斯 原本・五代 絹本着色 縦92.2幅45.4㎝ 御物、宮内庁蔵
こちらは、上の3点とも、御物の十一尊者図とも異なる描き方だ。

『世界美術大全集東洋編5』は、このような逸品画風は、人物画としては、あくまで傍流にとどまるものの、南宋に入って再興され、梁楷「李白吟行図」(東京国立博物館)などに結実を見るほか、禅宗絵画で盛行する。上記の羅漢図なども、その時期の模本か、模古作と解されるという。

二祖調心図 南宋時代(13世紀) 伝石恪筆 掛幅 紙本墨画 各縦35.4幅64.2㎝ 東京国立博物館蔵
『水墨美術体系第三巻』は、画中には、多くの館蔵印と、制作年代を明記した作者の落款がある。しかし、これら印章や落款の適否、制作年代の矛盾の問題、画題内容と画中人物との関係などは、不明な点が多く、いずれの解答も想像の範囲をでないが、もとの原状が画巻であったとする点は、多くの人人が一致している。
作者石恪は、字は子専、蜀の人で、蜀滅亡後宋都にきて、壁画制作に従い、両院の職を授けられたが奉職せず、蜀に帰ったという。その画は筆墨が粗放でも面部や手足のみに画法を用い、衣文は粗筆をもって作るといわれた。本図にみる描写形式は、その記述とひとしい。中唐にはじまる逸恪水墨画は山水画を舞台にしていたが、五代宋初には人物画の領域にひろがった。本図の衣文描写にみる荒々しい筆墨は、成立当初の水墨画の粗野な荒々しさをよく伝えているという。
後蜀が滅亡したのが965年なので、石恪は10世紀の画家。
着衣を表す「荒々しい筆墨」や「粗野な荒々しさ」という言葉の方が、この作品に対して荒々しいように思う。こんな素早い描き方で、衣や人体の膨らみがよく表現されていると、ただただ感心するのみ。

李白吟行図 南宋時代(13世紀) 梁楷筆 掛幅 紙本墨画 縦80.8幅30.4㎝ 東京国立博物館蔵
『水墨美術体系第四巻梁楷・因陀羅』は、この図は梁楷減筆体のうちでもっとも徹底した作であって、「罔両画を核とする新しい絵画的ヴィジョンと、宮廷画家としてのオーソドックスな技倆の接点に位置する傑作」(第三巻「牧谿序説」)である。遠くを望み見ながら緩歩吟詠する唐の詩人李白を、きわめて僅かな筆致で真横向きにとらえている。潤いに富み濃淡の滲みの効果を駆使した水墨画的技法と、焦墨と渴筆を用いた鋭い筆法とが照応合体し、微風をはらむひろやかな衣服をあらわす曲線的な筆づかいと、顔面頭部の直線的筆致とが対照の妙を見せ、三角形の鼻と、そとぐまで画かれた衣服前面中ほどの突出とが両者をつなぐ。裾のあたりのやや模索するような筆の運びに着目して、この図を比較的早期の作と見ることもできようという。
これが禅月様羅漢図のような逸恪水墨画の系統から出てきたものだとは。

          →白衣観音図

関連項目
高麗仏画展4 13世紀の仏画

※参考文献
「水墨美術体系第三巻 牧谿・玉澗」 戸田禎佑 1978年 講談社
「水墨美術体系第四巻 梁楷・因陀羅」 川上涇・戸田禎佑・海老根聰郎 1978年 講談社
「世界美術大全集東洋編5 五代・北宋・遼・西夏」 1998年 小学館