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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/01/13

高麗仏画展5 着衣の文様さまざま


高麗仏画の文様が、截金ではなく全て金泥によるものだということも驚きだったが、文様そのものも素晴らしかった。
水月観音像のヴェールや着衣の文様については、麻葉文・唐草円文・亀甲繋文などをすでに高麗仏画の白いヴェールで示しているので省略する。
初出の仏画については、一応全体像を載せる。

阿弥陀如来像 至元23年・忠烈王12年(1286) 自回銘記 絹本着色 縦203.5横105.1㎝ 団体所有
『高麗仏画香りたつ装飾美展図録』は、緑の裙には雲文、朱の袈裟には宝相華唐草の円文を金泥線で表しており、直径16.8㎝の大きな円文は、現存する高麗仏画の金泥文様のうち最も大きく、本図を強く印象づけているという。
円文が大きいからこそ細かな文様表現が可能だったとも言えるが、なんという細密表現だろう。花弁や葉の一枚一枚の輪郭の中に描き込まれた線の数。
金泥で描かれた襞の上には隈取りが施されているが、実際にはこのような襞があると、その襞の中に文様が隠れてしまうので、円形をとどめないはずであるが、高麗仏画の多くはそれにこだわらない。
13世紀末の妙満寺本も同様であるが、13-14世紀とされる浅草寺本は同書によると文様が衣褶線に合わせて変形するなど、高麗仏画には珍しい合理的な造形感覚もまた宋代画に通じるといえようという。このことから浅草寺本の方が制作時期が早いのではないかと思ったりする。
日本でも平安仏画は高麗仏画同様平板な文様の表現だが、鎌倉時代になって宋画の影響を受け、合理的というか写実的な文様表現が現れる。
宝相華唐草円文
一方、大衣の下の裙には小さな文様が鏤められていて、じっくり見ると、それらは雲であることに気付いた。雲文で良いのかな。
雲文

弥勒下生変相図 至元31年・忠烈王20年(1294) 李晟筆 絹本着色 縦227.2横129.0㎝ 京都妙満寺蔵
『高麗仏画展図録』は、 本図を宮廷画院における1294年の基準作として位置づけるとき、如来の全身を金泥であらわす描法や、唐草や宝相花をあしらう円花文の大きさや形態などに、従来の年代観からすればやや先行する造形語彙が頻出していることがわかるという。
蓮唐草円文を主文とし、草花文の文様帯で仕切る袈裟の布が、椅子に坐ることでできる皴の様子と共に描かれている。円花文は襞に隠れると見えなくなる部分があるために、実際にはこのような円形を留めないのだが、それにこだわらずに描かれている。ところが、草花文の文様帯の方は、襞で折り畳まれて文様がなくなっている様子や、中央は広く描き、両端にいくほど狭めて描いている。
蓮唐草円文・草花文
右脇侍の着衣のそれぞれにさえ、異なった文様を施している。裙には小花の円文だが、草色の大衣には唐草円文らしきもの。ほかにも文様はあるのだが、はっきりとはわからない。
小花円文・唐草円文・草花文

阿弥陀三尊像部分 13-14世紀 大阪法道寺蔵
同書は、阿弥陀の着衣が朱と緑の鮮やかなコントラストを見せる。
その着衣の文様をみると、袈裟に蓮華円文や瑞雲鳳凰文という。
蓮華円文
両菩薩の裙には草花円文や菊花円文など、高麗仏画通有の文様が散りばめられる。また布をかき寄せたような小刻みな衣文線と細かな金泥文様のために、一見縄を束ねたかにみえる表現があるが、これは14世紀を通じ、主に普賢菩薩で繰り返し用いられることになるという。
瑞雲鳳凰文・縄様文

水月観音像 13-14世紀 大和文華館蔵
同展図録は、本図は高麗の水月観音像としては類のない図様であり、観音が正面を向くのみならず、着衣や装身具の表現も特筆される。裙は、朱地に亀甲文の一般的な組み合わせではなく、淡い橙色地に七菊花円文であるという。
七菊花円文 

地蔵菩薩像部分 13-14世紀 神奈川円覚寺蔵
非常に細かな線で緻密に描かれているが、円文や文様帯の文様は不明。袖には蓮華唐草文の文様帯が見え、裙の内側に宝相華文がのぞいている。
円花文・草花文
同書は、無毒鬼王がもつ経箱は、蓋の四周を斜めに落としたかたちで鎗金(漆塗の木面に線刻し金箔を付着させる)技法を駆使したものとみえ、これもまた中国製の経箱を想起させるという。
鎗金は一般に沈金と呼ばれているものではないだろうか。
本図の経箱とよく似たものが九州国立博物館に収蔵されているのをe国宝で知った。それは孔雀鎗金経箱(延祐2年、1315)という作品だった。それについてはこちら
それにしても無毒鬼王の着衣の円文の大きいこと。
大小の円花文草花文

帝釈天像 13-14世紀 京都聖澤院蔵
同展図録は、着衣は、鮮やかな赤地に金彩の蓮華文様が際立つ裙という。
この蓮華円文は、中心部のS字状湾曲というほどでもない茎から、上下に蓮華、左右に蓮葉を配した、比較的大きな柄である。その裾には草花文とされている銀杏の葉のようなものが、茎で繋がらずに散らされている。
どの図版もこれくらいはっきりわかるものだったら有り難かった・・・

阿弥陀如来像部分 大徳10年(1306、忠烈王32年) 根津美術館蔵
『高麗仏画展図録』は、肉身を包む衣は、赤と緑の彩色が主調をなし、その上に施した金泥の宝相花唐草の円文や雲文、衣の縁を飾る唐草文様などが、過度に目立つことなく調和するという。
緑色の大衣に描かれているのは、宝相華唐草円文と雲文。その縁にはアカンサスのような力強さが感じられる唐草文。そしてその外側は、暈繝による黄色から緑色へのグラデーションが描かれるなど、非常に精緻に描かれた仏画である。
宝相華唐草円文・雲文・唐草文・草花文

菩薩像 14世紀初 絹本着色 縦99.3横52.7㎝ 
同展図録は、大蓮華上の岩座に頂かれた蓮台で結跏扶坐する一面二目八臂の尊形。正面を向き、右手には蕾の蓮茎、水甁、宝剣、左手には経冊、索、独鈷、鉞斧を持す。
その柔らかみを感じさせる肉身、温和な中に緊張感ある表情、膝まわりなどの立体感のある体躯表現から、宋代画の遺風がいまだ感じられる14世紀初め頃の作例と考えられるという。
肩から掛けたヴェールの麻葉文の地に散らした菊花円文という。
麻葉文は見分けられないが、菊花円文を散らしたヴェールの縁には、金地に唐草文というよりは、雲文を連ねているように見える。
朱地の裙のS字唐草文などは繊細で当初のものとみられるという。
裙は主文様にS字唐草円文、縁に蓮華唐草文。そして、裙の裾から、濃い朱地に細い草文が続いている。その名称は不明だが、興味深い。腹部を覆う布にも菊花の地文に円文を密に配している。

水月観音像 至治3年(1323、忠粛王10年) 泉屋博古館蔵
裙は中に八弁花を置いた亀甲繋文の地に、楕円形の蓮華荷葉文が配される。

阿弥陀如来像 14世紀 絹本着色 縦187.0横87.1㎝ 京都正法寺蔵
同展図録は、長身の阿弥陀が虚空にたたずみ、静かに歩みを進める姿は、往生者を浄土へと導く来迎を意味するが、日本の来迎図の阿弥陀が向かって左から右に進むのとは異なり、高麗仏画では中国の仏画と同様、左に向くのが基本であるという。
同展図録は、緑の覆肩衣には瑞雲に鳳凰文といった高麗仏画によく見られる文様という。
瑞雲鳳凰文
朱の袈裟には蓮花荷葉円文のほか、珍しい滴形の草花文が深緑の裙に見えるという。
蓮華荷葉文滴形草花文

地蔵菩薩像 14世紀前半 絹本着色 縦107.6横45.3㎝  根津美術館蔵
同展図録は、肉付きのよい地蔵がやや右側に体を捻り、上半身を正面に向け、踏割蓮台に立つ。頭頂を包む頭巾を肩に垂らしね大衣、僧祇支を着けたうえに袈裟をまとう。衣の各部分を異なる金泥や彩色文で飾り、胸飾の彩りを添える濃密な装飾性は、高麗後期の尊像画の典型的作風であるという。
頭巾は小円文を散らし、縁を唐草文が巡る。袈裟の縁は初めて見る波文で、波頭が左右交互に配されている。大衣の縁は彩色唐草文だが、主文様は細かすぎてわからない。
僧祇支はまた異なった円文が並んでいる。朱の裙の折り返した縁には草花文
袈裟の下縁の波文はもっと複雑にうねり、主文様の唐草円文には4つの渦巻がある。朱色の裙は、小さな滴形草花文が疎らに配されているが、その裾は華麗な暈繝彩色唐花文が巡っている。

このように、高麗仏画の文様は非常に種類が多く、細かいものだった。日本との違いを感じたのは、着衣の枚数の多さだった。それは韓半島が日本よりも寒いためかも知れない。その着衣は、袖口や裙の下に出ている部分の縁だけのことも多いのだが、その一枚一枚に別の文様を描くなど、装飾性の高い、まさに贅をこらして荘厳された仏画であったことが窺える。

   高麗仏画展4 13世紀の仏画←  →高麗仏画展6 仏画の裏彩色

関連項目
高麗仏画展3 浄瓶の形
高麗仏画展2 観音の浄瓶は青磁
高麗仏画展1 高麗仏画の白いヴェール

※参考サイト
e国宝孔雀鎗金経箱


※参考文献
「高麗仏画 香りたつ装飾美展図録」 編集 泉屋博古館 実方葉子、 根津美術館 白原由紀子 2016年 泉屋博古館・根津美術館