お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/08/16

中国の古鏡展4 松皮菱風の文様(杯文)


松皮菱という文様

羽状獣文地花菱文鏡 戦国時代(前3世紀) 径13.6㎝重257g
同書は、羽状獣文地に松皮菱風文様を連ね、その間に四弁花文を配する。中央の花文は鈕座になっている。幅広の凹面帯であらわされた松皮菱風の文様は、対称性を維持した正確な割り付けがなされているのが特徴である。また各花文は縄状線で結ばれており、文様の表現手段としては山字文鏡と同じスタイルをとっている。とくに四山字文鏡と鏡体も類似しており、これとほぼ同じ頃に同じ地域で製作された作品と考えられるという。
松皮菱とはっきりわかる文様で、しかもその繋文となっている。ただ、松皮菱を縦にして繋文とするのは珍しい。
丸刃の彫刻刀で幅広に削ったかのような、浅い「く」の字形の力強い線は、左右に向きを変えながら縦に配していくと、雷を表しているようにも見える。

以前に松皮菱についてまとめたことがある。その中から、

幾何対鸞文綺 前漢時代(前2世紀) 湖南省長沙市馬王堆1号漢墓出土 長沙市、湖南省博物館蔵
『中国美術全集6工芸編 染織刺繍Ⅰ』は、杯形の幾何学の骨組みの中にそれぞれ一対の鸞鳥文と一組の四角放射式の対称変体草花文をうめているという。
同じ松皮菱の繋文でも、横向きにすると落ち着く。

大菱形文錦 戦国中期(前4世紀) 湖北省江陵県馬山1号楚墓出土 湖北省、荊州地区博物館蔵
同書は、経錦である。経糸は深棕・深紅・土色の3色で、緯糸は深棕色である。織り出した大菱形文様の中に、深紅・土黄色の小三角形が角や底辺を合わせながら配列されており、また、中小型の菱形文様、杯文、「工」字文様などをうめているという。
非常に細かい精緻な織文様のだが、松皮菱の繋文としては整っていない。錦は松皮菱を横向きにしてつないでいる。その中には上下の出っ張りは小さいものの、松皮菱が文様として組み入れられているのだが。

細文地四鳳鏡 秦時代(前221-206年) 径11.2㎝重104
同書は、非常に細い直線や渦巻線と小珠点とを組み合わせた地文をもち、そのうえに様々な文様を載せる。戦国時代中頃から散見し、秦時代から前漢時代初頭にかけて地文のパターンが緻密でかつヴァリエーション豊かになる。地文の上に載る主文様も精緻でかつシャープな表現をとるものが多い。
極細線であらわされた鉤連雷文のなかを小珠点で埋め尽くし、その隙間に極細線の渦巻文を並べた地文をもつ。方形鈕座の四隅に尾を高く振り上げた鳳が留まる。鳳の隣には大柄な菱文を入れているという。
浅い地文だが、鉤連雷文の線、その中に規則的に並ぶ小珠点、渦文がはっきりと鋳出されている。
松皮菱は、四角形鈕座の各辺の上方に置かれ、太い線が強烈。家紋のようにも思えるが、当時の中国で家紋などというものがあったかな。
菱文は戦国時代後期の羽状獣文地花菱文鏡にみられる松皮菱風文様の系譜を引くもので、秦時代から前漢時代前期の鏡に多く採用されているという。

煙色菱文羅 前漢初期(前2世紀) 馬王堆1号墓 長沙市、湖南省博物館蔵
同書は、4本綟りの菱文羅である。菱文は縦の細長い複合菱形である。両側に小菱形 の縁があり、形は漢代の耳付きの漆杯に似ているため、杯文と称せられている。菱文は細太の2組に分かれ、交互に配列している。細線の菱形は2本の点線で文 様を勾勒し、太線の方は実線で文様勾勒し、二重の文様を形づくっているという。

松皮菱風の文様は、青銅器だけでなく、織物の文様にも使われてきた。菱文は縦の細長い複合菱形である。両側に小菱形の縁があり、形は漢代の耳付きの漆杯に似ているため、杯文と称せられている(『中国美術全集6工芸編 染織刺繍Ⅰ』より)という。

おまけに耳杯

彩漆鳳鳥文耳杯 戦国時代(前4-3世紀) 湖北省江陵県馬山1号墓出土 荊州博物館蔵
『世界美術大全集東洋編1』は、馬山1号墓は墓の規模が小さく、副葬する銅礼器の構成も一般的であり、前340-278年ごろに中流「士」階層の40-45歳くらいの女性を葬った楚墓とされている。しかし、この墓は保存がことのほか良好で花錦や刺繍を含む多くの豪華な衣服類とともに、あでやかな彩色をとどめる漆器類が出土している。
鳳鳥文耳杯は横木取りの刳物で、器壁が厚い。楕円形の口縁両側から新月形の耳が立ち上がり、外面に小さな平底を作る。器の外面に黒漆をかけ、内面は褐色の地に赤・黄・金色などで文様を描く。内面の中央に金色の花弁文を置き、花弁の左右に1羽の鳳鳥文を銀色で大きく描くという。
大菱形文錦とともに出土した耳杯だった。

四神温酒器 前漢(前2-前1世紀) 西安市大白楊村出土 高さ11.2㎝柄も含めた長さ24.1㎝幅10.7㎝ 青銅 西安市文物保護考古所蔵
『始皇帝と彩色兵馬俑展図録』は、長方形の台の上に青竜・朱雀・白虎・玄武の四神を配し、取っ手がひとつ付いた楕円形の炉があり、その炉の上部にさらに耳杯が載った構造である。下の炉で炭を焚き、上に乗っている耳杯を暖め、酒の燗をするためのものであるという。
『中国国宝展図録』は、耳杯とは、戦国時代から漢時代にかけて、酒の杯やおかずを盛る小皿として用いられた食器。上から見ると顔の両側に耳がついているような形であることからこの名がある。実用の耳杯の多くは漆器であったという。
直線を組み合わせた菱文に、このような曲線で構成されている食器の名を付けるとは。

   中国の古鏡展3 羽状獣文から渦雷文、そして雷文へ
                    →中国の古鏡展5 秦時代の鏡の地文様は繊細

関連項目
杯文(松皮菱)の起源は戦国楚
中国の古鏡展2 「山」の字形
中国の古鏡展1 唐時代にみごとな粒金細工の鏡

※参考文献
「村上コレクション受贈記念 中国の古鏡展図録」 根津美術館学芸部編 2011 根津美術館
「泉屋博古 中国古銅器編」 2002年 泉屋博古館
「中国美術全集6工芸編 染織刺繍Ⅰ」 1996年 京都書院
「世界美術大全集東洋編1先史・殷・周」 2000年 小学館