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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/07/01

黄金伝説展2 粒金だけを鑞付けする



「黄金のアフガニスタン展」では、粒金に見えて粒金でないものが多かった。中でも、ティリヤ・テペ1号墓出土の三角形飾板(1世紀第2四半期)は、粒金だけを鑞付けしたものだと思っていたので、中空の2つの殻状のものを貼り合わせたもので、粒金ですらなかった。

しかし、粒金だけを鑞付けしたものは、クレタのイラクリオン考古博物館で見たことがある。
それについてはこちら
新宮殿時代(前1700-1450年頃)に、すでに粒金だけを鑞付けしたものが作られていたのだった。

「黄金伝説展」では粒金だけを鑞付けしたものがいくつか出品されていた。

耳飾り 前9世紀 金 高さ2.1㎝ ドイツ、ブフォルツハイム宝飾品博物館蔵
『黄金伝説展図録』は、稜をもち、先のほうが細くなっている。幾何学的に並べられた金の粒で装飾され、中央部分ではそれらがピラミッド形に配置されている。この高度に様式化された葡萄の房状の下げ飾りは、小アジアに由来するものであるという。
この作品は粒金を立体的に鑞付けしている。それが葡萄の房を表したものだとは思いもよらなかった。
これがギリシアで制作されたものであることは、以下の作品から判明する。
葡萄といえば豊饒の象徴なので、不思議ではない。きっとイラクリオンの耳飾りも、ティリヤ・テペの三角形飾板も葡萄を表したものだったのだろう。

耳飾り 前6世紀 琥珀金 高さ4㎝ ブフォルツハイム宝飾品博物館蔵
同展図録は、両端の細くなった四稜の金線に、三角形の小さな金の板に上下を挟まれた樽形の輪が3つ鑞づけされている。その下には高度に様式化された葡萄の房が合計8つ位置する。それらは金の粒から構成され、金線を介して樽を挟む下側の板に接着されている。葡萄の房の下端にはそれぞれ平らな豆状の粒がついている。この耳飾りは幾何学様式に属するもので、その非常に遅い時期の形態を示すという。
葡萄の房をたくさんさげたこの耳飾りは、解説によって、ギリシアの幾何学様式時代後期に作られたものであることがわかる。

耳飾り 前5世紀 金 高さ3.08㎝ マケドニア出土 ブフォルツハイム宝飾品博物館蔵
同展図録は、一周半の螺旋を描く力強い造形の耳飾りである。螺旋の両端には、金の粒から3面のピラミッドが形作られ、その頂点にはやや大きな金の粒が冠されている。これと同様のピラミッドがいまひとつ、台座を介してそれぞれの螺旋につけられているが、この位置は、耳飾り着用時に最も下になる部分である。螺旋には、4つの小さな菱形も金の粒によって描かれ、両端付近に、溝が平行に刻まれているという。
この三角錐もまた葡萄の房を表したものだろう。

耳飾り アケメネス朝ペルシア(前5-4世紀) 金 直径2.1㎝ イラン出土 オランダ、ライデン国立古代博物館蔵
同展図録は、一列の粒金と数個の大きめのビーズで装飾されており、蝶番とフックを用いた複雑な仕組みによって開閉できるようになっているという。
この大小の金の粒の組み合わせはペルシア風の葡萄の房なのだろうか。
粒金だけを鑞付けする技術は、ギリシアに攻め込んだときに得た、あるいは工人を連れて帰ったためにもたらされたものだろうか。
耳飾り アケメネス朝ペルシア(前5-4世紀) 金・半貴石 直径2.9㎝ イラン出土 ライデン国立古代博物館蔵
同展図録は、垂れ下がるタイプのこの耳飾りには、半貴石がはめ込まれ、粒金がちりばめられている。重量を軽くするため、本体は中空になっているという。 
下から2段目の中くらいの金の粒に凹み発見。これは粒金ではなく中空だった。


         黄金のアフガニスタン展1 粒金のような、粒金状のは粒金ではない

関連項目
黄金伝説展1 粒金細工の細かさ
イラクリオン考古博物館3 粒金細工
黄金のアフガニスタン展5 金箔とガラス容器


※参考文献
「黄金伝説展図録」 監修青柳正規 2015年 東京新聞・中日新聞・TBSテレビ