お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/03/13

日本の瓦8 蓮華文の垂木先瓦・金具



古い寺院の軒丸瓦を見ていて、瓦当部分だけが残ったものだけでなく、最初から瓦当だけが作られたものもあることに気がついた。そこには外区がなく、軒丸瓦よりも幾分か小ぶりらしい。
『仏法の初め、玆より作れり展図録』(以下『仏法の初め展図録』)は、垂木先瓦とは、屋根を支える構造材である垂木の先頭部に打ちつけられた瓦で釘を通す穴が中央に開けられるという。

飛鳥寺の垂木先瓦 飛鳥時代 飛鳥寺出土
『日本の美術66古代の瓦』(以下『古代の瓦』)は、花弁が厚肉であるから末期になってから作られたのであろうという。

上 素弁九葉蓮華文 蓮子なし
『仏法の初め展図録』は、瓦の表面に残る笵の痕跡や製作技法から、新堂廃寺で出土した垂木先瓦と同笵であることがわかったという。
花弁の数は多いし、中房に蓮子がないなどの違いはあるが、飛鳥寺の創建軒丸瓦(星組)よりも、扶余邑旧衙里遺跡出土の素弁八葉蓮華文軒丸瓦(百済、6-7世紀)によく似ている。

中 素弁六葉蓮華文 蓮子なし
中心に鉄製金具が残っている。

下 素弁八葉蓮華文 1+7の蓮子
同書は、花弁に輪郭線をつけ、中央には稜線を通した八葉蓮花文であるという。
花弁輪郭が二重の凸線となっている。中房には1+7?の蓮子があり、中心をはずして金具が取り付けられていたようだ。

新堂廃寺の垂木先瓦 飛鳥時代 素弁九葉蓮華文2種類・素弁八葉蓮華文 富田林市新堂廃寺出土
『仏法の初め展図録』は、南河内では最も早く創建された寺院である。北西方向にに隣接して、この寺院の瓦を焼いたオガンジ池瓦窯跡、そして新堂廃寺の壇越の墓と考えられている、お亀石古墳が存在するという。

上 素弁九葉蓮華文、飛鳥寺出土の垂木先瓦と同笵のもの。

中 素弁九葉蓮華文。花弁の盛り上がりが少なくなっている。

下 素弁八葉蓮華文
『古代の瓦』は、わが国最古の棰先瓦の最古の例は、大阪・新堂廃寺にあり、その蓮花文は鐙瓦のそれと同様に薄肉素弁の典型的な百済様式であるという。
これが日本最古の垂木先瓦だった。
点珠がはっきりしているが、花弁は平板で、1枚1枚が隣接するものと接していない。
製作時期がそれぞれ異なるのかな。

『飛鳥の寺院』は、文献によれば、蘇我倉山田石川麻呂が641年に発願した氏寺であり、649年には金堂が、天武期になって塔や講堂が完成したとされるという。
『日本の美術532山田寺』(以下『山田寺』)は、鴟尾、螻羽瓦、垂木先瓦、鬼瓦、熨斗瓦、面戸瓦。回廊の四隅を飾った双頭の鴟尾や、巨大な螻羽瓦などは、他に類を見ないものであるという。
双頭の鴟尾はこちら
下図版左下に肉厚の垂木先瓦が並んでいる。

山田寺の垂木先瓦 白鳳時代(大化5年、649) 単弁八葉蓮華文 桜井市大字山田
『日本の美術532山田寺』(以下『山田寺』)は、山田寺の金堂には屋根に葺かれた瓦の他に、屋根を支える垂木の先端にも瓦が取り付けられていた。これは、出土した垂木先瓦をもとに当初の様子を再現したものである。当時の金堂の華麗さをうかがい知ることができるという。
『山田寺』は、垂木先瓦は、山田寺式軒丸瓦に似た単弁八葉蓮華文である。平面形は蓮弁と間弁の先端を縁取った花形となる。5種が出土した。瓦当面と側面に彩色の痕跡をとどめたものがあり、表面に白土を塗った後、蓮弁の輪郭をベンガラで縁取ったことがわかる。こうした彩色に加えて、さらに中房部分に金銅製の飾金具を被せていたことが判明した。この金具は、銅板を厚さ0.5㎜ほどに打ち延ばして、中房のかたちをかたどり、蓮子を打ち出したもので、表面に鍍金の痕跡が残る。直径6.1㎝、側面の高さ3.5㎜。中央に釘隠しを兼ねた大き目の蓮子を置き、その周囲に6個の蓮子を配す。本例は、中房の大きさや蓮子の配置から、金堂所用の垂木先瓦に装着された可能性が高いという。
金具を取り付けた垂木先瓦と孔のある垂木先瓦
同書は、垂木先のなかには、中房側面に長方形で深さ3㎜程の孔をあけ、蓮子を削り落としたものがある。側面の孔は中房飾金具を固定するための「かしめ穴」とみてよいという。

垂木先瓦は丸いとは限らない。

楢池廃寺の垂木先瓦 白鳳時代後期 単弁八葉蓮華文・覗花弁 天理参考館蔵
『古代の瓦』は、右は単弁蓮花文を、左は宝相華文を飾っているという。

上 角の単弁が大きくなってしまったが、長方形に8つの花弁がうまく配置され、剣先形の覗花弁もしっかりと表されている。

下 幾何学的な宝相華文。宝相華文はすでに日本でも確立した文様となっていたのだ。
『古代の瓦』は、その初期の形はちょうど、鐙瓦の瓦当の中央に釘穴を穿ち、棰の先の小口面に打ちつけて、棰の腐食するのを防ぎ、同時に装飾をかねたものであった。そういうものであるから、瓦製品ばかりではなく、もっと上等なものには、金属製品もあってしかるべきである。事実、雛形ではあるが、法隆寺玉虫厨子には六葉蓮花文を刻んだ円形棰先金具が打ちつけてある。
垂木先瓦の形によって、飛鳥時代は丸棒であったが、白鳳時代になると、角棒が出現してくることがわかるという。


方形垂木先金具 8世紀前半 奈良・海竜王寺五重小塔
同書は、方形の棰先金具に宝相華文をあらわす2例が残されているという。
軒丸瓦は文様がないのに、角形の垂木には金属製の金具がつけられている。 

飛鳥寺や山田寺に垂木先瓦があったのに、法隆寺にはなかったのだろうか、などと不思議だったが、四角い垂木先瓦や垂木先金具を見ていて思い出した。五重塔や金堂の垂木先には金銅製の透彫金具があったことを。

法隆寺五重塔南東部
隅木、角形垂木、尾垂木に垂木先金具がある。
同北西尾垂木の垂木先金具
中央にパルメットから発展した宝相華文を内向きに4つ配し、その周りを蔓草が囲んでいる。
同南西尾垂木の垂木先金具
おそらく、同じ意匠の垂木先金具の新補だろう。
金堂尾垂木の垂木先金具
文様まではわからない。
同隅木先金具
十字形の線と、その交点から展開する蔓草文、かな。
せっかく現地でみつけても、それがどの時代のものかわからなかったが、『古代の瓦』は、方形の垂木先瓦と同じ文様で、かなり大形の品がある。これらは法隆寺五重塔で復元されているごとく、尾棰や、隅木の先端の木口面に打ちつけられたものであるという。
やっぱり、どれも復元品だったのだ。

垂木先金具 時代不明 法隆寺五重塔所用 法隆寺蔵
この文様をなんと呼べば良いのだろう。

『古代の瓦』は、白鳳時代になると、鐙瓦の蓮花文と同様に素弁・単弁・複弁の3種類があり、宝相華文や組紐状文などの特種例もあるという。

粟原寺の垂木先瓦 白鳳時代 複弁八葉蓮華文 粟原寺跡出土
子葉が花弁のほとんどを占めるくらい大きな蓮華文で、その輪郭線や覗花弁も立体的につくられているのに、蓮子がほとんどわからない。
山田寺の垂木先瓦のように、金具を取り付けるために蓮子を削ったのかも。

法琳寺の垂木先瓦 白鳳時代 方形組紐文・鋸歯文 法琳寺蔵
さて、組紐文というものが、いつの時代に日本に入ってきたのだったかな。文様としては、あまり熟れていないようにみえるが、瓦にこのような文様が表されていたとはびっくり。


『古代の瓦』は、奈良時代になると、西大寺の塔址や大安寺講堂址からは、円形および方形で、三彩または二彩の多彩釉を施した棰先瓦が出土する。すなわち飛鳥・白鳳時代の一軒(ひとのき)に対して円形地棰、方形飛檐棰の二軒の出現を意味するが、文様は四葉花文を芯とした宝相華文をあらわし、特に西大寺の方形棰先瓦は褐・緑・白色釉を繧繝にあらわした華麗な作品である。たま同寺の『資材帳』に薬師金堂には華形の、弥勒金堂には葛形(唐草文様)の金銅製棰先金具が打たれていたことが記載されているという。

三彩尾垂木先瓦片 西大寺東塔と西塔で使用 単弁六葉蓮華文 復元径15㎝厚1.1㎝
「奈良時代の匠たち-大寺建立の考古学-展図録」は、型板からヘラで粘土を切り出して製作された。釉薬は濃緑・淡緑・褐・白の4種を使用するが、濃緑釉が輪郭用に用いられる。型紙で枠取りして、褐・淡緑・白の順に彩色された。
六角形の中房に、6弁の複弁風の花弁を表す。六角形の各辺に対して花弁が1葉対応するように割り付けられる。輪郭は濃緑色釉で描かれ、その内側に淡緑釉、外側に褐釉が彩色される。子葉は褐釉で縁取りされた内側に淡緑釉が配される
という。

サクラ風に切れ込みのある花弁に子葉が一つなので、山村廃寺の単弁八葉蓮華文軒丸瓦(奈良市東山、白鳳時代)のような文様を三彩で表現したのだろう。

東大寺の垂木先瓦 平安時代 素弁八葉蓮華文・連珠文 東大寺出土
『古代の瓦』は、平安時代にはわずかに東大寺講堂址出土の一例が知られるのみである。中房の大きな素弁八葉蓮花文をあらわし、回りに連珠文と縁とをめぐらし、さすがに東大寺にふさわしく、大形であるという。
軒丸瓦では連珠に囲まれた複弁八葉蓮華文が作られ続けるのに、垂木先瓦は廃れてしまったようで、花弁も素弁に略されている。

     日本の瓦7 複弁蓮華文、そして連珠文← →日本の瓦9 蓮華文の鬼瓦

関連項目
日本の瓦1 点珠のある軒丸瓦
日本の瓦2 法隆寺出土の軒丸瓦と軒平瓦
日本の瓦5 点珠のない素弁蓮華文
日本の瓦6 単弁蓮華文
韓半島の瓦および塼
山田寺東面回廊から連子窓
法隆寺の五重塔はすっきりと美しい
法隆寺金堂にも高句麗から将来されたもの
奈良時代の匠たち展2 三彩の尾垂木先瓦にも繧繝

※参考文献
「仏法の初め、玆(これ)より作(おこ)れり-古墳から古代寺院へ-展図録」 2008年 滋賀県立安土城考古博物館
「飛鳥の考古学図録5-古代寺院の興隆-飛鳥の寺院」 2007年 明日香村教育委員会文化財課偏 2007年 財団法人明日香村観光開発公社
「日本の美術532 山田寺 その遺構と遺物」 島田敏男・次山淳 2010年 ぎょうせい
「平城遷都1300年祭記念秋季特別展 奈良時代の匠たち-大寺建立の考古学-展図録」 2010年 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館