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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/02/24

日本の瓦3 パルメット文のある瓦



法隆寺若草伽藍跡出土の補足瓦にはパルメット文があった。

パルメット文軒丸瓦・パルメット唐草文軒平瓦 飛鳥時代(7世紀) 軒丸瓦径16.8㎝、軒平瓦幅29.5厚3.7㎝ 若草伽藍跡出土 補足瓦 法隆寺蔵
『法隆寺展図録』は、パルメット文を施した単弁六葉蓮華文軒丸瓦と、その軒丸瓦の笵型を押圧して文様とした軒平瓦という。
補足瓦ということで、割れたり落ちたりした瓦の補修用に遅れて作られたもので、それだけの期間のうちに、新たに請来したのがパルメット文だったのだろう。


忍冬文軒丸瓦・均整忍冬唐草文軒平瓦 飛鳥時代(630年代以前) 軒丸瓦復原径16.0軒平瓦幅24.0厚4.3㎝ 斑鳩宮所用 法隆寺蔵
『法隆寺展図録』は、軒丸瓦は平坦な花弁の中に先端が三葉のパルメット文を配した六葉の蓮華文を飾り、軒平瓦は特徴のある宝珠形の中心飾の左右に、三葉パルメット文を唐草文状に展開させているという。
軒丸瓦のパルメットは、若草伽藍所用補足瓦よりも細身で、3葉しかない。中房はどんなだったのだろう。

単弁六葉蓮華文軒丸瓦・均整忍冬唐草文軒平瓦 白鳳時代(飛鳥時代後期とも呼ばれる) 中宮寺址出土
花弁の内側に、子葉として忍冬文(パルメット文)が刻まれている。中房の蓮子は明確ではない。
パルメットの葉が小さく、下に鉤形に折れるような表現や、上の葉が大きいなど、上の若草伽藍補足瓦によく似ている。
軒平瓦の文様について『日本の美術66古代の瓦』(以下『古代の瓦』)は、中宮寺からも出土し、宇瓦の顎面には、瓦当の唐草文を篦描きであらわしているという。これこそスタンプだと思っていた。
よく似た蓮華文が、扶余の塼にあった。

扶余窺岩面外里出土 百済時代 高28.5㎝ 十葉忍冬蓮華文 ソウル、国立中央博物館蔵
『国立中央博物館図録』は、仏教の隆盛に伴って発達した瓦当は、百済文化の特性をよく表しているがとりわけ熊津時代以後に中国梁の影響を受け作られた蓮花文瓦当から百済的様式が成立するという。
『古代の瓦』も、瓦博士の指導によって製作された飛鳥寺の創建瓦は2形式あるが、それは百済様式とはいえ、祖型は中国の南朝にあり、南朝の造瓦技術が百済に伝わるとほとんど同時にわが国へも伝えられたものであったという。
『法隆寺展図録』は、てりむくりの大きい単弁十葉蓮華文を大きく表わし、それを連珠円文が囲う。蓮弁には輪郭で縁取られたパルメットが配されている。四隅には花弁状の装飾があり、塼を並べると十字形の花文が形取られる。木笵(木型)によって作られたものであるという。
大きな中房の周囲に小さめの蓮弁が10枚、その間に稜のある覗花弁が表されている。おそらくこのような覗花弁が、作り続けるうちに便化していき、楔形になったのだろう。
厚い花弁にやや浅浮彫で忍冬文が表されている。

箱形塼 百済(6-7世紀) 瓦製 長28.0㎝ 韓国、国立中央博物館蔵
『法隆寺展図録』は、文様面は、2つのパルメットを配して2区画に分割され、一つには鋸歯文で囲まれた蓮華文、他方には同じく鋸歯文で囲まれたパルメットが組み合わされた円形文様を対にしておく。
全体にパルメットが多用される文様構成であるが、特に、前者の蓮華文の蓮弁一つ一つにそれぞれパルメットが配されている点は注目される。これは蓮華文とパルメット文の融合であり、若草伽藍の補足瓦や、斑鳩宮で出土するパルメットを配した蓮華文軒丸瓦などの祖形となるものと考えられるという。
こちらも花弁に浮彫されたパルメットがはっきりとはわからない。 

八葉蓮華文塼 飛鳥時代(603年頃) 小墾田宮出土
同書は、この文様は日本でも韓国でも塼の文様として非常に珍しいものであるが、日本では聖徳太子が斑鳩宮造営前に住まいとしていた小墾田宮(おはりだのみや)から同様の文様を持つ塼の破片が出土している。小墾田宮出土の塼は箱形ではなく、通常の平坦な直方体であるが、文様構成は酷似している。こうした百済との直接的系譜を引く遺物が、太子ゆかりの遺跡から出土することは興味深いという。
この破片から、蓮弁にパルメットが表されていたかどうかは明らかにされていないが、百済と聖徳太子のこのような関係から、花弁にパルメットをおく意匠も請来された可能性があるということなのだろう

鴟尾破片 飛鳥時代(7世紀) 瓦製 法隆寺西院伽藍所用 法隆寺蔵
法隆寺金堂の棟にはかつて鴟尾がつけられていたという話は聞いたことがあったが、その創建期のものがこれ。
パルメットやパルメット唐草などがみられる。
同書は、復元される鴟尾は二条からなる縦帯が2本配され、その囲まれた部分に六花文や反転しながら展開する五弁のパルメット唐草文がデザインされている。それらの外側にはそれぞれ段が刻まれている。胴部の文様は非常に流麗なもので、7世紀後半の鴟尾としては非常に装飾性豊かな点で特筆できるという。
高いところにあって、下から見上げてもこのような細部までわかったかどうか。 

このように新来の文様は、次々と採り入れられ、しかもどんどん変化していくのがこの時代だったようだ。


   日本の瓦2 法隆寺出土の軒丸瓦と軒平瓦← →日本の瓦4 パルメット唐草文軒平瓦
  
関連項目
雲崗石窟の忍冬唐草文
日本の瓦1 点珠のある軒丸瓦
韓半島の瓦および塼

※参考文献
「飛鳥の考古学図録⑤-古代寺院の興隆-飛鳥の寺院」 2009年 財団法人明日香村観光開発公社
「日本の美術66 古代の瓦」 稲垣晋也編 1971年 至文堂
「仏法の初め、茲(これ)より作(おこ)れり-古墳から古代寺院へ-展図録」 2008年 滋賀県安土城考古博物館
「法隆寺 日本仏教の黎明展図録」 2004年 奈良国立博物館
「日本史リブレット71 飛鳥の宮と寺」 黒崎直 2007年 山川出版社