ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2014/01/21
イコノクラスム以前のモザイク壁画8 アヒロピイトス聖堂2 蓮華もいろいろ
『世界歴史の旅ビザンティン』は、私たちにとって興味深いのは、蓮華が天国を象徴する植物として用いられている点である。文献が語らない5世紀の仏教とキリスト教の交流を、美術作品は沈黙のうちに雄弁に示すのであるという。
パナギア・アヒロピイトス聖堂には、身廊と側廊を隔てる列柱のアーチ内側(a5)に、この教会を代表する蓮華の図柄のモザイク画が残っていた。
葉、蕾、花托などはハスらしい表現となっている。
これは大賀ハス。少し違っても日本のハスと違和感はない。
全体を見ると蓮華だが、中央の開化蓮華は、日本で見かける蓮華ではなかった。どちらかというと睡蓮のよう。
あいにく上から撮った開化蓮華はないが、大賀ハスの花はこんな感じ。全く異なっている。
『山渓カラー名鑑日本の野草』は、古い時代に中国から渡来した多年草の水草。原産地はインドといわれるという。
でも、ヒツジグサなら花弁がやや細い(13年7月尾瀬ヶ原、大雨で暗く、よく写せなかった)。
同書は、池沼に生える多年生の水草。多数の根性葉をだす。萼片は4個で緑色。花弁は白色で8-15個あり、長さは萼片とほぼ同じ。和名は未草で、未の刻(午後2時)に開くことによる。しかし開花時間は必ずしも一定しないという。
同じ植物でも花弁の数が違うなら、広大なローマ帝国内では細い花弁のたくさんある種類もあったかも。
蓮華をモティーフとするモザイクは、これだけではなかった。少なくとも4箇所に蓮華が表されていた。
e11
1本の茎から分かれているように見えるが、実は1本1本独立した葉や蕾、花托などが集まって、背後の葉綱と共にひとまとまりになっている。
開きかけの蓮華を表している。
円内は青のグラデーション(暈繝)で、十字架の中心から光が放たれ、その光は身廊から始まる色の淡い青のグラデーションとするなど、非常に丁寧な細工を施している。右端に並ぶ宝石も、立体感のある表現だ。
c2
葉、蕾、花托は蓮に近い表現なのに、開花した花はアサガオのように外側に垂れている。花だけは見たことがないかのように。
a5・e11は花、葉、花托はそれぞれ1本の茎から出ていたが、ここではそれら1本の茎から枝分かれした茎の先についている。そして、一番下には水面から直接1本1本出ているものもあって、装飾的な生け花のよう。
f2
珍しく緑のグラデーションの中に十字架がある。
その左右に、蓮の葉が水面に浮かんだ状態を表しているのかと思ったら、
葉の上から複数枝分かれした茎にそれぞれ蕾、花托、葉がついている。全体的に見ると、それらが1本の茎から伸びた植物のようになっている。
また、葉などの付かない蔓のようなものもあって、ここから蓮華唐草へと繋がりそうな気配がある。
ところで、これらの蓮華は、果たして仏教とキリスト教の交流から生まれたものなのだろうか。キリスト教美術よりも仏教美術を先に始めた私には、そうは思えない。
ローマ時代のモザイクやフレスコ画に、ナイルの風景が流行したということを何かの本で読んだことがある。そのような風景に蓮や睡蓮が描かれていたような気もする。
ナイル川の風景(部分) 第4様式 後50-75年頃 ポンペイ、医師の家出土 壁画 ナポリ国立考古博物館蔵
『世界美術大全集5古代地中海とローマ』は、氾濫期のナイル川の風景であり、ギリシア人やローマ人がアフリカの奥に住むと空想していた小人族ピュグマイオイが描かれている。
前1世紀後半から後1世紀にかけて描かれるピュグマイオイに関して、エジプトの女神イシスの恩寵を受けた幸福な土地を描くことによって、その信仰を普及させる意図があったとする説がある。信者たちの間に流布していた挿絵つきの書物がこの種の絵の源泉だったという。イシス信仰に関連して普及し、しだいに独立したジャンルとなったことは確かであるという。
ワニの下の方に蓮の花や葉が描かれている。
異国情緒が流行したというだけでもないらしいが、蓮華は「幸福な土地」に咲く花というイメージがローマの人々に広がった可能性はありそうだ。
もっとはっきりと蓮が水辺で育つ様子を描いたモザイクがある。
ナイル川の生物のモザイク 62-79年
『ポンペイの遺産』は、噴水や庭の水路にナイル風景を描くのが流行しましたという。
イシス信仰とは離れた、ただのナイルの風景もあったのかな。
蓮の葉、開花(といっても散り始めている)、蕾、花托といったものが、動物の間に疎らに出ている。盛りを過ぎて散っていく花は、いずれも花弁を4枚残している。蓮華らしく咲いているものが一つもないのが不思議な絵ではある。
こちらの方も(連続した一つのモザイク画)、まだ萼に包まれた蕾、大きくなっていく蕾、開きかけた蕾など、蕾は多様な図柄があるのに、満開の蓮華がない。
このような水から出た蓮のさまざまな部分を、縦に左右対称に並べていったのがa5、
1本ずつ独立した茎が集まって、花綱風に並んだのがe11、
1本の茎から複数の茎が枝分かれしたり、水盤近くには1本ずつ出ていたりして、生け花のような配置になっているのがc2、
1本の茎から複数の茎が枝分かれしてそれぞれに葉や蕾などをつけ、それが上にも繋がったり、唐草のような蔓が出現しているのがf2、
という風に見える。
前1世紀の壁画にも蓮華があった。
イシス信仰とエジプトのモティーフによる壁画 第2様式(前25年頃) ローマ、パラティーノの丘、アウラ・イシアカ(イシスの間) ドムス・アウグスターナ内サーラ・マッティに移設
『roman・forum・palatine・colosseum guide』は、アウラ・イシアカはその名をイシス信仰に関係する(シトゥラまたは飲む容器、蓮華、太陽面と蛇)装飾から採っている。アウグストゥス帝の時代、アクティウムでの勝利の後に、エジプトのモティーフを単に装飾的な特徴として採り入れるという流行があったという。
信仰ではなくて装飾だけということもあったのだろう。
ヴォールト天井の中央の図柄を帯文様が囲んでいる。その中心には立体的に表現された黄色いリボンがうねり、釣鐘状の花が上下交互についている。リボンは川、あるいは見上げた空に浮かんでいる。このリボンが蛇?
そして、その両側に描かれた赤いものは、蓮華の花びらでなくて何だろう。しかも、第4様式の蓮華よりも、ずっと蓮華らしい描き方だ。先が少し上に翻っているのを、上から見下ろしたような蓮華だ。これは蓮華の花弁を実際に観察できる人でないと描けないものだ。
おそらく、アヒロピイトス聖堂の蓮華は、ローマ時代に流行したエジプトのモティーフの一つが、時代を経るに従って変わっていったものだろう。
おまけ
スフィンクスまたはグリフィンと植物?
植物の萼などをいろいろ重ねていったもののように見える。
ひょっとして、このようなモティーフの影響を受けて、階上廊のアカンサスが進化したのではないだろうか。
e8
上の丸いものも、そう考える根拠の一つ。
足が2本生えて、歩き出しそう。
e10
太い茎が壺から出ている。
アカンサスは最初は葉だけが表され、アンテミオンの一部として表されたりもし、パウシアス・スクロールの根元に表され、アカンサス唐草ができたりしていったが、初期キリスト教時代に入って、別の物へと変貌したようだ。
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→アヒロピイトス聖堂の蓮華はロゼット文
関連項目
テッサロニキ8 パナギア・アヒロピイトス聖堂3 モザイク2
テッサロニキ7 パナギア・アヒロピイトス聖堂2 モザイク1
マケドニア朝期のモザイク壁画1 アギア・ソフィア大聖堂
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ギリシア建築8 イオニア式柱頭
デルフィ3 アポロンの神域2 シフノス人の宝庫
2-5 パラティーノの丘、ドムス・アウグスターナ
※参考文献
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」 1997年 小学館
「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社
「山渓カラー名鑑 日本の野草」 林弥栄 1983年 山と渓谷
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」 1997年 小学館
「roman・forum・palatine・colosseum guide」 2008年 Electa