ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2014/01/24
ドームを持つ十字形プラン聖堂の最初は?
テッサロニキのアギア・ソフィアは、アギオス・ディミトリオス聖堂や近くのアヒロピイトス聖堂のようなバシリカ式ではない。バシリカにはないドームが、がっしりした建物の上に載っている。
小さな袖廊ながら、身廊と共にドームに集中する十字形プランは、この聖堂が最初なのだろうか。
しかし、『世界美術大全集6ビザンティン美術』は、方形ギリシア十字式プランの起源を見るとき、テサロニキの5世紀末のオシオス・ダヴィド聖堂が現存する最も早期の作例となるという。
同書は、「方形ギリシア十字式」cross-in-square、また「内接十字式」cross-inscribed などとも呼ばれる。集中式の特殊な形態で、中央にドームを戴き、そこから東西南北にヴォールトの腕を伸ばす。腕部の長さが基本的に等しいプランによって、「ギリシア十字」(四本の腕の長さが等しい十字)の名がある。東端にはアプシスに加えて、側祭室を設けることが多い。プランがギリシア十字を含む正方形になるように、四隅に小室が作られる。9世紀以降ビザンティン聖堂建築の主流となり、その起源に関してはビティニア(小アジア北西部)などの説があるという。
ビティニアはカルケドンやニカイアなど、最初期のキリスト教の重要な公会議が行われた都市のある地方だが、教会建築は確認できない。
テッサロニキにもっと早い時期の十字式プランの聖堂があったが、その平面図も外観の図版もなく、あるのはアプシスのモザイクだけだった。
玉座のキリスト 5世紀末? モザイク オシオス・ダヴィド聖堂アプシス
『世界歴史の旅ビザンティン』は、アプシスには全面に天国の4本の川、岩を含む地面、建物、木々、雲が描かれ、「神の顕現(テオファニア)」の場となっている。四福音書記者の象徴に囲まれた円形の輝かしい光背には、髯のない若いイエスが座って右手で祝福をする。左で耳に手をあてるのは旧約の預言者エゼキエル、右に座して物思いにふけるのは預言者ハバクク(もしくはエリヤ)といわれるが、異論も少なくない。年代も主題解釈も論議の多い作だが、豊かな自然描写は5世紀のものだろうという。
玉座のキリストは若い。キリスト教でも仏教でも、その美術の初期のものには、キリストやブッダが若く表現されるという共通点がある。
同著者は『地中海紀行ビザンティンでいこう!』で、5世紀の、銀を多用した神秘的なモザイクのアプシスという。
銀箔のサンドイッチガラスは経年変化で黒くなるのかな。それとも写し方で黒っぽく見えているだけかな。
『世界歴史の旅ビザンティン』は、旧市街の北、つまり街の高台は20世紀初頭に建てられたトルコ・マケドニア様式の民家が並ぶ、風情のある地区である。道は狭く錯綜し、はじめて歩く者が目的地にたどり着くことは難しい。
今日オシオス・ダヴィドと称される小さな聖堂はかつてラトモス修道院の主聖堂(カトリコン)であった。正方形に十字架を内接させたプランの建築であったが、西半分がなくなって奇妙な形になっているともいう。
テッサロニキのアギア・ソフィア聖堂と同じ内接十字形の平面のようだが、交差部にドームはなかったのだろうか。
浅野和生氏のフォト・アルバムのテサロニキ、アヒロピイトス聖堂、オシオス・ダヴィド聖堂には、もとはギリシア十字型でドームがあったようですが、ドームや建築の一部は失われていますとある。
このアプシスの上にわずかに写った構造から、十字形からドームへどのように移行していったかを想像するのは難しい。スキンチかペンデンティブか。
ペンデンティブだとすると、コンスタンティノープルのアギア・ソフィア以前の物になり、最古ということになるし、スキンチとなると、東方からこんな早い時期に請来されたことになる。
ひょっとすると、ガッラ・プラチディア廟(425-450年頃)のように、どちらでもないドームへの移行部だったのかも。
ガッラ・プラチディア廟は十字形の交差部にドームがのっているが、ギリシア十字式プランではない。
その外観。とても内部にドームがあるようには見えない。
『イタリアの初期キリスト教聖堂』は、この建物はガルラ・プラチディアが自分の墓廟として建てたと従来考えられていたが、今日ではそれは疑わしく、むしろ聖ラウレンティスの記念堂であったのではないかと考えられているという。
ガッラ・プラチディア廟ではなく聖ラウレンティスの記念堂(マルティリウム)だったとしても、建造当初の目的は教会ではなかったのだ。
クズル・キリッセ 5-6世紀 カッパドキア、シヴリヒサール
『世界美術大全集6ビザンティン美術』は、この円蓋を支える柱をもたないプリミティヴな構成は、コンスタンティノポリスの9世紀のアティク・ムスタファ・パシャ・ジャミイにも見られる。オシオス・ダヴィドとほぼ同時代に建立されたカッパドキアのシヴリヒサールのクズル・キリッセ(赤い聖堂)に、方形ギリシア十字式プランへの移行形を示す興味深い建築構成が見られる。コンスタンティノス・リプス修道院のように円蓋を4本の円柱が支え、微妙なリズムのある、調和した内陣の構成は、コンスタンティノポリスの聖使徒聖堂に見るような単純なギリシア十字式プランとバシリカ式との結合によって完成される。
5世紀末のクズル・キリッセ聖堂にもスキンチ工法が見られるという。
クズル・キリッセのドームがスキンチで載せられたとしたら、オシオス・ダヴィド聖堂のドームの四隅にもスキンチがあったのかも。
バシリカ式聖堂の起源はローマ時代のバシリカ←
関連項目
スキンチとペンデンティブは発想が全く異なる
ペンデンティブの起源はアルメニアではない
ペンデンティブの誕生はアギア・ソフィア大聖堂よりも前
ラヴェンナのガッラ・プラチディア廟にペンデンティブの前身
イコノクラスム以前のモザイク壁画3 ラヴェンナ
※参考サイト
浅野和生氏のホームページのテサロニキ、アヒロピイトス聖堂、オシオス・ダヴィド聖堂
※参考文献
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」 1997年 小学館
「地中海紀行 ビザンティンでいこう!」 益田朋幸 1996年 東京書籍
『世界歴史の旅ビザンティン』 益田朋幸 2004年 山川出版社
「建築と都市の美学 イタリアⅡ神聖 初期キリスト教・ビザンティン・ロマネスク」 陣内秀信 2000年 建築資料研究社
「建築巡礼42 イタリアの初期キリスト教聖堂 静なる空間の輝き」 香山壽夫・香山玲子 1999年 丸善株式会社
「イスラーム建築の見かた 聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版