アヒロピイトス聖堂は5世紀(450-470年とする文献もある)創建当初のモザイクが残っている。
しかも『世界歴史の旅ビザンティン』は、ナルテクスから身廊に入るアーチ、身廊と側廊を分かつ連続アーチ、さらには階上廊(ギャラリー)アーチのそれぞれ内側に、すべて異なるパターンの文様がモザイクで描かれている。図柄は動植物や幾何学文で、ハトや十字架、葡萄といったキリスト的なモティーフもあれば、壺やアカンサスなどの古代以来の伝統モティーフも採用されているという。
ある宗教が成立したとき、その美術は以前にあったものを借用し、やがてその宗教独自の美術が成立していくというのを何かの本で読んだことがある。ダマスカスのウマイヤモスクやエルサレムの岩のドームなどがビザンティン的とされるのもそのためであるという。
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5世紀といえばキリスト教美術でも最初期に当たる頃なので、キリスト教的なモティーフと伝統的なモティーフが入り混じっているのだろう。
地上階のアーチ内側モザイク画
階上廊及び地上階のナルテクスのアーチ内側モザイク画
同書は、私たちにとって興味深いのは、蓮華が天国を象徴する植物として用いられている点である。文献が語らない5世紀の仏教とキリスト教の交流を、美術作品は沈黙のうちに雄弁に示すのであるという。
その蓮華をこの目で見たいがために、ここまで歩いて来たのだった。
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まず身廊右列柱アーチ内側で蓮華を探すと、後陣側から数えて4柱と5柱に架かるアーチの内側(上図a5、以下同じ)にあった。
蓮華 a5
ところが、何ということだろう。テッサロニキに行くからにはアヒロピイトスへ、アヒロピイトスに行くからには蓮華のモザイクを、と長年思い続けて、やっと願いがかなったというのに、蓮華図は修復中だった。
確かに葉は蓮華のようだ。しかし花は花弁が細くて数が多い。さて、仏教美術にこのような蓮華はあったかな。
白い部分は剥落してしまったのかと残念に思って見ていたが、後で確認すると、剥がれないように修復した部分に紙を貼ってあるだけだということがわかった。
気になるのは、金地部分に金箔テッセラでないものがたくさんあることだ。これも金箔テッセラが剥がれて別のテッセラを補填したのだろうか。
他のモティーフをみていくと、
孔雀の羽根 b8
クジャクはローマ時代からだったかな?キリスト教時代に入ってもクジャクは表されるが、ここでは羽根の文様だけ。ローマ時代にも羽根の文様があったかどうかは確認できていないが。
クジャクの羽根は3つのアーチにあった。すべて異なるパターンというが、その違いがわからない。
それが両側のアーチの起拱点から上に続き、頂点で青い丸文に達している。
花綱 a8
アーチの両側の起拱点にそれぞれ水盤がある。そこから色の異なる花綱が2本、旋回し、交差して3つの輪を作っている。
花綱はローマ時代からあったが、両側から吊り下げられたり、童子が担いだりしていた。
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b12
これは輪の中にヤグルマギクのような花が大きく表されたもの。
一つの花弁、一枚の葉でさえ単色のテッセラだけで表すことはないと言っても過言ではないくらい、多様な色遣いだ。
十字架と果樹 e7
花輪や葉綱はローマの帯文様としてあるが、それが壺から生える果樹や花として表されている。
亀甲と卍の繋文 b13
四角形(卍)と八角形(亀甲)の組み合わせのようにも見え、組紐が卍繋文と亀甲を作りだしているようにも見える。亀甲の中には鳥(ハト)、果物、アサガオ?が嵌め込まれている。
八角形・六角形と卍の繋文 b10
亀甲の八角形と横長の六角形、そして組紐による卍繋文で作られている。
かなりでこぼこしているように見えるが、『ゆらぎ モザイク考』の<「バラツキ」と「ゆらぎ」のあるモザイク>で後藤泰男氏は、ジョーンズが「秩序と混沌」と表現したこのバラツキの再現こそが、復元に最も重要なポイントであると私たちは考えました。基本形状を底面の直径20㎜で高さが108㎜の円錐形としながらも、形状と大きさにバラツキを持たせながら復元していきます。
しかし、しばらくして職人たちが一定のリズムを持ち出すと、乾燥台の上にはまったく同じ形のペグが並びはじめました。
施工の職人たちにも、復元ポイントはバラツキであることを伝え、「5000年前の人たちになったつもりで施工してほしい」とお願いしました。意図することは理解していただけるのですが、いつも綺麗な仕上げを求められてきた彼らにとって、バラツキが必要なことはわかっていても体が動いてくれないようでした。
「ペルガモン博物館」に展示されている本物の壁に比べると、ジョーンズが評した秩序と混沌の両極端が存在するといった荒々しさはないかもしれません。しかし、適度にバラツキを持ったクレイペグに落ち着きを感じているのは私一人ではないと確信しています。この適度にバラツキを持った表情を「ゆらぎ」と表す人もいますという。
熟練した工人だからこそこのように凹凸を意図的に施したのだろう。
植物文 a6
植物や花綱は壺や水盤から伸びているが、この植物モティーフは器がない。
ユリ、グラデーションのあるアサガオのような花、そしてムギ。中央はヤグルマギクかな?
組紐?とハト b12
これはを組紐文と呼んでよいものかわからないが、とりあえず組紐文としておく。
共にグラデーションのある赤と青の組紐が捻れたり、交差しながら枠を生み出して、その内外にアサガオ?やハトが配置されている。
a12
ハトの色が違ったり、中央の文様も一様ではない。これはメロン?
壺と葡萄唐草 b9
アーチの起拱点にガラス製かと思われる器が置かれ、それぞれから伸びたブドウの蔓が、別の蔓を出しながらくるくる弧を描いて中央の実で合流する。葡萄唐草と呼べる文様となっている。葉は左右で色を変えている。
a10
ほとんど残っていないが、葡萄の実一粒一粒を立体的に表そうとし、葉もローマ時代のブドウの葉のように左右で色を変えている。
壺から伸びるアカンサスと十字架
アカンサスが壺から出ているのは古くからあるパターンだが、唐草文にはなっていない。
a3
このようなアカンサスはない。アカンサスは唐草から更に別のものに変貌していく。
中央に輪っかがあって、その中に十字架があったようだ。
十字架とアカンサス a7
十字架の両側の3つの実が気になる。ブドウではなく、アカンサスの種でもない。
しかし、葉はアカンサスであることに間違いはない。しかも。片方は緑、もう一方は青、それぞれ葉脈のようなものを濃い色で表し、葉先は赤系のグラデーション。この2枚の葉が何故リュトンあるいは角笛から出ているのだろう。
十字架と燭台のようなアカンサス e8
さらにアカンサスは変化し、歩き出すのではないだろうか。
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→イコノクラスム以前のモザイク壁画8 アヒロピイトス聖堂2 蓮華もいろいろ
関連項目
アヒロピイトス聖堂の蓮華はロゼット文
テッサロニキ8 パナギア・アヒロピイトス聖堂3 モザイク2
テッサロニキ7 パナギア・アヒロピイトス聖堂2 モザイク1
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イコノクラスム以前のモザイク壁画 聖像ではないので
テッサロニキ5 アヒロピイトス聖堂まで街歩き
※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社
「ゆらぎ モザイク考-粒子の日本美」 2009年 INAX出版