『ガラス工芸-歴史と現在展図録』は、この時期のメソポタミアのコアガラスの出土分布は、当時のフルリ人の領域の標識となっているいわゆるヌジ式土器(ミタンニ式土器とも呼ばれ、独特の器形・文様を持つ)の分布域とかなり一致しており、両者の器形も似ていることから、これらのガラスの担い手は、フルリ=ミタンニ人と考えられている。因に、一般に製鉄技術はヒッタイトに始まったとされているが、鋼鉄精錬技術は、前15世紀頃のミタンニのキズヴァトナ地方に最古の遺例が確認されている。出土遺物から見て、鋼鉄製品のみに限らず、ガラス・釉といった当時の最先端の科学技術が、ミタンニにおいて完成され、実用化されたと考えられる。こういったミタンニの科学技術は、これを政治的・軍事的に滅ぼしたヒッタイトやアッシリアに引き継がれ、やがてオリエントへと浸透していくのであるという。
ガラスを溶かして細工をするにはかなりの高温を保つことが必要なため、常に金属の製造と同じ場所で行われていたというのは以前に聞いたことがある。そしてガラスの製作はミタンニで始まったというのも何かで読んだ記憶がある。しかし、製鉄といえばヒッタイト帝国で始まった。しかも、製鉄技術は印欧語族のヒッタイトがアナトリアにやってきて支配下においた、先住のハティ人だったと何かで読んでずっとそう思っていた。それがガラスを最初に作ったといわれているミタンニとどういう関係にあるのかわからなかったが、ようやくこの文で結びついた。
メソポタミアのモザイクガラスは、色ガラス片を1つずつ貼り付けていくだけではなかった。
モザイクガラス坏片と実測図 北イラン、ハサンル出土 前12-9世紀 フィラデルフィア、ペンシルヴァニア大学博物館蔵
『ガラスの考古学』は、前12-前9世紀頃の、マルリクやハサンルといった北イランの遺跡からも、人物と聖獣の連続文の杯などが出土している。こういった特異の作品が、やはりシリア・メソポタミア方面からの流入品か現地製かについては、類例に乏しく結論はでていないという。
こちらは下に聖獣とパルメット文、上に人物立像を1組として4組で器を一巡している。モザイクガラスのモティーフとして主文の3点、そしてそれらを隔てる装飾帯の1点がそれぞれモザイク単位として作られ、内型に貼り付けられたのだろう。
同じ遺跡から、十字文の衣装を着た人物文のガラス坏も出土している。
人物行列文坏断片 イラン、ハッサンル出土 前9世紀 高3.3㎝(右) フィラデルフィア大学蔵
『世界ガラス美術全集1古代・中世』は、ハッサンル出土のガラス坏の特殊性は、赤褐色のガラス素地に、青、トルコブルー、白等の不透明色のガラスで、人物、樹木、アイベックス(野生ヤギ)等が、ほとんどその意匠を、ガラスの熔融、流動によって歪みを発生させることもなく、整然と象嵌文様として表現されていることである。
この坏の製法は、いわゆるパート・ド・ヴェール技法という、ガラス粉を使用して、細部の色文様を作り出しながら、ガラス器物を製作する特殊な技法を応用したものである。これを作るためには、パート・ド・ヴェールの技法をさらに複合化した特殊技法が使われていたことが推察される。おそらく、最初は平板な板状に作り、それを軟化させて、円筒状に作り、合わせ目を十分に修正して仕上げ、底部は素地の赤褐色ガラス等を熔着させて丸く仕上げて完成させたのではないだろうか。コスチュームの意匠の整然とした表現等は、内型外型の二つの型を使ったモザイク・グラス技法ではなく、こうしたパート・ド・ヴェールの複合技法によってこそ、はじめて可能であるという。
ヌジやエジプトのトトメス三世の王妃墓から出土した瑪瑙文のガラス容器も内型と外型に挟まずに作られたようだが、モザイクガラスの技法で作った断片を熔着していったと書かれていたように思う。ハッサンル出土の容器も同じようにモザイクガラスの技法で作ることはできなかったのだろうか。
フォン・ザルデルンは、各文様のパーツをあらかじめ作っておいて、それを内型の外側に配置して、外型をつけて焼成するという、一種のモザイク・グラスの技法によってつくったものであろうと推定している。しかし、モザイク・グラスの技法によってこれを製作する場合には、各パーツを内型及び外型に合わせて湾曲させておく必要があり、間隙ができた場合には、当然に熔解後に文様には変形が生ずる。しかし、この坏の意匠には、そうした文様の変形がほとんどみられないうえに、モザイク・グラスの技法では、雄雌両型で、こうした複雑な意匠を、完璧な状態で熔解成形することは不可能であるという。
この文を著した由水常雄氏はガラス作家でもある。
頭の中であれこれと想像しても、実際にやってみると、全く不可能だったりすると、実験考古学的に陶磁器を作ってきたある爺さんから聞いたことがある。実際にものを作った上での意見は貴重だ。
よく似たガラス板は以前くから作られていた。
モザイク・グラス板 アッシュール出土 前13世紀 断片幅約3.0㎝ ベルリン国立博物館蔵
ティクルティ・ニヌルタⅠ世(前1243-前1207)のイシュタル神殿址出土の動植物文の象嵌用モザイク・ガラス板という。
図版には後ろを振り返ったヤギのような動物がそれぞれ表されている。後ろか上部にはハッサンル出土の坏のように、王か神が登場するのだろう。
いったい何に象嵌されていたのだろう。ガラス坏になる前の段階のガラス板だったのでは。
台付鉢 アッシュール出土 前13世紀 口径13.2㎝ ベルリン国立博物館蔵
赤、白、青、黄、緑の連続六角文の台付鉢という。
これが内型と外型にガラス片を敷きつめて熔着する、モザイクガラスで作られた容器だ。それぞれのモザイク片の中心は同じ色のガラスらしい。
輪郭に5色使って、六角形、つまり亀甲を作った、亀甲繋文の容器ともいえる。
ところどころ亀甲が変形しているが、ほぼ隙間なく作られている。テル・アル・リマー出土のモザイクガラス容器断片(前15世紀頃)やテペ・マルリク出土のモザイクガラス坏(前12-11世紀頃)に匹敵する作品だ。
モザイク・グラス板 メソポタミア、アカル・クーフ出土 前14世紀 バグダード国立博物館蔵
アカル・クーフの前14世紀層から出土した、青、赤、白の色ガラスを使った、六射星文や菱形文の象嵌用モザイク・ガラス板という。
宮殿址とも、ガラス工房址とも記されていないのが残念だ。ガラス工房址となると、ハッサンル出土の坏のようなものを作るためのガラス板だと特定できるのに。
六射星文は深見奈緒子氏のいう6点星だ。三角形を上下反対にして重ねるとできる文様だが、こんなに古くからあったとは。
由水氏のいうように、アッシュール出土のモザイクガラス板やアカル・クーフ出土のガラス板がモザイクガラスの技法で作ることは不可能で、パート・ド・ヴェールという技法で作られたにしても、それらを幾つか寄せ合って熔着してハッサンル出土の坏のような容器にするという意味で、モザイクガラス片といって良いのではないのだろうか。
※参考文献
「ものが語る歴史2 ガラスの考古学」(谷一尚 1999年 同成社)
「世界ガラス美術全集1 古代・中世」(由水常雄・谷一尚 1992年 求龍堂)