エジプトのモザイクガラスは、アメンホテプⅡの時代が最初ではなかった。
縞瑪瑙文壺 ワジ・クバネト・エル・ギルドのトトメス三世妃墓出土 前1490-1437年頃 高10.2㎝ メトロポリタン美術館蔵
『世界ガラス美術全集1古代・中世』は、淡緑色の素地に赤、緑、白、黄、茶の色ガラス細片を熔かし合わせて断片に作ったものを、モザイク状に熔着して、よく加熱して全体を整らし、縞瑪瑙状の美しいパターンを作って壺に成形。内外を研磨して滑らかな肌に仕上げているという。
モザイクガラスの技法で瑪瑙の文様を作るという、これまで見てきたジグザグ文あるいはそこから派生した波状文・羽状文・垂綱文などとは全く異なったものを表現しようとしたものだ。
この図版は容器の内側が写っているので、「素地」あるいは「胎」となるガラスの上にモザイク片を貼り付けたのではないことがわかる。
ひょっとして、コアに断片を貼り付けていったのではなく、断片どうしを型なしで熔着していったのだろうか。
幾色かの色ガラスを作って、それを熔着して縞目文様のガラスを作ること、半熔解素地にそれらの断片を熔着して複雑な縞瑪瑙文様を作り出していること、こうした複合プロセスは、ガラス工芸が高度に発達して、ガラス素材のもつ性質や特徴を十分に把握しきった段階で作られるものであるから、これによっても、第18王朝のガラス工芸の水準の高さを推知することができる。なお、壺には金製のスタンド(台)がつけられているという。
トトメスⅢ時代といえば、やっとエジプトでガラスの製作が開始した時期ではないかと言われている頃なのに、こんなに手の込んだ仕事ができたのだろうか。
トトメス三世の3人のシリア人の王妃墓から出土したという記述もある。シリア人の王妃たちがシリアから持ってきたのではないだろうか。
ヌジの宮殿からも似たようなモザイク容器が出土している。
有脚壺断片 メソポタミア、ヌジ第Ⅱ層宮殿址中庭M100出土 前15世紀 現高10.0㎝径8.5㎝厚0.35-0.55㎝ ハーバード大学セム博物館蔵
『世界ガラス美術全集1古代・中世』は、球形胴部、幅広頸部、やや外側に開いた口縁部をもち、エジプト出土例と同様の有脚壺と考えられるが、底部は欠損。頸基部に同一素材による一条の水平畝状文があるが、胴部文様とつながっているので貼付によるものではなく、削り出しによるものと考えられる。赤茶、黄、濃青、トルコ青、白のモザイク。なお、同一技法による断片がG91、A33地点でも出土しているという。
トトメス三世の王妃墓出土の容器よりもいびつなため、一見上手な作りではないように見えるが、湾曲した縞文様を見ると、こちらの方が連続性があって、より瑪瑙に近い。また胴部の帯状のものを削り出すというのも高度な技術だろう。
断片にしても同じ技法で製作したものが出土しているなら、メソポタミアで作られたと見る方が自然だろう。
同書は、頸基部の水平畝状文の有無や、用いられたガラスの発色の微妙な違いを除くと、器形から細部の技法に至るまで両者は酷似している。同一地域での製作が想定されるが、仮にそうであるとすれば、同種同器形のガラス容器がエジプトでは1点も出土していない現状からみて,トトメス三世のシリア人の王妃がエジプトに将来した可能性が強いと考えられるという。
エジプトでガラスト製作が開始されたとされるトトメスⅢ期では、こんなに高度な技術を要する作品は作ることができなかっただろう。
また、『ガラスの考古学』でトトメスⅢは、治世第31年(前1459?)の第7回(遠征)からは、いよいよ最終目的地のミタンニで、この年フェニキアの海港を獲得し、治世第33年(前1457?)の第8回遠征で、アレッポ、カルケミシュ、カデシュ=ニヤなどの戦に勝利を収め、当時ガラス製作の中心地であったミタンニ王国に侵入した。
エジプトのガラス容器製作は、現在残されている遺品でみるかぎり、この王の時代と次王アメノフィスⅡ世期(前1438-1412?)のどちらかの時期に開始された可能性が高い。
トトメスⅢ世期の開始の場合は、たとえば王が外征でガラス職人を連れ帰る、あるいは王の3人のシリア(ミタンニ)人の妻が職人を連れてくるといったことも考えられ、一方アメノフィスⅡ世期の開始の場合は、トトメスⅢ世期の遺品は、ミタンニ宮廷でエジプト王のために王銘入りで特別に製作され、エジプトに将来されたといったことも想定できるという。
トトメスⅢのシリア人の王妃たちの出身はミタンニだった。トトメス3世銘入り坏も、エジプトではなくミタンニで製作された可能性もあるという。
また下のガラス容器が出土したヌジ遺跡の第Ⅱ層宮殿址というのが、ミタンニの都ではないだろうか。
※参考文献
「世界ガラス美術全集1 古代・中世」(由水常雄・谷一尚 1992年 求龍堂)
「カラー版世界ガラス工芸史」(中山公男監修 2000年 美術出版社)
「ものが語る歴史2 ガラスの考古学」(谷一尚 1999年 同成社)