竹田城跡の後は八幡山古墳群に行った。国道9号線に入り、関宮のループを越え、道の駅ハチ北の角を左折して坂を登り切り、どこだろうと車を停めたところが古墳群への進路だった。車で入れるということだったので、進入すると、円墳が見えてきた。
車を突き当たりにある神社の空き地に置いて古墳群を見に行こうとすると、枯れ葉の積もる境内のあちこちに丸い石がるあのに気づいた。 中には丸い石を割ったものもあった。これも小さな墓だろうか。 通路の両側には楕円形の石が前の石にもたれかける状態で連ねられていた。しかも中央寄りの両側の石は、1つの石を割ったとしか思えない形をしている。 こちらも楕円形の石で、それが割られて何かの意図を持って並べられていた。円墳ではないが、これらも墓石に違いない。 こちらには支石墓が並んでいる。日本には北九州にあるだけかと思っていた。春に行った韓国では、済州島で新済州郊外や空港の駐車場で見た。 楕円形の大きな割石の周りに丸い小さな割石が置かれている。これも古墳ではないのだろうか。円墳にも割った面を外にして丸い石が使われている。
こちらにも割石やら丸い石やらが並べられている。 土を積んだ古墳だけでなく、丸味のある石で様々な墓がつくられていることに驚いた。八幡神社の境内を掃除している人を見かけたので、聞いてみよう。 あれは外国から芸術家を呼んで、創らせたものですよ
その時に石も全部運んできたんですか?
そうです
円墳の周りの割石もその時にできたものですか?
そうです。向こうの方にも石の創作がたくさんありますよ。向こうに説明パネルがありますよ
もう一度戻ると、通路に面した石に金属パネルが嵌め込んであった。ここは八幡山公園という。園内には5~6世紀に築造された4基の古墳群が現存しており、それらの多くは福岡集落を望む南東斜面に配置されているのが特徴である。これらの古墳群の頂上部はほぼ一直線で結ばれ、歴史的な時間軸を感じさせる。公園のほぼ中央には集落の氏神を祀った八幡神社があり、いにしえより鎮守の森として地域住民に親しまれてきた。
本公園の整備は、地域固有の歴史的遺産と自然環境を生かしだ文化想像空間づくりをめざす「兎塚学びの里構想」の先導的事業として、1992年(平成4)からはじまった。北側に位置する「創造の丘」は、ヨーロッパやアジアの諸国から彫刻家9人を招いて「国際彫刻シンポジウム」により整備された石彫公園である。また、南側の「歴史の丘」は、国内の若手彫刻家が古墳群に石彫を配置することによってつくりあげた空間である。いずれにも地元産の笠波石が使用されており、この公園づくりに地元住民も惜しまず協力したという。なーんや。期待したのに。
そして境内の反対側にも行ってみた。なるほどいろんなオブジェがありました。でも、丸い石はもともとあったように、うまく置いてあるなあ。
※参考文献
「兎塚学びの里八幡公園の説明パネル」(1994年 兵庫県教育委員会)