大きな石がごろごろ転がっている所の先に岬のように突き出た平地があった。ここが屏風折れの石垣と呼ばれているところで、第2展望台とされている。
説明板に、鬼ノ城で最も著名な高石垣です。血吸川の急崖上に舌状に建築されており、内側列石や敷石が残っていることから、建物等は存在しない可能性が高いと考えられますという。何か建物があったのかと思うような平たく広い場所だ。血吸川とはすごい名前やなあ、11:42。


また鬼ノ城一帯は、平安時代に新山、岩屋とともに山上仏教が栄え、大規模な伽藍が多数立ち並び、西方教化の中心地であったといわれていますという。渡来系の居城やったんや。
平安時代の寺院があった。礎石建物群跡の3区に平安時代の基壇と掘立柱建物跡があったということだった。基壇は寺院跡だったのかも。






