当麻寺は金堂と講堂が南北に並んでいる。ここにも1対の江戸期の燈籠がある。

当麻寺発行の冊子『當麻寺』には曼荼羅堂(国宝・天平時代)となっていて、本堂とも呼ばれ、曼荼羅信仰の中心となっている堂で ・・略・・ その創立の時期は古く、しかも古い伝統の一方を保持しながらも、中世以後の信仰形態の変化に伴って、それへの適応が行われる時、金堂が現存しながら本堂が生じるのである。桁行7間(正面21m)梁行6間(奥行18m)寄棟造、本瓦葺で、東面して建っているということで、何故東向きなのかは書かれていない。
『日本の美術272浄土図』で河原由雄氏は、まず第1に当麻寺には古く、切妻造のほぼ同規模の堂が双堂(ならびどう)形式で2棟あり、天平末期か平安初期に、2棟の古材を転用もしくは則用して、現本堂位置の堂が正面7間の寄棟造に改造せられた。こうした改造は本曼荼羅を祀る六角形宮殿厨子を納置するためのものであって、厨子の細部に残る文様などの時代観点ともよくあい、また、この時か少し遅れた時期に堂の前面に孫庇(礼堂)が建て加えられたことは、本曼荼羅図を本尊とした新しい当麻寺史の開幕を物語っている。ついで平安末期の永暦2年に改造が加えられ、これが現存の曼荼羅本堂であり、このころから内陣に設置されていた曼荼羅厨子にも修理の手が加えられるとしている。
軒下は平三斗と間斗束が交互に並ぶ法隆寺講堂に似た様式だ。何やら屋根の上が寂しいなあと思ったら、寄棟造の棟が短く、鴟尾もないのだ。





関連項目
當麻寺展3 當麻曼荼羅の九品来迎図
當麻寺展2 當麻曼荼羅の西方浄土図細部
當麻寺展1 綴織當麻曼荼羅の主尊の顔
当麻寺で中将姫往生練供養会式
※参考文献
「當麻寺冊子」 当麻寺発行
「日本の美術272 浄土図」 河原由雄 1989年 至文堂
「週刊古寺をゆく35 当麻寺信貴山」 2001年 小学館ウイークリーブック
「太陽仏像仏画シリーズⅠ 奈良」 1978年 平凡社
※参考ウェブサイト
Schwedenplatz なんやらな?資料館より蟇股のちがい