春うららかな日、吉備路に出かけた。備中国分寺の周りには、古墳が集中していることを最近になって知った。吉備路は今冬行った熊山遺跡の西方にある。
まず造山(つくりやま)古墳に行ったのだが、道を間違えて後円部の方に行ってしまい、前方側にある小さな古墳群をよく見ることができなかった。吉備路はどうやらサイクリングロードの方がよく整備されていて、自転車で回った方がよさそうだった。(下図は「吉備総社ぶらり旅」という無料のパンフレットより)


土で覆われた古墳に入るのと、岩だけになった石舞台古墳に入るのとではだいぶ感じが違う。

石棺は2mほどあるということで、岡山市立オリエント美術館で開催された「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」で、ビデオが各コーナーにあり、その1つに、吉村作治氏がギザのクフ王のピラミッドに入っていって、以前は石棺だろうと言われてきたものの横に立ち、150数㎝しかないのでこれが石棺のはずがないと説明するというものがあった。大画面のものを間近で見ていたので、臨場感があり、なるほど小さいなと思ったのだが、それと比べると、こうもり塚 古墳の石棺はずっと大きかった。
写真にはよく写っていないが、床は小石が敷き詰められていた。




中国では始皇帝陵に登っている人たちを見て驚いたが、驚くほどのことではなかったのだ。
こうもり塚古墳も登ることができるということなので、登ってみた。後円部より、前方部を見ています。

どうも畿内にばかり目を向けていたが、岡山というところにも古いものがたくさんあることがわかった。当時かなりの権力のある者が統治していたのだろう。