ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2007/01/29
世界ふしぎ発見を見て熊山遺跡に行ってみた
2007年1月20日の「世界ふしぎ発見」は「第994回謎の大伽藍・ボロブドゥール ピラミッド寺院は海を越えた」だった。私は仏教美術は好きだが、東南アジア系のものは好みではない。従って家事をしながらところどころ見たという程度なので、ええ加減な記憶しかない。間違っているかも知れないが、「階段ピラミッドの形が奈良の頭塔や岡山の熊山遺跡に似ている」という風に両遺跡を紹介していた。
それを見て、山の上にあるという熊山遺跡に行ってみようということになった。道路地図で熊山遺跡はすぐに見つかった。岡山県赤磐市にある。山陽自動車道和気インターをおり、国道374号線に左折で入り、和気の町を通って金剛大橋の手前で吉井川とJR山陽本線の間の道をしばらく走り、右折で北側から熊山の頂上までの道に入ったら良さそうだ。
そう見当をつけて和気の町まで行ったのだが、吉井川を渡るまでに左折で川沿いの道に入る予定なのに、行ってみるとそんな道はなく、気がついたら金剛大橋を渡っていた。直進してはいけないと思っていると、前を走る車のほとんどが左のループに入っていくので、我々も後を付いていった。吉井川の対岸の道に出てしまい、「反対方向やがな」と焦ったが、先に橋を見つけ、何とか我々の目指す道へ入ることができた。やれやれ。
ところが、段々とその道は狭くなり、どう見ても車1台通るのがやっと、と言うよりこするんではないかと思うくらい狭く、通るのは地元の人だけではないかと思うような道だった。しかしここは一方通行ではない。向こうで対向車が待ってくれている。気がつくと我々の後ろには数台の行列ができていた。あせる、あせる! こんな道をどこまで走るのかと不安だったが、ほどなく左折(実際にはヘアピンカーブの)するところが見つかり、とりあえずその道を行くことにした。カーブを曲がりながら地味な案内板を見つけた。
すぐにJRをくぐり、ひなびた集落をあっちに曲がりこっちに曲がりしながら前方の熊山だろうと思われる山に近づいていった。写真を撮り損ねたが、この集落には礫を混ぜた土壁を巡らす家屋があり、その壁は角がなく、曲線になっているのが興味をひいた。 熊山は標高508mの山である。海抜ゼロmに近いところから登っていくので、山に入ると途端に道は狭く、カーブが連続する、夫の得意とする山岳道路に。それでも前半はガードレールがあったが、後半はガードレールもなく、両端と中央部が苔むす道だった。ある程度登るとあまり高度差がなくなってきた。そして右側に池があった。こんな高いところに池が?などと話しをしたが、『熊山散策のしおり』は、山頂に近い板場池は、平成6年(1994年)の渇水で池底が現れ、祭壇様の大きな石積みや、石鏃先、壺、真っ二つに割られた茶碗の破片などが出土した。江戸時代に雨乞いをする祭場であったと推定される。
板場池の北岸で、備前焼大壺・甕の破片が採集された。鎌倉時代から南北朝期と見られ、窯が築かれていたと思われる。ここ以外に同じ標高300m以上に位置する窯は熊山南斜面に集中して10基以上確認されているという。
雨乞いは以外と歴史が浅い。しかし、備前焼がこんな高いところで焼かれていたというのは驚きだ。麓に運ぶだけでも大変だっただろう。
話がそれてしまったが、川沿いの道から左折で熊山に向かってから、駐車場に着くまでは15分ほどだ。放送から1週間おいて行ったので、駐車場には数台停めてある程度だった。
車が入り込めないように渡してある鎖を跨いで、いざ熊山遺跡へ。 すぐに道は2手に分かれる。左手は熊山遺跡への道。右は二つ井戸へ。せっかくなのであちこち寄り道しながら行こう。二つ井戸は、井戸というよりわき水のような水たまりが2つ並んでいて、立派な屋根がついている。あまりにもまわりが狭く、レンズに収めきれない。
分岐に戻っていくと、右に別の道があった。そちらに向かうとすぐに立派な石の鳥居が見えてきた。明治の神仏分離でできた熊山神社だそうで、境内には児島高徳の腰掛け岩なるものがあるらしいので入ってみた。
後醍醐天皇を奉ずる南朝方の武士児島高徳は、建武3(1336)年4月、新田義貞・脇屋義助と謀って熊山に兵を挙げ、尊氏方の赤松軍と戦った(太平記)。軍議の際、高徳が腰を下ろした「腰掛け岩」「旗立て岩」といわれる伝説の岩の内腰掛け岩がこれらしい。伊部に近いせいか備前焼の狛犬があった。鳥居を出て、階段をおりていくと、駐車場からの道へ出た。このあたりはヤブツバキが多い。「熊山天然杉2本」は右側に並んでいるが、あまりにも巨大すぎて、近くすぎて写真に撮りきれない。その向こうにかなり大きなヤブツバキがあった。地面にはたくさん花が落ちているが、咲いている花を探すのは難しかった。ヤブツバキは花が小さく、開ききらないところが良い。花びらの縁が黒ずんでいるのが残念。森の中を歩いていると、左手奥に何やら見えた。猿田彦神社らしい。帰りに寄ることにした。15分ほどで管理棟が見えてきた。熊山遺跡は右手の道を行くのだろう。と思ったら、右の方を向くと、熊山遺跡がすぐそこにあった。あっけないほどだった。
世界ふしぎ発見を見て熊山遺跡に行ってみた(続)につづく
関連項目
頭塔を見に行ったら
再び頭塔を見に行ったら