サントストルモワヌ聖堂は外観
フランス・ロマネスク散策のイソワール(以下『ロマネスク散策』)は、816年、ノルマン人の侵略から逃れてきたポワトゥのベネディクト会修道士らが、イソワール近隣のサンティヴォワヌに避難する。彼らはイソワールに新修道院を設立し、この修道院は937年にサンピエールとサントストルモワヌの名の下に聖別され、修道院教会の建設は、940年頃計画される。修道院は繁栄を謳歌し、12世紀に修道院は再建される。修道院教会は1190年頃完成し、これが現在のロマネスクの教会堂である。
宗教戦争時、ユグノーにより修道院と教会堂は略奪され、建物にダメージを受けた。
1793年フランス革命時、修道院教会は荒らされ、修道院の建物はほぼ完全に破壊される。1801年教会堂は教区教会となり、1830年代以降大修復工事が始まる。
このサントストルモワンヌ教会は、バッス・オーヴェルニュの5大教会のひとつという。
この聖堂もまた色石の組み合わせによるモザイク装飾がある。
色石のモザイク装飾もパターンが豊富。『ロマネスク散策』は、ヴォルヴィックの玄武岩とモンペイルーのアルコーズを用いて表現された、幾何学模様や花モティーフのモザイク装飾がふんだんに見られますという。
八角形の鐘楼には、白と黒の三角が交互に配されるもの、白い格子に黒い石が入っているもの、七宝繋文のようなもの、ジグザグのヘリンボーンあるいは杉綾文など。
これはクレルモンフェランのノートルダムデュポール聖堂南翼廊のペディメントにもあった装飾に似ている。同じと言わないのは、ノートルダムデュポール聖堂の方は石材が切り込みのあるものだから。そして、『The Treasures of Romanesque Auvergne』にはChauriat(ショリア クレルモンフェランから東に12㎞の町)の Saint-Julien de Chauriat (サンジュリアン聖堂)の図版があり、菱文繋のようなものがやはり切り込みのある石材で構成されている。
どちらかと言えば、サントストルモワヌ聖堂の方が石材に切り込みがなくすっきりしている。
平面図
『世界史の旅 フランス・ロマネスク』(以下『フランス・ロマネスク』)は、身廊の高さ9m55、長さ65m、七つの梁間をもち、オーヴェルニュ地方で最大の規模である。
身廊は2階からなり、放射状祭室には五つの祭室があり、中央のものが長方形、翼廊に左右一つずつ祭室をもつ。
ここの洗礼者志願室には、先だつ教会から招来された壁がはめこんである。石材はモンペイルーの黄色の花崗岩が用いられている。銘のはいった石は、後陣近くの壁に多く、種類もさまざまであるという。
現在ではモンペルーの石は砂岩とされている。
後陣には放射状祭室が五つ。そのうちの中央のものは三つが密接して造られていて、しかも真ん中は半円ではなく矩形。
黄道十二星座(コピーらしいが)
放射状祭室の中央の平たい祭室にも石材を組み合わせて六角形や四角形を構成している。窓の両脇には乙女座と天秤座
射手座に山羊座
ということで、他の星座を南から順番に並べてみると、
獅子座
切石モザイクの文様は七宝繋文
乙女座と天秤座の次は蠍座
切石モザイクは縦の菱文繋
水瓶座
瓦の積み方もこの地方独特。
星座にだけ気を取られていられない。
鐘楼やその他の小さなアーチ列にも円柱の装飾があり、それぞれの柱頭彫刻も凝っている。
南側廊側
階上廊(トリビューン)には三連アーチがずらりと並び(七つの柱間に一つずつ)、それぞれに柱頭彫刻がある。
その中の一つ。ここの柱頭彫刻は籠を編んだかのような透彫風のものが多い。
こういうふうに黒っぽい石だと古いもののように思ってしまう。軒裏のモディヨンの間には、いろんなものが彫られていて、大抵は四つか八つだ。
南翼廊東側の突起
その軒裏にも四つ葉のような文様があった。
参考サイト
参考文献
「世界歴史の旅 フランス・ロマネスク」饗庭孝男 1999年 山川出版社