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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2022/12/02

寒山拾得図 南宋-元


私にとって寒山拾得図で一番強烈な印象のある作品といえば伝顔輝筆だった。
ところで、寒山や拾得はどんな人物だったのか。学生時代に聞いたまことしやかな説は
「寒山は乞食で、拾得は坊主」。でも、字面からすると拾得の方が乞食のようだけど・・・と思ったものだった。
東京国立博物館蔵伝顔輝筆寒山拾得図 元時代 絵はがきより


検索すると、三省堂『新明解四字熟語辞典 』(寒山拾得が四文字熟語とは)には、中国唐代中期の寒山と拾得の二人の高僧。二人とも奇行が多く、詩人としても有名だが、その実在すら疑われることもある。拾得は天台山国清寺の食事係をしていたが、近くの寒巌に隠れ住み乞食のような格好をした寒山と仲がよく、寺の残飯をとっておいては寒山に持たせてやったという。また、この二人は文殊菩薩、普賢菩薩の生まれ変わりといわれる。画題としてもよく用いられると解説されている。
「寒山詩」があるのは知っていた。

この「寒山拾得」という画題はいつ頃から描かれた画題だったのだろう。
 『水墨美術大系第3巻』は、寒山拾得は、霊地として名高い天台山を背景にして生れた伝説上の人物であるが、北宋時代にはその実在が信じられ、すでに絵画化もおこなわれていた。やがて、『景徳伝灯録』の中に記録され、禅宗社会の中に根をおろし、寒山詩の鑑賞とともに、その絵画化も叢林で盛行したらしく、南宋時代以後の諸師の語録詩文集には、寒山拾得にたいする題画詩が多数みいだされ、主として禅余画家達によってえがかれてきた。彼等の画像は、持物や表情などいくつかのタイプがないこともないが、本来その表現について形式的制約があるわけではなく、画僧達が各自の自由な解釈によってえがくところに面白さがあるといえるだろうという。
北宋時代の寒山拾得図を私は知らないが、現存しているのだろうか。


寒山図 伝蘿窓(南宋 1127-1279)筆 掛幅 紙本墨画 59.0X30.5㎝ 
同書は、寒山の風姿は、禅余画家達の自由な解釈によって、種々な姿にかかれるが、ここでは経を読むところ。ひろげた経巻でなかば顔をかくしているのは意味ありげで新鮮な構図である。さらに本図で目をひくのは寒山の衣に塗沫された豊かな墨気であろう。素人らしい稚拙な淡墨で大体の形がかかれた後、その輪郭線が没するほどたっぷりと墨面がひろがっている。ここには罔両画の惜墨も、禅月羅漢に代表される濃墨の衣文線もない。それはいわば没骨の人物画といえようか、画面には色彩や、線描にかわって水墨のひろがり、墨の色彩としての美しさが表現の主役となって、生き生きと躍動している。このように本図は、墨の調子を中心に対象をとらえようとする斬新なアイデアをもっているが、作者の技術はそれを充分生かしているとはいえない。画面右上に「蘿窓」の印があるが、あまり信用出来ない、日本での後捺ではなかろうかという。

罔両画については文化遺産データベースで、胡直夫筆布袋図・朝陽図・対月図の解説に、目と口などにだけ、わずかに濃墨を点じ、淡墨の柔らかな筆で朦朧とした表現がとられており、南宋初の画僧智融にはじまる罔両画様式が継承されているとある。
伝蘿窓筆寒山図  『水墨美術大系第3巻 牧谿・玉澗』より


寒山拾得豊千図 南宋 伝牧谿  掛幅 絹本墨画 138.5X93.2㎝
 『水墨美術大系第3巻』は、寒山拾得、豊干は、霊地として名高い天台山を背景に生れた伝説上の人物であるが、彼等の名とその説話、また寒山を中心とした詩集などが流布したのは、主として禅宗教団の中であった。それに伴ってその絵画化も禅余画僧によって行なわれる場合が多かったようである。
本図は、寒山詩中の有名な一首〝吾心似秋月、碧潭清皎潔〟の一節を寒山が岩壁に書きつけ、墨をする拾得と、鬚をひねる豊干がそれを凝視しているところを描く。画僧の余技画とはことなった複雑な山水画的布置構成、対象の質感をたくみにとらえる線描、うるおいのある墨法など、どの部分をとりあげても牧谿画の特色をそなえているという。
伝牧谿筆 寒山拾得豊干図 絹本墨画  『水墨美術大系第3巻』より


寒山拾得図 (豊于・寒山拾得図軸の3幅うち)  伝貫休筆 南宋(12-13世紀)絹本墨画 各109.2×50.3cm 藤田美術館蔵
 『世界美術大全集東洋編6南宋』は、人物の衣文の描き方は、呉衣当風・曹衣出水の例に倣わず、濃墨の粗筆を用いて、草書の筆法のごとく描かれている。線は揺れ動き、豪放な勢いをきわめている。しかし、面と手、服飾などは細筆で描かれ、軽く彩色してあって、つまびらかで正しく、少しも変わったところはない。
宋代までの人物画の衣服の描法には、二つの形式があった。一つはは北斉(550-577)の曹仲達による、水から上がった人物の衣のように身体に密着した「曹衣出水」といわれるものと、「呉帯当風」という、唐の呉道子に基づく風にひるがえる衣を描くものである。ところが、朽木を使用せず、画面に即興的に二度と再現できない一回的な張図のそれはどちらでもなく、濃墨の粗筆を定着したものだった。このように、張図の表現は、衣を描く新しい画風として登場してきたのである。そしてこの画風は、豪放な粗筆とともに、細筆で描かれた頭部と手などが合体してでき上がっていたことがわかるのである。
こうした衣文粗筆・肉体細筆の実例は、日本に古く将来(請来)された作品の中に見ることができる。五代の石恪筆という「二祖調心図軸」、同じ五代の僧禅月大師(貫休)筆の伝称のある「羅漢図」、禅僧石橋可宣の賛のある「豊干図」が古い例であるという。
藤田美術館が貫休の豊干・寒山拾得図を所蔵していたとは。ということは、いずれこの作品を藤田美術館で鑑賞する機会もあるんや。
伝貫休筆寒山拾得図  『世界美術大全集東洋編6 南宋・金』より


 『水墨美術大系第3巻』は、しかし、岩石の向背の不明瞭な点、とくに寒山の衣服描写にみられる繁雑さなどは、最良の牧谿画には一歩ゆずると思われる。全体的に本図は、牧谿独特の線描の再現を意識したためか、その暢達さを意識的にあらわそうとしており、牧谿流派のすぐれた一作品と考えられるという。
伝牧谿筆 寒山拾得豊干図 絹本墨画  『水墨美術大系第3巻』より


寒山拾得図 画僧筆か 賛者虎巌浄伏は宋末元初(13世紀後半)
拾得図 常盤山文庫 掛幅 紙本墨画 78.9X32.4㎝
寒山図 静嘉堂   掛幅 紙本墨画 82.0X32.5㎝
同書は、本図は、現在わかれて所有されているが、画風、題賛者からみて双幅であったことは明らかであろう。一方は経巻をとり、他は筆をもつ姿につくるが、注目されるのは描写形式で、筆描のなまな動き、肥痩、抑揚をおさえ白描風にえがく。元代は白描画が復興した時代であるが、本図にみるそれは、文人流の細な線描になるものではなく、息の短い、やや稚拙な線描であり、画僧の余技になることを思わせる。おそらく禅余画界で変質した白描画といえそうである。
賛者虎巌浄伏は、虚舟普度の法嗣、五山の径山に住している。生没年は詳らかではないが、宋末元初の人であるという。
静嘉堂・常磐山文庫蔵 寒山拾得図  『水墨美術大系第3巻 牧谿・玉澗』より


寒山図 画僧筆か 大千恵紹(元末明初 14世紀後半)賛 掛幅 紙本墨画 89・4X31・3㎝ 
同書は、本図は箱書によると可翁筆という。たしかに有名な可翁の寒山図と同様、この寒山も後手をくみ、身をそらした姿勢をとり、足の踏み開き方、下衣の濃墨の描法も近似している。ただし本図は、元末明初の僧大千恵照(1289-1373)の題賛のあることからみて中国画と考えられる。おそらく両者の背後には、長い伝統をもつ寒山図の典型的なポーズがあると想像される。
作者は明らかではないが、筆技の稚拙さがところどころにうかがえるところ、画僧の余技作とする可能性が強い。しかし南宋のそれが特色としていた淡墨体、稀薄な実在感とはことなって、ここには、頭髪や下衣にかなり表情豊かな濃墨がひろがり、また足や顔面の描写にみられる、肉体の起伏をたどっていこうとする筆致が目につく、これらの特色は広くみれば、牧谿画風が禅余画界にあたえたといえるもので、本図はその末裔といえそうである。
賛者大千恵照は東嶼徳海の法嗣、賛末の一印「夢世」は、彼が晩年育王山を退いた後、山内に営んだ庵居夢庵にちなんだ自号で、この題賛が晩年のものであることをしめしているという。
寒山図  『水墨美術大系第3巻 牧谿・玉澗』より


寒山拾得図 禅機図断簡部分 元時代(1288-1351) 因陀羅筆 楚石梵琦賛 掛幅 紙本墨画 35.3X49.8㎝ 東京国立博物館蔵
 『水墨美術大系第4巻』は、維摩、禅宗の祖師たち、寒山拾得等を、およそ造形の虚飾を去った簡樸な筆致の墨画でえがき、きわめて個性的な一群の作品を遺した因陀羅について、中国の画伝は何も語らない。
日本の『君台観左右帳記』下の元朝の部に、「印陀羅、天竺寺梵僧人物道釈」とあり、『等伯画説』には、「天竺大唐日本三国ノ上筆ノ継図」に「天竺ハ因陀羅一人、唐へ来布袋書之」とある。因陀羅の作品の多くには、元代の禅僧楚石梵(1296-1370)の賛がある。名筆として聞えた高僧の墨蹟を伴っていることが、因陀羅画が室町時代に珍重され、日本に多くの画蹟を伝存せしめた理由と考えられる。
梵琦の賛の右にある細字二行の墨書は、因陀羅の自署でないにしても、その内容は事実を伝えるものと認むべきであろうという。
因陀羅筆寒山拾得図  『水墨美術大系第4巻 梁楷・因陀羅』より

寒山図部分 因陀羅筆 玉室宗珀賛 元時代・14世紀 掛軸 71.2X33.0㎝ 野村美術館蔵 
『よみがえる川崎美術館展図録』は、本画の作者・因陀羅(生没年不詳)は、一切の虚飾を排した最小限の筆使いによって、無為自然、飄逸の内に生きる寒山の精神を余すところなく描き出す。画中のいかなる筆線にも過度な厳しさや緊張はみられない。寒山の生き方にも通じる自由でおおらかな因陀羅の精神が画中には横溢している。なんとも楽しげな寒山の指さす先には何があるのか畏れず、捉われることなく、風に誘われるまま進んでみたい。凝り固まった日常の思考に揺さぶりをかけ、柔軟な精神を喚起してくれる、なんとも愉快で本質的な禅画であるという。
上記の東京国立博物館本に髪や表情がよく似ている。
野村美術館蔵寒山図  『よみがえる川崎美術館展図録』より



寒山図 伝因陀羅筆 法元賛 掛幅 紙本墨画 65.7X30.4㎝
寒山拾得図 対幅 伝因陀羅筆 慈覚賛 紙本墨画 (各)77.8X31.4㎝ 東京国立博物館蔵
同書は、この2点の作品は、いろいろな意味で共通点をもっている。両方賛者が明らかでないこと、画中の各印が彼の確実な作品に押捺されたそれと異なっていること、画風が因陀羅にくらべて共通の弱さをもっていること、またとくに、芭蕉の葉をもつ寒山の姿態がほとんど相ひとしいことなどである。
因陀羅の伝歴は、ほとんど明らかではないといっていいが、彼の個性的な作風は、なん人かの模倣者を生んだらしく、明らかに別の印章を持つ因陀羅風な作品がある。この両幅もそれぞれニュアンスは相違しながらも、二幅対の方は、因陀羅の技巧を分解して、より断定的にし、一幅の方は、因陀羅をあいまいにしているように、確実な因陀羅作品からは距離のある作品であるという。

寒山図 伝因陀羅筆 法元賛 掛幅 紙本墨画 65.7X30.4㎝
伝因陀羅筆寒山拾得図  『水墨美術大系第4巻 梁楷・因陀羅』より

伝因陀羅筆寒山拾得図  『水墨美術大系第4巻 梁楷・因陀羅』より


寒山拾得図 双幅 伝因陀羅筆 清遠文林賛 紙本墨画 31.8X85.5㎝
同書は、現存する寒山拾得図の多くは、それぞれに禅余画家の名で伝えられているが、中でも因陀羅の名を冠した作品が多い。本図もその一例で、淡墨で描いた頭髪や眉毛と、濃い墨線できりっと引いた目と口とを対照させ、衣の淡墨の輪郭線と、襟、袖口、帯の濃い太い線とを対比させる画風は、因陀羅人物画の特色を示すものである。しかし、例えば、寒山拾得の襟、袖口の太い濃墨の線が、いかにも作為的であるのは、本図の制作時期が因陀羅画風の様式化した段階であることを示すものであろう。
両図に賛をしている文林については、本大系第三巻『牧谿・玉澗』の図版解説(図版)で、海老根聰郎氏が、昌国(寧波府定海県)の普慈寺に住した清遠禅師に比定されている。そうすると本図の制作年代は元末明初となり、作風の上でも一致する。なお、両図ともに「釈氏不軽」(朱文)の印があるという。

伝因陀羅筆寒山拾得図 清遠文林賛  『水墨美術大系第4巻 梁楷・因陀羅』より


寒山拾得図 梁楷筆 掛幅 紙本墨画 81.1x34.0㎝ MOA美術館蔵
同書は、この「寒山拾得図」は、細い線と幅のある太い線とを同時に用いた画体で描かれている。合せた掌の輪郭が二重線になっているのも特異である。開いた口と眼とで笑っているが、何となく薄気味悪い。白猫と水墨とを併用した放胆破格なこの図の画法は、画法そのものの面白さには惹かれるが、「祖師図」や「布袋図」などに比し、実在感が稀薄になるのは避け難い。しかしまたそれが、この怪気な笑いの表現を効果的にしている。幅の左下隅に「梁楷」と読み得る落款があり、右上角に「雑華室印」が押されているという。
伝顔輝筆の寒山拾得と比べると、ずっと普通の顔です。
梁楷筆寒山拾得図  『水墨美術大系第4巻 梁楷・因陀羅』より


寒山拾得図 対幅 紙本著色 (各)83.6X34.0㎝
同書は、この作品は普通にみられる寒山拾得の図柄とはやや趣を異にして、寒拾二人を美少年の姿に画いている。巻子を持つ寒山は衣裳に施された彩色がかなり剥落しているが、透ける上着の下に下着をみせる描写は顔輝派の人物画によくみられるものである。箒を持つ拾得は描線の性質に寒山と多少異なる点もみられるが、これは剥落のとき起したものであろう。この一風変った寒山拾得図で特に目立つのは、人物の頭部、特にその広い額と精細な毛髪の描写である。そしてこの作品が、白描画の細緻な表現の影響を受けていることは、この毛髪や手足の描写から推察できるという。
寒山拾得図  『水墨美術大系第4巻 梁楷・因陀羅』より

解説に「顔輝派」ということばが出てきた。顔輝が当時どれくらいの人に手本とされてきたかがうかがい知れる。



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参考サイト

参考文献
「よみがえる川崎美術館 川崎正藏が守り伝えた美への招待展図録」 2022年 神戸市立博物館
「水墨美術大系第3巻 牧谿・玉澗」 戸田禎佑 1978年 講談社
「水墨美術大系第4巻 梁楷・因陀羅」 川上涇・戸田禎佑・海老根聰郎 1978年 講談社
「世界美術大全集東洋編6 南宋・金」