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忘れへんうちに 旅編では、南イタリアの旅を再開しました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2022/09/16

戦国時代の漆と金箔


戦国時代には、ガラス玉だけでなく、金箔を用いた漆器も作られていた。

山科本願寺跡 
『戦国時代の金とガラス展図録』は、京都府山科区山科本願寺は文明10年(1478)に本願寺8世蓮如上人により造営が開始された。
山科本願寺の中心部、「御本寺」跡で行った発掘調査では、焼き討ちを物語る焼土の中から、輸入陶磁器や堆黒、金蒔絵、ガラス玉などの希少な遺物が多量に出土しているという。


金蒔絵断片24点 約0.5-2.0㎝ 室町時代 山科本願寺跡出土 京都市考古資料館蔵
同展図録は、ガラス玉と同じ焼土の中から小さな破片で発見された。金蒔絵は漆器の表面に漆で文様などを描き、それが乾かないうちに金粉を蒔くことで器面に定着させる技法である。元の形はわからないが、硯箱や経箱として用いられたのではないだろうかという。
何百年も土の中にあったのに、こんなに良い状態で残っていたとは👀
漆器が乾燥するのに湿気が要るとはよく聞く話だが、そのことを夫に聞くと、漆は水分を吸収して、水素と立体構造に結合していく。それで硬化するので、乾燥すると丈夫になるのだという。和紙も同じ。軟らかいゴムはカーボンを加えると結合して硬くなる。それはタイヤのことやね。
化学系の夫を持つと、こんな時に便利😁
それにしても金箔はいつまでも綺麗なまま。銀箔は黒くなっているけれども。
京都市考古資料館蔵山科本願寺跡出土金蒔絵 室町時代 『戦国時代の金とガラス展図録』より

一乗谷朝倉氏遺跡からも金蒔絵の品が出土している。

金蒔絵の櫛 残存幅8.8㎝ 残存高3.6㎝ 厚1.3㎝ 一乗谷朝倉氏遺跡出土 福井県教育委員会蔵
同展図録は、櫛目の細かな金蒔絵の櫛である。金蒔絵は漆器の表面に漆で文様を描き、それが乾かないうちに金の粉を蒔くことで装飾する。目の細かな櫛は梳櫛として髪の汚れを取るものとして利用されるが、装飾を施されたこのような櫛は髪飾りとして利用していたことも想像されるという。
金箔の残っているところを見ると、直線的である。源氏香の記号のようにも見える。
一乗谷朝倉氏遺跡出土金蒔絵櫛断片 室町時代 『戦国時代の金とガラス展図録』より


思いもかけなったことだが、土器、つまり土師器皿に金箔が貼られたものも各地で出土している。

大内氏館跡・大内氏関連町並遺跡 山口県山口市
同展図録は、大内氏館跡は、室町時代に山口を拠点に広く西国を支配した大内氏の居館跡である。ここは大内氏の居所であるとともに、政治的拠点であった。昭和34年(1959)に国史跡に指定され、昭和53年(1978)から山口市教 委員会による発掘調査が継続的に行われている。
14世紀末から大内氏が滅亡する16世紀中頃までの間に館内の改修が5回程度行われ、屋敷地の広がりもその都度変化したことが明らかとなっている。また、館内に4つの庭園が築かれ、最大の池泉庭園は南北約40m、東西約20mの瓢箪のような形をした池があり、中央には楕円形をした中島がある。
大内氏館跡のまわりには日本有数の中世都市が形成され、現在「大内氏関連町並遺跡」として周知されている。これまでの発掘調査から、館の周辺で急速に都市化が進むのは15世紀前半以降であることがわかってきているという。

金箔土師器皿3点 口径15.0㎝器高2.5㎝ 室町時代 大内氏館跡出土 山口市教育委員会蔵
同展図録は、史跡大内氏館跡では室町時代につくられた庭園跡が4か所確認されているが、内最大の池泉庭園の南側に位置する井戸から金箔を貼ったカワラケといわれる土師質皿が数個体分出土した。
ほぼ完形の1枚は外面のみ金箔を貼っている。他のものも、ほとんどが外面のみである。「晴」の場として機能したことを如実に物語る資料として重要視されているという。
大友氏館跡出土土師器皿 室町時代 『戦国時代の金とガラス展図録』より

大友氏遺跡 中世大友府内町跡 (大分県大分市)
同展図録は、北部九州の守護職を務めた大友氏の本拠地であり、とくに戦国時代後半期の20代義鑑・21代義鎮(宗麟)・22代義統のときに最盛期をむかえた戦国城下町を中世大友府内町(豊後府内)という。
府内の中心には大友氏館が置かれ、館の南東側には広大な敷地をもつ大友家の菩提寺万寿寺があった。この大寺院は迎賓館的な役割を果たしていたともいわれている。キリスト教の宣教師などの記録によると、府内には5000軒の屋敷が建ち並んでいたとされる。近年の発掘調査でも南蛮貿易により中国はもとより、東南アジア、ヨーロッパの文物にあふれていた様子が明らかになりつつある。
大友氏館跡は1辺約200m四方の方形であったと推定されており、京の室町将軍邸をモデルに造られた守護館の典型的な姿であったと考えられている。これまでの発掘調査では、館跡の南東部分から東西長60m以上の規模をもつほどの巨大な池を伴う庭園跡が発見されているという。

金箔土師器皿 口径14.9㎝器高2.8㎝ 戦国時代 中世大友府内町跡出土 大分県教育庁埋蔵文化財センター蔵
同展図録は、大友館の北東側に位置し、豊後府内で2番目に大きかったとされる寺院「称名寺」の溝状遺構から出土したものである。京都系土師器皿の内外面ともに黒漆を塗布し、器全体に金箔が貼られた京都系土師質皿であるという。
大分市中世大友府内出土金箔土師器皿 室町時代 『戦国時代の金とガラス展図録』より


金箔土師器皿や金蒔絵櫛は一乗谷朝倉氏遺跡からも出土している。

金箔土師器皿断片 残存幅1.4-2.8㎝ 残存長1.7-3.0㎝ 厚0.35-0.55㎝ 一乗谷朝倉氏遺跡出土 福井県教育委員会蔵
同展図録は、精選された胎土を用いた土師質の金箔血である。 薄く漆などを接剤として塗り、金箔押ししたものと考えられる。内面のみに金を癒したものと、全面を施したものがあるという。
一乗谷朝倉氏遺跡出土金箔土師器皿断片 室町時代 『戦国時代の金とガラス展図録』より

一乗谷朝倉氏遺跡では土師器皿が大量に出土した。

越前朝倉氏一乗谷 眠りからさめた戦国の城下町』は、宴会の時、もっぱら酒杯に使用された土師質の皿です。
素焼きのかわらけは使うと汚れがしみこむため1回しか使わない「清浄な器」として意識され宗教的な場や儀式としての宴会などに使われました。この意識は京都の公家文化との関連が深く、身分のちがいによるかわらけの出土量の差はそのまま、京都との文化的な距離をあらわしていますという。
この身分の違いで金箔土師器皿が出現したのかな。漆器なので、使い捨てではなかったのかも😎
一乗谷朝倉氏遺跡出土 土師器皿・酒杯・箸・箸置 『越前朝倉氏一乗谷』より


最後に、出土物ではないが、朝倉氏は伝牧谿の瀟湘八景図を2幅も持っていたことを、NHK「英雄たちの選択」の「流転!義満が愛した秘宝」(2022年8月17日放送)で知った。
『日本絵画館12渡来絵画』は、足利義満の「道有」の館蔵印が捺され、その蔵有であったことを証する。義満のとき、瀟湘八景図巻が8幅に分断されたという。
そのうちの2幅が朝倉氏の手に渡っていたとは。

一つは遠浦帰帆図 32.6X112.5㎝ 掛軸 紙本墨画 重文 京都国立博物館蔵
『水墨美術体系第三巻』は、光や煙霧に浸蝕された不定形な自然の姿をそのまま画面に写しとろうとするにある。この大胆な試みの背後には、精密な描写にもおとらない深い自然観察があり、それを実現する墨という材料を自由に使いこなす作者の卓抜な手腕がある。放胆ともみえる筆の2、3擦が、風にゆらぐ木々、生動する大気を、はっとするような実在感をもって、生々ととらえているという。
京都国立博物館蔵伝牧谿筆遠浦帰帆図 伝牧谿筆 南宋時代 『日本絵画館12渡来絵画』より

もう1点は洞庭秋月図(現徳川美術館蔵)
これはどの本にも図版がなかったので、徳川美術館のホームページより洞庭秋月図をご覧下さい。



関連項目

参考文献
「戦国時代の金とガラス きらめく一乗谷の文化と技術展図録」 2014年 福井県立一乗谷朝倉氏跡資料館蔵
「越前朝倉氏一乗谷 眠りからさめた戦国の城下町」 1998年 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
「水墨美術体系第三巻 牧谿・玉澗」 戸田禎佑 1978年 講談社