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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2021/03/19

麦積山石窟4・5窟  前廊装飾

4・5窟の外観
4窟は修復中で養生のネットがかかっているところ(2019年11月現在)

4窟 北周、隋 唐、宋、明重修
『天水麦積山』は、七間八柱だが、現存は両端の2本。前側に通廊があり、正壁は方形四角錐尖頂に帳が表された龕が7つ。廊下の左右壁に耳龕が各一つ、左壁の下に5窟に通じるトンネルがあるという。
麦積山4窟前廊 北周開鑿 『麦積山風景名勝』より

立面図
鴟尾には43窟(西魏)のような瓦を何層にも積んだような筋は見られない。なんとなく鳥の頭のよう。
麦積山石窟4窟外観 『中国石窟 天水麦積山』より

壁画の前に龕と龕の仕切りにある浮彫 北周時代
『天水麦積山』は、秦州刺史宇文導の子宇文広も秦州刺史となり、秦州はずっと宇文家の統治下にあった。その家族は麦積山石窟に最大の功徳を施したという。
天龍八部衆のうち3体 
麦積山4窟窟外天龍八部衆のうち3体 北周 『麦積山風景名勝』より

天龍八部衆のうち2体
麦積山4窟窟外天龍八部衆のうち2体 北周 『麦積山風景名勝』より

龕庇には、日本では法隆寺金堂内の天蓋や橘夫人厨子の頂部と同じ装飾の浮彫があり、切妻屋根の痕跡の上の壁面には飛天などが描かれている。
麦積山4窟前廊 北周開鑿 『麦積山風景名勝』より

4窟7龕・6龕上の天井画、壁画そして龕庇の浮彫
麦積山4窟前廊7龕・6龕上壁画及び天井画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より

龕頂の浮彫

4窟7龕上方の壁画
4飛天が中央に向かっている。
麦積山4窟7龕上壁画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より

4窟6龕上壁画
切花の舞う天に4飛天が集まる
麦積山4窟6龕上壁画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より

4窟某龕上方の壁画
飛天の天衣が細く後方になびく。
麦積山4窟龕上壁画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より

4窟4龕上方の壁画

麦積山4窟4龕上壁画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より

左下の飛天は切子坏を右手で持ち、右下の飛天は両手で上の飛天がさげた器を持とうとしている。草花や飛天の天衣は描かれているが、飛天の顔、腕などは浅浮彫だ。
麦積山4窟4龕上壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より

4窟3龕上の壁画
麦積山4窟3龕上壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より

4窟3龕上方の壁画
右下の両手で印を結んだような飛天。足も浅浮彫。
麦積山4窟3龕上方壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より

左下の阮咸を弾く伎楽天。他の飛天や伎楽天も同じだが、彩色だけでなく、手足や頭部などが非常に浅く繊細な浮彫になっている。
麦積山4窟3龕外上方壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より

耳や鼻、唇などの凹凸もあり、かなり立体感まで表現されている。横笛の痕跡も👀
麦積山4窟3龕外上方壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より

前廊右側格間天井の壁画
何が描かれているのかは不明だそう。
麦積山4窟前廊右側天井画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より

立派な塀で囲まれた屋敷の内外に人々がいる。
『天水麦積山』は、1400年も前に透視画法を用いて建物を描いているという。
敦煌莫高窟では変相図に立体的に建物を描写されていたが、北周時代にすでに行われていたのだ。
麦積山4窟7龕外上方壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より

右下の壁画
『天水麦積山』はいわゆる「母子宮殿帰還」という。出産が近づいた摩耶夫人が故郷に近いルンビニ園に向かう場面。
随行する騎乗の人物たちも、馬車も左を向いているのに、摩耶夫人は横を向いている。 
麦積山4窟7龕外上方壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より

4窟前廊左側天井画
麦積山4窟前廊左側天井画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より

4窟2龕上方壁画
釈迦と十大弟子たちが誰かの家に赴いている。その人物が釈迦と問答している場面。
麦積山4窟2龕外上方壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より

5窟
下から見上げると、通路外上に、木造の建物の組物などが彫り出されていた。
左の龕上には壁画も残っている。

立面図
『天水麦積山』は、現在は窟廊が崩壊している。窟幅15mという。
法隆寺と同じ人字形割束がある。
麦積山石窟5窟立面図  『中国石窟 天水麦積山』より

右小龕と踏牛天王像 唐代
金剛力士や四天王ではなく踏牛天王とは。
麦積山5窟踏牛天王像 唐代 『中国石窟芸術 麦積山』より

左小龕楣の壁画  唐代(618-907)
釈迦説法図
麦積山5窟1龕龕頂壁画 唐代 『中国石窟芸術 麦積山』より

5窟2龕は内部はよく写せなかったが、左側には薄らと飛天のような壁画が残っており、

その上部には何やら赤いものが描かれていた。

左半分には下向きの龍が、


右半分には上向きの龍が描かれている。
龍が慌てふためいているようで面白いが、このような図柄は北周期ではなく、宋代以降に描かれたのでは🤔

5窟3龕
天井の格間には馬が描かれているようで、その下にも壁画が残っていた。

格間はせっかく写したのにピンボケ😅 わざわざ出さなくても🦔
でも、以前に敦煌で購入していた本に図版があった😊

5窟廊頂壁画 隋代(581-618) 画長1.40m高さ0.80m
『麦積山』は、天馬、象、摩尼宝珠及び飛天を描く。飛天は緑色の風帯を後方に翻すという。
風を受けて膨らむものは天衣ではなく風帯というのか。しかもそれは緑色で表現されることになっているようだ。
5窟廊頂壁画 隋代 『中国石窟芸術 麦積山』より

尖った龕楣の上に描かれているの涼州式偏袒右肩の如来坐像。
どうやら浄土変が描いてあるらしい。

5窟3龕龕上の壁画 初唐(618-712)
浄土変部分
5窟3龕龕上 浄土変部分 唐代 『中国石窟芸術 麦積山』より

楼閣などがうっすらと見える。

側壁には2列に並んで坐す菩薩たち、向こうの石畳状の床には人物だろうか。
仏像の光背と飛天が描かれている。

5窟3龕外浄土変の下 唐代
『麦積山』は、一人の僧が前面にいて、供養者が列をなしている。
麦積山5窟3龕外浄土変下部供養者図 唐代 『中国石窟芸術 麦積山』より

5窟3龕龕楣上 初唐期
供養者たち
麦積山5窟3龕楣上浄土変右側下部供養者図 唐代 『中国石窟芸術 麦積山』より


関連項目

参考文献
「中国石窟 天水麦積山」 天水麦積山石窟芸術研究所 1998年 文物出版社
「麦積山風景名勝 李克強撮影集」 2014年 天水市旅游局
「中国石窟芸術 麦積山」 花平宁・魏文斌主編 2013年 江□鳳凰美術出版社