4窟 北周、隋 唐、宋、明重修
『天水麦積山』は、七間八柱だが、現存は両端の2本。前側に通廊があり、正壁は方形四角錐尖頂に帳が表された龕が7つ。廊下の左右壁に耳龕が各一つ、左壁の下に5窟に通じるトンネルがあるという。
麦積山4窟前廊 北周開鑿 『麦積山風景名勝』より |
立面図
鴟尾には43窟(西魏)のような瓦を何層にも積んだような筋は見られない。なんとなく鳥の頭のよう。
『天水麦積山』は、秦州刺史宇文導の子宇文広も秦州刺史となり、秦州はずっと宇文家の統治下にあった。その家族は麦積山石窟に最大の功徳を施したという。
天龍八部衆のうち3体
麦積山4窟前廊 北周開鑿 『麦積山風景名勝』より |
4窟7龕・6龕上の天井画、壁画そして龕庇の浮彫
麦積山4窟前廊7龕・6龕上壁画及び天井画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より |
4窟7龕上方の壁画
4窟6龕上壁画
切花の舞う天に4飛天が集まる
麦積山4窟6龕上壁画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より |
飛天の天衣が細く後方になびく。
4窟4龕上方の壁画
麦積山4窟龕上壁画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より |
麦積山4窟4龕上壁画 北周 『中国石窟 天水麦積山』より |
左下の飛天は切子坏を右手で持ち、右下の飛天は両手で上の飛天がさげた器を持とうとしている。草花や飛天の天衣は描かれているが、飛天の顔、腕などは浅浮彫だ。
4窟3龕上の壁画
麦積山4窟3龕上壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より |
4窟3龕上方の壁画
右下の両手で印を結んだような飛天。足も浅浮彫。
麦積山4窟3龕上方壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より |
左下の阮咸を弾く伎楽天。他の飛天や伎楽天も同じだが、彩色だけでなく、手足や頭部などが非常に浅く繊細な浮彫になっている。
麦積山4窟3龕外上方壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より |
耳や鼻、唇などの凹凸もあり、かなり立体感まで表現されている。横笛の痕跡も👀
麦積山4窟3龕外上方壁画 北周 『中国石窟芸術 麦積山』より |
前廊右側格間天井の壁画
何が描かれているのかは不明だそう。
立派な塀で囲まれた屋敷の内外に人々がいる。
『天水麦積山』は、1400年も前に透視画法を用いて建物を描いているという。
敦煌莫高窟では変相図に立体的に建物を描写されていたが、北周時代にすでに行われていたのだ。
右下の壁画
『天水麦積山』はいわゆる「母子宮殿帰還」という。出産が近づいた摩耶夫人が故郷に近いルンビニ園に向かう場面。
随行する騎乗の人物たちも、馬車も左を向いているのに、摩耶夫人は横を向いている。
4窟前廊左側天井画
4窟2龕上方壁画
5窟
下から見上げると、通路外上に、木造の建物の組物などが彫り出されていた。
金剛力士や四天王ではなく踏牛天王とは。
麦積山5窟踏牛天王像 唐代 『中国石窟芸術 麦積山』より |
左小龕楣の壁画 唐代(618-907)
釈迦説法図
その上部には何やら赤いものが描かれていた。
龍が慌てふためいているようで面白いが、このような図柄は北周期ではなく、宋代以降に描かれたのでは🤔
5窟3龕
格間はせっかく写したのにピンボケ😅 わざわざ出さなくても🦔
でも、以前に敦煌で購入していた本に図版があった😊
楼閣などがうっすらと見える。
楼閣などがうっすらと見える。
仏像の光背と飛天が描かれている。