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忘れへんうちに 旅編では、南イタリアの旅を再開しました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2019/06/25

安倍文殊院 西古墳と東古墳


安倍文殊院の境内には2基の古墳がある(同院リーフレットより)。
一つは本堂と文殊池の間にある西古墳、もう一つは境内東の端、山の際にある東古墳だ。

西古墳は本堂を出たところからは側面が見える小さな円墳で、墳丘の一部が階段にされてしまって痛々しい。
同院リーフレットは、西暦645年頃に築造され、古墳内部の石材は築造当時のまま現在まで保存されておりますという。
645年といえば皇極4年、乙巳の変(私の年代では大化改新と習った)の年やん。
石の表面が切断したように平ら。
リーフレットは、羨道の長さ8m、幅2.3m、高さ1.8m
古墳内に足を踏み入れると、良質の花崗岩を入念に加工し側壁も弓状態として壁面を調整、左右の石の数も揃え、対称に仕上げていますという。
玄室には何か祀られている。

リーフレットは、玄室の長さ5.1m、幅3m、高さ2.6m
殊に玄室の天井石は一枚岩で約15平方メートルもあり、その巨大さに唖然とするばかりです。しかも天井石の中央部分を薄く削り上げ穹窿状とし、天井石の全対面をアーチ型に仕上げている手法は憎いばかりですという。
そうすることで上からの荷重に対する強度が増したのかな。
羨道側の隅は斜めに切ってあるし。
羨道の天井石も大きく、表面は限りなく平ら。「入念に加工」というが、どんな方法で切石をこんなに平らにしていたのだろう🤔
そして、羨道と玄室の幅の差がわずか70㎝で両袖式。
リーフレットは、見事な切り石の様は余りにも美しく、誰もが現代に作ったレプリカかと疑う程という。
大きさは均一ではないが、5段それぞれの高さは揃えてある。
願掛け不動像 平安時代 弘法大師作
古墳の説明パネルは、現在、この古墳には弘法大師が造られたと伝わる「願掛け不動」がお祀りされていますが、本来は大化元年に初の左大臣となり当山を創建した安倍倉梯麻呂の墓と伝えられていますという。
外に出て右方向より。外側はさすがに成形していない。
円墳の現状はやや悲惨。

白山神社へと続く参道を突っ切って

左手にあるのが東(閼伽井)古墳。
大和國古墳取調室文殊院東古墳によると、墳形は不明で、南南西に大型の横穴式石室が古くから開口しています。全長13.0m、
玄門部幅1.75m、羨門部幅2.04m、羨道長8.31m、高さ1.5m、 
玄室長4.69m、奥壁部幅2.29m、玄門部幅2.67m、高さ2.6m、
の両袖式で、羨道、玄室ともに奥へいくほど幅が狭くなっており、遠近感を演出しています。花崗岩の巨石を使用していて、玄室は自然石、羨道は切石を使いわけていますという。
間近でみたせいか、東側の丘の一部のようだった。
羨道入口の楣石は天井部分は平たい。
桜井市の文殊院東古墳(閼伽井古墳)によると、出土品は不明だが、石室の構造から、谷首古墳より新しく、艸墓古墳より古く位置付けられ、7世紀前半代の築造と考えられるという。
説明パネルは、飛鳥時代に造立されました。閼伽井とは「閼伽水の井戸」の意で、羨道の中程に古来より枯れることのない泉があったことが由来しています。この泉の水は「閼伽水(智恵の水)」と言い、法要等に使う清浄な水として使用されていましたという。
奥には石仏が祀ってある。
こちらも墓室内の壁面は、多少は表面を平らにしてあるかも知れないが、西古墳の方を先に見てしまったので、乱雑に積み上げてあると感じてしまう。横穴式石室はこんなもんだろうが。こちらも両袖式。 
左側の石は何かの理由で割れている。
右側は石が2段に積まれたりして、上に盛った土が雨水と共に入り込んでいる。
玄室奥
大きな石の間には小さな石を嵌め込んである。

その後展望台へ。
安倍晴明が天文観測をしたところという。
葛城山、二上山は霞んで薄らと見え、耳成山が見える程度だった。

東山門から出て艸墓(からと、くさはか)古墳はどこかと探すが、リーフレットの地図の位置にはなく、道路の南側に緑色の目印に「史跡 艸墓古墳」と書かれていた。
桜井市の艸墓古墳には、現在、復旧工事のため見学をすることができませんとあった。

同ページによると、一辺約27.5メートルの方墳で、南東側に横穴式石室が開口している。石室は石材1石を並列して構成する事を基本としており、大型の石材を使用していることが特徴である。玄室中央部には、竜山石製の刳抜式の家形石棺が一基安置されている。
副葬品不明のために、築造時期は限定できないが、石室が、岩屋山式石室の変形である点、石棺の形式などから、7世紀中頃に築造された方墳と考えられるという。
これは方墳なのだ。
波板の途切れる場所から気配を伺ったが、何も分からなかった。
ところが、大和の古墳探索艸墓古墳 によると、この緑色の柱には赤い矢印があったようで、その指し示す方向へ住宅地の中へ入っていくと本当の艸墓古墳があるようです。行く前にこのページに当たれば良かった😢

幸い?😜以前に橿原考古学研究所付属博物館の常設展示で艸墓古墳の実測図を撮影していた。

右上の図

この中に家形石棺が安置されていた。

    兜塚古墳とメスリ山古墳←      →長持形石棺から家形石棺へ

関連項目
安倍文殊院 渡海文殊群像

参考にしたもの
安倍文殊院のリーフレット
大和國古墳取調室文殊院東古墳
桜井市の艸墓古墳文殊院東古墳(閼伽井古墳)
山本ジェームズ氏の畿内家形石棺にみる棺蓋短側辺突起の変化