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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2019/02/12

コンク、サントフォワ修道院聖堂 身廊と内陣の柱頭


『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』は、円柱上にのり、アーケードやヴォールトを支える柱頭は、彫刻師が自由に創造性を発揮できる自由な空間であった。
ジャンクロード・フォー(Jean-Claude Fau)は、大きく4つの時代に分けている。
1041-65年 オドリック修道院長期 最初の柱頭群
後陣の修道院に作られた。コンブレ(Combret)産の赤い砂岩が好みで、主に交差部の小後陣付近に配されたという。
教会は祈りやミサにとって重要な内陣付近から建てられ始めるので、この辺りが最も古いことになる。
1065-87年 エティエンヌ2世期 
近くのリュネル(Lunel)産の「ルセ(rousset)」と呼ばれる金色石灰岩となったという。
エティエンヌ2世はブロワ伯で、第1回十字軍に参加した。
1097-1107年 ベゴン(Bégon)3世の工房 
第2次建設期にトリビューンと回廊の柱頭を完成したという。
回廊の柱頭についてはこちら
1107-25年 ボニフファス期 完成
コンクのタンパンの工房とともに完成させたという。
  
平面図○数字は西北側からの柱間を示す


同書は、身廊へと入っていくと、彫刻による装飾が乏しい。付け柱のついた複合柱は柱頭の数が限られている。ここで見られるのは、飾り気のなさ、簡素さであるという。
身廊左側には③④⑤⑥の柱間、右側には㉗㉖㉕㉔の柱間が見えていて、八角塔から光が入って明るいのが交差部、その奥の半円蓋が内陣で、その境界に円柱が並んでいるのが周歩廊の窓から差し込む光で明るく見えている。

それでも身廊の横断アーチを支える複合柱の柱頭には楽しいものがあった。(暗いのでピントが合っていないことも。ほぼ西側より、身廊南側)
㉘の二連アーチの下
もじゃもじゃの悪魔
同書は、この美しい容貌はひょっとすると建築家の顔ではないかと思わせるという。
対する②の二連アーチの下にも悪魔が
同書は、タンパンの地獄の入口で棍棒を持つ者を思い起こす。丸い目は元は鉛の玉が入っていたに違いないが、小さな両手は葉のようだという。
手はどこに?

㉘・㉙の間の横断アーチ柱頭
肢の長い動物なので草食獣かと思ったが、左の方はたてがみがあるのでライオンのつもりかな。

㉗・㉘の間の横断アーチ柱頭
両角に胴部が省略され、折り曲げた脚にしがみついてバランスをとる人物、そして正面中央上には小さな子供が塀から両手と顔を出しているような。

㉖・㉗の間の横断アーチ柱頭 
何度写してもピントが合わなかった。側面に体部、正面に前肢と頭部を見せるライオンが、双方から3本の若葉を挟んでいる。左のライオンは舌を出して、しかもその舌がやや中央からそれていたりして愉快。
右のライオン、『Conques』より。

㉕・㉖の間の横断アーチ柱頭
サントフォワの逮捕
左の玉座のような椅子に坐ったローマ総督に右手を掴まれているのがサントフォワ。頂板には有翼の天使たち。
足元を見ると、他の人物は玉縁を踏みしめているのに、サントフォワはやや奥に立っている。

㉔・㉕の間の横断アーチ柱頭
アカンサスの小さな葉と絡み文様も翼廊の付け柱
『Conques』は、絡み文様は教会の西側に多い。赤い砂岩に刻まれ、コンクで最初期(11世紀第3四半期)に制作された。絡み文様は装飾的なモティーフで、家具、織物、金銀細工などの別の工芸にも共通している。
後期ローマ帝国時代に出現し、11世紀に発達した。特に1060-70年、マッシフ・サントラル(中央山塊)の南部で。ロマネスク期の絶頂期のもので、やがてゴシック期には消滅した。
コンクでは様々なモティーフがあるが、一般的に、3つの若枝が籠(コルベイユ)の表面を互いに絡み合う。
コンクの絡み文様は、コルベイユの表面を張り巡るが、角に葉または人物の浮彫があるという。
  
付け柱にも双円柱のものがある。
①・②の間の横断アーチ柱頭
ライオンに見えないがたてがみがあるのでライオンとする。
右角は左の丸顔のライオンの頭を右側面の細い顔の動物が囓っているような。

どこの横断アーチか不明
葉の間から人が顔を出している。

交差部(北翼廊から見上げた)の八角クーポール(円蓋)を支える4本の複合柱は、トロンプ(スキンチ)に大天使ミカエルとガブリエルの像のある東側が色彩の残るアカンサスの葉文様、西側が巻物を持った天使が表されている。

交差部東側のアカンサス柱頭
アカンサスの葉文様は渦巻もあってコンポジット式が受け継がれてきたものである。
『ロマネスク美術革命』は、古代ギリシアの異なる地域で生まれた三種類の柱は、紀元前1世紀になると古代ローマ建築に取り込まれ、ローマ帝国の版図にあまねく広まった。これが11世紀のロマネスク期に画期的な変貌を遂げるのだ。またローマでは、イオニア式の渦巻きとコリント式の葉叢を合体させたコンポジット式というタイプの柱頭が生じ、・・・略・・・柱頭彫刻の意匠としては、なんといっても葉叢と渦巻きが主流だったという。
このコンポジット式が後にまで生き残って、ロマネスク時代にもこのような柱頭がつくられたり、その変化の葉文様や、人頭などが入り込んだりしてくるのだった。
同じアカンサスでも、葉に刻みのあるものとないものとがある。

西側には巻物や書物を持つ天使がいる。
南の複合柱
書物を広げる天使
右側面で巻物を広げる天使
西側北の複合柱では彩色が残っている。
工房が違うのかも。

南翼廊の歩道橋
その下に興味深い軒飾り(モディヨン)が並んでいる。
通路を支える人物が2人、フクロウとハト
その続きが犬?
見る角度によって、それぞれの像が表情を変えるが、本来はどこから見られるつもりでつくられたのだろう。
軒下飾りの上の段には天使や動物の頭部が等間隔に配置されているが、一対になっているものも
左端には小さな円柱、続いて中央に筋が通るモディヨン、左肩に手を広げる天使?とスズメ科の小鳥
柱頭はアカンサスぽいものの前に髭もじゃ縮れ毛の人頭

窓際の付け柱の柱頭
『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』は、天使が広げた巻物に、ラテン語で「ベルナルドゥスが私をつくった」と刻まれているという。
仏像の着衣の裾とは折り方が異なるものの、その長衣の裾の襞が左右対称になっているのが興味深い。遙か昔にギリシアで成立した衣端の表現が、東へも西へも伝わっている。
西回廊の天使像よりもふっくらとしている。
反対側は左右の面に尾を広げる人魚とこちらはケルトっぽいが、尾はくねる魚を上から見下ろした表現となっている。
同書は、赤い砂岩に彫られた二つの尾を持つ美しいセイレンも見逃せないという。

頂板の市松文様から出てきた天使は壁面に取り付けられている。
丸顔で童子のよう
同書は、トリビューン(階上廊)あるいは歩道橋の古い支え。天使があなたを喜んで迎えているという。

交差部付近の複合柱の付け柱
人頭といい、渦巻のつく茎といい古風な感じ
二段のアカンサス、三段のアカンサス
刻みのないアカンサスも多い

南翼廊㉒・㉓の間の付け柱
二段のアカンサスと、その上に若葉、そして左右に変形パルメットが伸びてその先には開こうとするパルメット文が表される

複合柱の中には一段のアカンサスの葉叢の中央が分かれ、その間から真っ直ぐ伸びた茎には図式的すぎるような蕾がついているものも(『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』より)

南翼廊から見下ろすと複合柱にも柱頭が
アカンサスの葉の間から人頭が出ているものや正面向きの鳥
同書は、柱頭の様式は、コリント式が自由に発展したもので、アストラガルの上部にコルベイユの斜めに出た葉が2、3段ある。上部は角に渦巻があり、時には人面を挟んでいる。四角い頂板はその上に張り出しているという。
アストラガルは頂板、コルベイユは籠という意味だが、柱頭の葉文様や人物、動物像などが浮彫される箇所、適当な言葉が見つからないのでコルベイユと呼ぶことにする。
左側複合柱の柱頭にも人頭が出ていて。二段のアカンサスはは先が丸く出ている。

交差部付近には聖書の物語や聖人伝の柱頭が残っている。

A サントフォワの刑の宣告の場面
『Conques』は、制作者はタンパンの親方。6人が登場する。頭部と肩の背後に絡み文様を彫っている。物語は右から左へと展開し、主要人物は角に配置される。サントフォワは右に、ローマ総督ダシアンは左に。サントフォワはベールを被り、幾筋かの髪しか見えない。右側面にお供がいる。それは翼の高さに十字架を担いだ天使であるという。
タンパンの親方が制作したのなら、第4期(1107-25)のもの。
同書は、聖女の右腕はダシアンと死刑執行人の元へと連行する男に掴まれている。彼女はそれを自分の運命とあきらめて、穏やかな表情で左手を挙げている。死刑執行人は巻き毛の髪を前に下ろしている。彼はダシアンの方を向き、両刃の剣を受け取っている。玉座に坐ったダシアンは、他の立っている人物たちと同じ高さに表されているので、胴部が引き伸ばされている。左側面に表される背後の悪魔の言葉に耳をかたむけているという。
この複合柱の反対側に
 キリストと二つの聖杯
『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』は、彫刻師は木曜の最後の晩餐を表している。13名を登場させる必要はない、コルベイユの3つの面に一人ずつで十分表現できる。折りたたみ椅子に坐ったキリストは2つの聖杯を両側の使徒たちに渡している。これはキリストの磔刑と死に繋がる物語で、サントフォワの物語へと進んで行くという。

人物の登場する最初期の柱頭
 アブラハムの供義(イサクの犠牲)
『Conques』は、アブラハムは柱頭の左角にいる。息子のイサクに右手の剣を振りかざそうとしている。右角には天使がいて、父アブラハムと同じくイサクの腕を持っている。アブラハムの顔の高さに、アルファからオメガまでの文字で囲まれた手が雲から出現して祝福する神の右手が現れ、息子を生け贄にするのを止めた。
コルベイユにはラテン語で「アブラハムは神への生け贄に息子を捧げた」と記されている。アブラハムの背後には、息子を生け贄にする代わりに、茂みの中に牡羊がいるのがわかる。
天使は異例の場所にいる。一般的には父と子の間に立ち入るのだが、ここではアブラハムとバランスして、角の二人の人物の一人になっているという。
『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』は、このテーマはキリストの磔刑を意味する。天使は「ペテロの解放」と同じ位置で、オーヴェルニュ地方の彫刻師の手によるものという。

聖ペテロの柱頭群
 ペテロの逮捕
『Conques』は、十字の頭光を付けたキリストは天使に伴われている。天使の翼は極端に大きい。メシアは聖ペテロの方を向き、ただの後光をつけたペテロが胸に持った書物が象徴する使徒の教えを祝福する。左角の王冠を被ったヘロデはペテロを逮捕しようとしている。左手で囚人たちを入れた檻の扉を閉めようとしているという。
 聖ペテロの解放
この場面は監獄の前で展開する。翼を折った天使が使徒の手を引いている。右の面は扉口の枠にはドラゴンが刻まれているという。
左の面は監獄の入口を表しているという。
上の段には手枷足枷が円柱からぶら下がっている。これはタンパンで、神の右手の前で跪くサントフォワの後方のアーチ列に掛けられた足枷と同じように、解放されたことを示しているのだろう。その下には尖った兜と丸い楯の3人の兵士が眠っているよう。

 南翼廊の小礼拝室
 ペテロの磔刑
『Conques』は、聖ペテロはローマで福音を説いて、新たに逮捕された。ネロは聖人の磔刑を命じた。キリストと同じやり方で刑に処されるに値しないと判断して、ペテロは頭を下にして十字架に架けられるように頼んだ。十字架は柱頭の主面に現在でも見ることができるが、他の人物はよくわからない。
教会で最も古い部類とされてきたこの4つの人物の登場する柱頭は、四肢の細長い弱々しい姿や密な衣文線、平たい鼻などがはっきりと読み取れるという。

 北翼廊の聖秘蹟礼拝室(chapelle du Saint Sacrement)の右側にある柱頭
『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』は、絡み文様のモティーフがみられるという。
左側
どちらもサントフォワ修道院聖堂の最初期の柱頭ではないかと思われるような古拙さがある。

 内陣の聖職者席の最初の複合柱
アレクサンドロスの昇天
『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』は、腰巻きをつけ、角ばった顔立ちで、2羽の鷲の首に掴まっている。他の図ではグリフィンが好まれた。10世紀末に、ナポリのレオン(Léon de Naples)という主席司祭によって書き写された翻訳は「アレクサンドロス物語」という主題を蘇らせた。
これはイカロスの望みを思わせる。しかし主人公は二頭のグリフィンのおかげで無事着陸できた。このテーマは兵士達に、将来また見ることができるという希望をもたせたという。
モワサックのサンピエール修道院西回廊(1100-1110年頃)にも同じテーマの柱頭があった。

そして内陣付近
『Conques』は、内陣は弧状に巡る円柱列で区切られているという。
同書は、未完のものもあるようだという。
確かに人面の細部が彫られいないものもあるようで、人面ではなく花のように見えるものもある。
その背後、周歩廊の窓際に並んだ付け柱の柱頭も古そう。
やはり周歩廊は内陣を囲む柱列よりも外側の方が、柱頭も柱自体も古いようだ。

周歩廊は通ったのだが、
拡大して写したのはこれだけ。

『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』は、聖遺物が安置された小礼拝室からなる放射状祭室の砂岩の柱頭は、サントフォワ修道院聖堂の中で最も古い部類に属している。プロスペル・メリメ(Prosper Mérimée)の主張によって建物が壊される以前に、経年劣化がひどく、主題が読み取れなくなったものもあるという。

周歩廊外側の柱頭
二人のケンタウロスに伴われた二股のセイレン 11世紀半ば
同書は、ギリシア人やローマ人が海の守り神としたカルディア起源のモティーフの最も古いものとされているという。
周歩廊は内陣側や不規則な交差天井を眺めながら通ったので、古拙な柱頭群を見逃してしまった。また是非コンク村を訪れて、ゆっくりと見て回りたい。

  サントフォワ修道院聖堂 トリビューンの柱頭← 
                   →サントフォワ修道院聖堂の柱頭を時代順に

関連項目
サントフォワ修道院聖堂 中庭に残る彫刻

参考文献
「LES CHAPITEAUX DE CONQUES」 Frère Jean-Régis Harmel et Julien Philippoteau 2012年 JF Impression

「Conques」 Emmanuelle Jeannin・Henri Gaud 2004年 Edition Gaud
「CONQUES STEP BY STEP...THROUGH THE FOREST OF CATITALS」 アヴェイロン県コンク観光協会発行のリーフレット(何故かこれだけが英語だった)
「ロマネスク美術革命」 金沢百枝 2015年 新潮選書