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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/02/16

アナドル・セルジューク朝に初期のモザイク・タイル


アナドル・セルジューク朝の空色嵌め込みタイルを探していたら、同じ時期のものにモザイク・タイルの技法もあったことがわかった。
それをいつものように遡っていくと、

アルスランハン・モスク 1289年 アンカラ
COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』は、アンカラで最も古く大きいモスクで、城砦の麓にあるという。
全体に漆喰地がそのままになっている間地が多いが、トルコブルーと黒(または紫)のモザイク・タイルと言えるのでは?
ムカルナスには小さな六角形を鏤めたものや、花文などを表す。
その下の文様帯はにはアラビア文字の銘文と蔓草文の組み合わせが、漆喰地の中に嵌め込まれている。
このようなものを嵌め込みタイルと呼ぶよりは、初期のモザイク・タイルとした方が適しているだろう。

腰壁は、青色と紫、そして無釉の3色のタイルを組紐として、型による数種類の浮彫漆喰を置いた隙間を縫っている。

チフテ・ミナーレ・メドレセ 1276年? エルズルム
ミナレットの下部
青色タイルと焼成レンガを交互に挟んだ枠、青色タイルの銃眼胸壁のような形が互い違いに並んだ文様帯。
その中には、中央の円に8点星とアラビア文字の組み合わせ、円の外側の隙間に蔓草文が、それぞれ青色タイルと紫色?タイルでモザイク・タイルとなっている。その間の輪っかは青色タイルを地として、焼成レンガを植物文に刻んで嵌め込んでいるのかな?

ギョク・メドレセ 1271-72年 シワス
『トルコ・イスラム建築紀行』は、本来の名はサヒビエ・メドレセシであるが、ミナーレに組み込まれたトルコ石色のタイルが美しいので、「青いメドレセ」の意で呼称されている。典型的な2階建て中庭式メドレセで、ファサードの構成と装飾が、他の追随を許さない豪華な建物。
建築家キョリュク・ビン・アヴドゥラーの弟子のカルーヤンという。
ミナレットには角錐形の青色タイルが嵌め込まれているので、嵌め込みタイルとモザイク・タイルの両方が見られるメドレセである。
青い8点星の外側にある8つの三角形は白色の施釉タイル。欠失しているが、5点星もトルコブルーの内側に白いタイルが嵌め込まれていた痕跡がある。
傷んでいるので土色が見られるが、間地のないモザイク・タイルで、しかも黒と青の組紐が立体的に交差している。
まず、それぞれの文様や黒と青の組紐を部品ごとにつくり、それを壁面に嵌め込んでいったか、ある程度の面積を作業場で組み合わせたかだが、このように凹凸のある表面に仕上げるのには、表向きに貼り付けていかないと無理なのでは。

ブルジエ・メドレセ 1271年 シワス
『トルコ・イスラム建築紀行』は、廟のドーム架構にトルコ扇の技法を用い、タイルによる装飾が鮮やかである。
建設者はイラン・ブルジルド出身のムザッフェリュッデイン・ブルジルディ、建築家は不明という。
空色嵌め込みタイルのところもあるが、ドーム架構部のトルコ扇中央には紫色の六角形と6点星が、トルコブルーの組紐で囲まれる、間地のないモザイク・タイル。
四壁上部には、アンカラのアルスランハン・モスク(トルコ語ではジャーミイ)とよく似た文様のムカルナスとアラビア文字の銘文がモザイク・タイルで表されている。

インジェ・ミナーレ・メドレセ 1264年 コンヤ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、頂きに明かり取り、四隅にドームを支えるトルコ扇。ドームは直径10文様強、高さ15m強。四隅の4枚羽根のトルコ扇により、西20角形の台を作り、その上にドームを据えているという。
いつも参考にさせて戴いているというか、頼りにしているイスラムアート紀行さんに、レンガとタイルの美 インジェ・ミナーレ・マドラサというページがあった。そこにはトルコ扇の根元部分の大きな画像があり、ラインの中にはモザイクでパルメットのような模様が黒で描かれていますとのこと。
トルコブルーと黒いタイルが交互に並んでいるのかと思っていたが、こんなにくっきりとした文様帯が扇の骨?になっていたのだ。

ブユック・カラタイ・メドレセ 1251年 コンヤ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、建物の本来の名はカラタイ・メドレセシ。典型的な屋内式メドレセで、アナドル・セルジューク建築の代表的傑作。ドーム天井のモザイクタイル装飾が圧巻。
建築家:碑文はないが、ダマスカスのムハンメド・ビン・ハヴラーンの可能性ありという。
ドームを飾るモザイク・タイル。トルコブルーの組紐が、細かな紫色の幾何学文を囲んでいる。
24枚の花弁が紫(図版によって紫に見えたり、黒に見えたりする)と白交互に表される。この白い花弁がタイルなのか、漆喰なのかがわからない。
その輪郭となるトルコブルーの組紐が放射状に、交差を繰り返しながら拡がっていく。それぞれの継ぎ目まではっきりとわかるすごい図版ではある。
その外側には蔓草文の文様帯の間に装飾的なアラビア文字の銘文と蔓草文が、漆喰地に嵌め込まれている。この間地がなくなるとモザイク・タイルは完成の域に達する。
アラビア文字の銘文の背後に表された一重に渦巻く蔓草文。これは渦巻きではなくて4重の同心円かと思ったが、目を回しながら辿っていくと、確かに渦巻いていた。
四隅にはスキンチでもペンデンティブでもないものが。
同書は、ドーム架構に「トルコ扇」の技法を用いた初期の例という。
トルコ扇も、移行部下、四壁上部にもモザイク・タイルがある。
イーワーン側壁
10点星の輪郭線が延長して互いに交差を繰り返し、様々な幾何学文をつくり出している。
それをおそらく2色のタイルと、僅かに地の漆喰が10点星の三角形に残っているように見える。
その他にも漆喰地を残すもの、残さないもの。植物文に幾何学文など、実に多様な文様をモザイク・タイルで表している。
特に、下の方に蔓草文とアラビア文字の銘文が、漆喰地は残るものの、モザイク・タイルで表されているのが興味深い。
黒い蔓草文は、白いタイルや焼成レンガを刻んだものに嵌め込まれたのではなく、やはり漆喰らに埋め込まれている。
色タイルの切れ目が見えなかったら、絵付けタイルと思うほどだ。
蔓草文をトルコブルーのタイルの帯が囲んでいるが、その帯が立体的に組み合わされている。

スルチャル・メドレセ 1242年 トルコ、コンヤ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、典型的な中庭式メドレセで、釉薬タイルのモザイク装飾が特筆されるので、「ガラス装飾のメドレセ」の意で呼称されている。
建築家はトゥスのムハンメッド・ビン・ムハンメッド・ビン・オスマンという。
イスラムアート紀行さんに、スルチャル・マドラサ(コンヤ) 草創期のモザイクタイルというページもあった。そこに記載されている拡大されたタイル壁面の豊富な画像で、このメドレセにも漆喰面の残るモザイク・タイルと、色の異なるタイルがそれぞれの形に刻まれ、間地の見えないほど密接して組み合わされたモザイク・タイルがあることがわかった。
そしてその記事には、アンカラのアルスランハン・ジャーミイやコンヤのブルジエ・メドレセのような、間地の多いモザイク・タイルのムカルナスがあった。大きな写真のお陰で、トルコブルーとコバルトブルーの小さな六角形を並べた間地というか漆喰の三角形が、あるところでは繋がってしまっているのまでが見える。

イーワーン側面
右は黒いアラビア文字の銘文の下に、トルコブルーの一重に渦巻く蔓草文があるが、地は釉薬が剥がれたか、漆喰のままになっている。
左端の文様帯も、トルコブルーとコバルトブルーの植物文が表され、その地は釉薬が剥がれたか漆喰のままのよう。
黒いタイル片を地として、トルコブルーのタイル片で幾何学文構成している。その中心となるのは、放射状にトルコブルーのタイルが置かれる10点星である。
モザイク・タイルは、それぞれに刻んだ色タイルを文様に組み合わせ、裏向きにして漆喰で固めておいて、壁面に貼りつけると聞いているが、そのようにすると、こんな風に高低差はできないのではないだろうか。それで凹凸のあるモザイク・タイルは、表向きにして漆喰地に嵌め込んでいくと考えている。

ウル・ジャーミイ 1225-70年 エスキ・マラティア(古いマラティア)
ドームは空色嵌め込みタイルで放射状に曲線を描いているが、外壁と思われる箇所には、漆喰地のモザイク・タイルがあった。
壁面の2色のタイルで蔓草と枠を構成する。
地の部分が多いが、ある程度の大きさ、あるいは単位で、文様に刻んだタイルを裏側を向けて並べ、漆喰で固めてから建物に貼り付けるという、モザイク・タイルの造り方なら、漆喰部分が広くてもこのような文様は作ることができる。
漆喰地と色のタイルによるモザイク・タイルなどと思っていたが、人字形ような地はテラコッタを削ったものにも見える。そしてまた、トルコブルーと黒?の色タイルと、この焼成レンガの部品は、平らな面になっておらず、色タイルが高くなっている。

ケイカーブス1世廟入口 1217年 シワス、シファイエ・メドレセ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、カイセリのチフテ・メドレセと同様に、病気治療機能と医学教育機能とを併せ持つ医学センターとして建設された。中庭式メドレセのプランで、建設者の墓廟があるのもカイセリの例と同じ。墓廟のドームにはトルコ三角形の技法を用いた初期の例。
墓廟部分は、アゼルバイジャン・マレンドのアフメット・ビン・ビジルという。
上から見ていくと、リュネットあるいはタンパンには大きな文字文があって、ティムール朝で大建築の壁面を飾ったバンナーイのよう。
その下や入口上部は、空色だけでなく、茶色い焼成レンガも用いて幾何学文やアラビア文字を表しているが、これまで見てきた嵌め込みタイルというよりは、モザイク・タイルと言ってもよいくらいの完成度の高さに見える。
中央の扉口上部
青釉タイルを刻んだ部品と、黒っぽい彩釉タイルを刻んだ部品とを、薄い色の焼成レンガに埋め込んでいる。
色の濃いテラコッタではなく、黒っぽい彩釉タイルと考えたのは、釉薬が剥落して、地となる焼成レンガと同じ色になった箇所が見られるから。

⑨アラーエッディン・ジャーミイ ルーム・セルジューク朝(アナドル・セルジューク朝)、12世紀後半-1220年 コンヤ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、アナドル・セルジューク朝が建設した初期のモスク。アラーエッディンの丘に、宮殿と共に建設された。建設期間が長く、複雑な構成の建物だ。ドーム架構に「トルコ三角形」の技法を用いた初期の例。ドームの直径8.2m。
ダマスカスのムハンメド・ビン・ハヴラーン、ミンバルにアフラトの棟梁、モザイクタイルにアゼルバイジャンの棟梁の名があるという。
ミフラーブ前のドーム。ムカルナスを用いたスキンチや、アヤソフィアのようなペンデンティブを使わずに、ルーム・セルジューク朝では独自のドーム架構を工夫した。後に「トルコ扇」と呼ばれる形になっていくものの初期にはたくさんの三角形がドームへの移行部にあったのだ。
その三角形の中にはトルコブルーが見える。アゼルバイジャンの棟梁が貼り付けたモザイク・タイルというのはこのことかな。創建が1220年で後世の補修がなかったとしたら、早い時期のモザイク・タイルとなるのだが、どんなモザイク・タイルか、詳しくはわからないのが残念。
ドーム下のミフラーブの周りには、シワスのブルジエ・メドレセ(1271年)やコンヤのブユック・カラタイ・メドレセ(1251年)のような、漆喰地にトルコブルーの蔓草文と紫か黒のアラビア文字の銘文というモザイク・タイルの初期のものがあるように見える。

このようにアナドル・セルジューク朝で初期のモザイク・タイルを見ていくと、空色嵌め込みタイルを作lるうちに、色の異なるタイルを文様に刻んで漆喰で固めるようになり、やがてはその漆喰地が見えなくなるほどタイルとタイルを密着できる技術を編み出していくという、モザイク・タイル技法の発展段階がうかがえる。
しかしながら、モザイク・タイルにアゼルバイジャンの棟梁の名があるように、このモザイク・タイルによる装飾は、アナドル・セルジューク朝で発展したのかも知れないが、創り出されたものではないのだった。


       空色嵌め込みタイル2 13世紀はアナドル・セルジューク朝

関連項目
14世紀、トゥラベク・ハニム廟以前のモザイク・タイル
トゥラベク・ハニム廟のタイル

※参考サイト
イスラムアート紀行さんのレンガとタイルの美 インジェ・ミナーレ・マドラサスルチャル・マドラサ(コンヤ) 草創期のモザイクタイル

※参考文献
「COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE」 1996年 Thames and Hudson Ltd.London
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社