ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2016/02/12
空色嵌め込みタイル2 13世紀はアナドル・セルジューク朝
ジャームのミナレット ゴリド・スルタン朝、12世紀後半 アフガニスタン
『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』(以下『COLOUR AND SYMBOLISM』)は、12世紀後半に建立されたジャームのミナレットが、、東方イスラーム建築において、浮彫ストゥッコが、その絶頂期に青色タイルにその地位を譲る、決定的なターニングポイントの証拠であることがわかった。ミナレットを巡るトルコブルーの銘文と円文の輪は、東方イスラームでの、青色系のタイル装飾の広大な伝播がやってくることの前触れであるという。
12世紀後半になると、正方形や長方形だけでなく、丸みやカーブのあるタイルに青釉を掛けて焼成し、それを組み合わせて文字や円文などを構成するようになった。
上の円文を繋いだ連珠文とアラビア文字の銘文の間には、植物文のようなものがありそう。
同書には、東方イスラーム圏における空色嵌め込みタイル装飾が紹介されている。
ヘラートの金曜モスク ゴール朝、1200年創建(1498、1964修復) アフガニスタン
様々な形に刻まれたタイルと、トルコ風ドアノブ形の草創期の中世イスラーム彩釉タイルによる装飾の例という。
13世紀初頭のゴール朝のトルコブルーの彩釉タイルによるアラビア文字の銘文という。
トルコブルーのアラビア文字の空間には、一段深く植物がテラコッタで浮彫されている。その植物は、これまで見てきた蔓草ではなく、枝分かれせず、茎というよりも水滴のような形のものから4枚の葉が出ている。葉の輪生する植物を表しているのかな、それともナツメヤシの茂る楽園のイメージかも。
門の角の付け柱には、焼成レンガで8点星と十字文、そして8点星の中には4枚の葉か花が表されている。
『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』は、中央アジアとペルシアがモンゴルの脅威にさらされている時代、その最初の騎馬襲撃は1220年のことだったが、13世紀のセルジュークトルコは免れた。タイル職人たちは、比較的安全なヘラートという辺境の地で、ゴール朝の保護の下、その芸術を続けることができた。小アジアのトルコでは多くの壁に青釉タイルに幾何学文とアラビア文字の書体が多く嵌め込まれたという。
空色嵌め込みタイルの初期の例がアフガニスタンに残り、そしてその後に続くのは、遠く離れた東アナトリアの地だった。
その東アナトリアで空色嵌め込みタイルを探すと、
ケイカーブス1世廟入口 1217年 シワス、シファイエ・メドレセ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、カイセリのチフテ・メドレセと同様に、病気治療機能と医学教育機能とを併せ持つ医学センターとして建設された。中庭式メドレセのプランで、建設者の墓廟があるのもカイセリの例と同じ。墓廟のドームにはトルコ三角形の技法を用いた初期の例。
墓廟部分は、アゼルバイジャン・マレンドのアフメット・ビン・ビジルという。
上から見ていくと、リュネットあるいはタンパンには大きな文字文があって、ティムール朝で大建築の壁面を飾ったバンナーイのよう。
その下や入口上部は、空色だけでなく、茶色い焼成レンガも用いて幾何学文やアラビア文字を表しているが、これまで見てきた嵌め込みタイルというよりは、モザイク・タイルと言ってもよいくらいの完成度の高さに見える。
中央の扉口上部
青釉タイルを刻んだ部品と、黒っぽい彩釉タイルを刻んだ部品とを、薄い色の焼成レンガに埋め込んでいる。
色の濃いテラコッタではなく、黒っぽい彩釉タイルと考えたのは、釉薬が剥落して、地となる焼成レンガと同じ色になった箇所が見られるから。
ウル・ジャーミイ 1225-70年 エスキ・マラティア(古いマラティア)
ドーム部分には長方形の青いタイルが、ドームを構成する平レンガの間に埋め込まれて放射状に曲線を描いているが、上部はそれが続かなかったようだ。
頂部には2色のタイルで6点星と見慣れない文様が作られている。おそらくこの地は、タイルを貼り付ける漆喰か何かだろう。尚、壁面に嵌め込まれていたと思われる文様に刻んだ同色のタイルによるデザインの図版が『COLOUR AND SYMBOLISM』に載っているが、それも漆喰地の中に色のタイルが嵌め込まれているとはいえ、モザイク・タイルのような、あるいは、モザイク・タイルへと発展していく過程を示すもののように思われる。
インジェ・ミナーレ・メドレセ 1264年 コンヤ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、細いミナレットのメドレセの意。典型的な屋内式メドレセで、アナドル・セルジューク建築の代表的傑作。ミナーレの煉瓦とタイルの組み込み装飾が見事。建築家はキョリュク・ビン・アヴドゥラーという。
トルコブルーの丸いタイルを重ねて、細く青い柱を幾本も付けたよう。
その間の日干レンガの壁面に嵌め込まれてた空色のタイルは、角錐形で、壁面から突き出ている。それがつくり出すものは、一見線を交差させただけの単純な幾何学文のようで、結構複雑な構成になっている。
中央ホールのドーム天井全景
頂きに明かり取り、四隅にドームを支えるトルコ扇。ドームは直径10文様強、高さ15m強。四隅の4枚羽根のトルコ扇により、西20角形の台を作り、その上にドームを据えているという。
ドームにもトルコブルーとコバルトブルーのタイルで幾何学的な装飾が施されている。
ギョク・メドレセ 1271年 シワス
同書は、本来の名はサヒビエ・メドレセであるが、ミナーレに組み込まれたトルコ石色のタイルが美しいので「青いメドレセ」の意で呼称されている。ミナーレはコンヤ・インジェ・ミナーレと酷似している。
建築家はキョリュク・ビン・アヴドゥラーの弟子カルーヤンという。
師匠のミナーレにのように数本の青い付け柱でミナレットを飾っている。
トルコブルーのタイル小片が角錐形で日干レンガの面よりも出ていることや、構成する文様も似ている。
ブルジエ・メドレセ 1271年 シワス
『トルコ・イスラム建築紀行』は、廟のドーム架構にトルコ扇の技法を用い、タイルによる装飾が鮮やかである。
建設者はイラン・ブルジルド出身のムザッフェリュッデイン・ブルジルディ、建築家は不明という。
ドーム架構部はトルコ扇の中央がトルコブルーと黒?紫?のモザイク・タイル、他は青色タイルが嵌め込まれている。
その下側の四壁には2段のムカルナスがあり、ここもモザイク・タイル。その下段には蔓草らしきものとアラビア文字の銘文が、地の隙間を残してモザイク・タイル状に嵌め込まれている。
チフテ・ミナーレ・メドレセ 1271年 シワス
同書は、一対の美しいミナーレが目に飛び込むので、「一対のミナーレ」の意で呼称されているという。
コバルトブルーの四角いタイルの周囲にトルコブルーのタイルで細い枠を作っているらしい。焼成レンガの色のせいか、カラフルに感じる。
嵌め込みタイルで作った文様は、おそらくアラビア文字でアッラーなどと記されているのだろう。
チフテ・ミナーレ・メドレセ 1276年? エルズルム
同書は、タチカブの上に聳える2本のミナーレが美しく強烈な印象を与えるので、「一対のミナーレのあるメドレセ」の意で呼称されている。
建設年は不明確、建築家はキョリュク・ビン・アヴドゥラーの弟子の一人?という。
トルコブルーの小さな四角形を斜めに嵌め込んだだけのものだが、その面は付け柱状に出ていて、しかもミナレットのほぼ全面を付け柱で取り囲んだかのようだ。
上部にはもっと複雑な装飾もあり、頂部のムカルナスの枠にも青色タイルが使われている。
この下にもモザイク・タイルによる装飾がある。
アナドル・セルジューク朝の建造物で空色嵌め込みタイルを探していると、同じ建物に、モザイク・タイルに近いものやモザイク・タイルとしか思えないようなものが、空色嵌め込みタイルと共に建物の装飾に用いられていることがわかった。それもかなり早い時期から。
それについては別にまとめます。
空色嵌め込みタイル1 12世紀←
→アナドル・セルジューク朝に初期のモザイク・タイル
関連項目
ミナレットの空色嵌め込みタイル
※参考文献
「COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE」 1996年 Thames and Hudson Ltd.London
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社